2025年10月31日金曜日

[8970] シンクロニシティ

 ●シンクロニシティ
『サトリ』は台風に似ている
台風は暴風雨吹き荒れる社会だ
しかし台風の中心は至って静寂
人はいつだって自分の中心に静寂を持つ
ただ暴風雨が気になって
静寂になかなか気づけない
言葉をいくら連ねてもダメだ
『サトリ』は知識でも概念でもない
知識や概念は軽く風に飛ばされる
『サトリ画』でその静寂を
シンクロニシティ





2025年10月30日木曜日

[8969] 不染汚

 ●不染汚
 個展『サトリを中心に渦巻く世界』に「行きます」という方が多い。有り難いものです。遠いところなのに山形からも結構な人が来る。ちなみに会場は水曜木曜は休みです。水曜に行くとか言ってた人がいたから。東京や名古屋からも連絡が来ている。泊まるところも近くにないから前もって調べてね。みんな『サトリ』に興味があるんだろうと思う。この変化目まぐるしい不確かな社会で、それらに振り回されることもなく染まることもなく汚されることもないのが『サトリ』だから。





2025年10月29日水曜日

[8968] 新発見

 ●新発見
 プロフィールのパネルを見てたらアホらしくなった。どこぞの美術館や博物館、雅叙園、名も無いNYのギャラリーなど、こんなもの羅列しても他人は興味がないだろう。旅ならいろんなところいっぱい行ったみたいなものだ。どこに行ったかではなく、何をしたかが重要だろう。
 そこで「これぞ私がやったものだ」に書き換えることにした。
○現代の招き猫の先駆者
 招き猫を復活させブームを巻き起こす(1992年)
○ペリペリ画法を発明
 紙の新しい画法を発明する(2017年)
○『わ』の図を発見(未発表)
 これまでどこにも無い東西融合の図を発見する(2020年)
○『サトリ』の作品を発表
 サトリ三部作を発表する(2025年、今からね)
 このように並べてみると、私はアーティストというよりも籠って半ば人知れず内面を探究発明発見するタイプなんだと。そんな自分を今回新しく発見したのであった。めでたし。



2025年10月28日火曜日

[8967] お金

 ●お金
ふと思った。
お金は『無』いと
裕福だろうが貧しかろうが
いつだって足りないのだ
お金が『有る』は妄想だろう
何億円だの何兆円だのの数字を
見たり聞いたり
個人投資で資産が膨らんだとか
だから『有る』ように錯覚する
人はただ衣食住しているだけ
敢えて言えば
『金は天下の回り物』が正しい
回って何もかもを引っ掻き回して
そのうち消え去る台風のような
ならば台風の目の静けさにシンクロすれば
全ては巡るのだろう





2025年10月27日月曜日

[8966] 新おみくじマシーン

 ●新おみくじマシーン
新しいおみくじを引く回転板ができた。
もえぎ本店個展に出します。
◎げんかつぎ百覧会◎
*おみくじの引き方*
一回二百円
さいせん箱に200円を入れてから
回転台を軽く優しく回してください
『三つ目猫』さんが指差す番号が
今日のあなたの『げんかつぎ』です
番号のポストカードを一枚どうぞ
本作品は2階 Room3 に展示してあります
どうぞ心身ともに楽しんでください





2025年10月26日日曜日

[8965] 嘘の上塗り

●嘘の上塗り
わからないサトリを中心に据えたせいで
展示する作品がとてもわかりやすくなってきている。
いつもはわかりやすい言葉をテーマや中心にする。
希望とか流行りとかキレイ事。
これが間違いだってことは何となく勘でわかっている。
だから作品がわかりにくくなる。
己を説得するために『わじんワールド』なる言葉で誤魔化す。
先端の学説など量子論などでそれに信憑性を与える。
どんどん嘘の上塗りだ。




 

2025年10月25日土曜日

[8964] 晩年

●晩年
僕「昔の画家って晩年は何してたんだろう?」
SS「回顧展の準備」
僕「そうではなく何を制作していたのだろうか?」
SS「回顧展のDM」
 随分前、年取ったら死ぬまで描き続けられる作品に挑戦しようと思っていた。しかしそんな作品はあるのだろうか? まぁ己の究極の『サトリ画』を制作したけど… あっ、あったわ! 庭作業という生きているインスタレーションだ。それと坐禅だ。坐禅は永遠にわからないをわかり続けられる自我でない自画・像だ。坐るだけだし。もう年取って見つけていたのね。
 





2025年10月24日金曜日

[8963] 自然と世間

●自然と世間
個展の準備も一段落
さて草刈りと薪割りの準備
久しぶりの庭仕事で大汗をかいた
世間の仕事の汗と同じ汗なのに
爽やかさがまるで違う
世間が余暇に求める自然とは違い
私の場合こっちが主役だから
汗は世間で身についた汚れ
透明な水に戻った感じだ
いつの間にかこういうのを忘れて
世間の情報を追い
答えを求め彷徨う
そこにはないのに
だから庭いじりは大切だ
 






2025年10月23日木曜日

[8962] 代替性愛

 ●代替性愛
しかし代替性愛では子はできない
昔は見つめ合っただけでも妊娠したが
今はそういう時代ではない
代替性愛は癒し快楽用に特化して
子作りは科学的根拠のある
頭脳明晰眉目秀麗の
精子バンクに卵子バンク
あっという間にスズメの種付け
そんな素敵な科学の子が
できる時代は近いのであった





2025年10月22日水曜日

[8961] 代替

 ●代替
 昔、香港の屋台で食ったラーメンが美味かった、作り方を見ていた。目の前に調味料がズラーっと並べてあり、それをサジで掬って丼に入れていく。いろんな調味料の一つに、なんと、味の素があった。
 最近では自然志向の人が信じやすい鍼やアロマやレイキやテルミやカイロやホメオパやもうたくさんのプラセボ効果的治療がある。科学的根拠のある主役の薬から見たらそれらは脇役の怪しい代替医療と言われるが、代替医療から見たら科学的根拠のある薬は味の素のようなものなのだろう。宇宙船がすごいと言っても飛行機や電車や車や自転車と同じ乗り物の一つだ。ただスピードと目的が違う。SEXの目的が子作りならスズメのあっという間の種付けで十分だ。見たり聞いたり語ったり近づいたり離れたり触れたり触れなかったり、これらを代替性愛と言うのだろうか。





2025年10月21日火曜日

[8960] 蓼食う虫も好き好き

 ●蓼食う虫も好き好き
 碁点温泉展示会での注文作品を受け取りにお客さんが夫婦でやってきた。私より7つ上で五黄のトラ、かなり頑固でパワフルなお婆ちゃん。二つの作品それぞれに「医学部と法学部合格」と書いてほしいと言う。すごい注文だ! 聞けば、お婆ちゃんの目的は名利安定だ。私の父親は私が高校の時に「医者、弁護士、建築家から選べ」と言っていたから、頭はお婆ちゃんと同じだ。で親孝行な僕は建築の道に進んだが、自分に純粋だったため、父親の思いなど蹴散らして、こうなった。まぁ多少の名利があるから父親も文句ないだろう。それだけでなく今度は『サトリ画』だ。父親どころか日本国民や地球人類だって文句の言いようのない作品だ。話は逸れたが、お婆ちゃんの連れの旦那さん、寡黙だが草木や水槽の話をする。自然が好きなようだ。お爺ちゃんは庭を歩き「これは蓼だね」とお婆ちゃんに教える。お婆ちゃんは草などどうでもいい感じだ。ふとお婆ちゃんの医学と法学は『蓼食う虫も好き好き』なんだなぁと思った。名利安定という蓼だ。今はネット社会、子供たちは大人の昔の思い込みなど聞き流し、自分が好きな蓼を食うだろう。





2025年10月20日月曜日

[8959] サトリ画

 ●サトリ画
サトリ画について。
 DMに「猫でも仏像でもなく抽象画でもない」と書いた。加えて具象画でも風景画でも静物画でも人物画でもない。つまり画では無い。
 画家はすこぶる自我が強い。たぶん政治家よりも悪人よりも自我が強い。その意思は何も頼らず必要とせずたった一枚の画で世界を我が物にしようとするからだ。画がダメな時は死ぬほど落ち込むし、過去には自死した人も多い。画が良ければ世界を征服したように有頂天になる。だから『画=我』なのだ。そして極めるべきは『画では無い=我では無い』なのだ。一般アート界隈での作らない・本歌取り・盗用・発注・自然に任せるなども全てこのような意識だ。





2025年10月19日日曜日

[8958] お茶タイム

 ●お茶タイム
社会には『あげる・もらう』がある。
贈与の菓子折りはあげてももらっても嬉しい。
お茶タイムのお供だ。
独り占めはみんなに少しだけあげて支配する。
人はいっぱいもらいたいと力に媚びる。
お茶タイムは悪口が多い。
資本社会ではあげる・もらうを金で解決する。
お茶タイムはつまらない政治経済の話になる。
これらは人間社会の「あげる・もらう」という様々な姿だ。
あげるは与えることで与えられるから満たされる。
しかしこれが当たり前になると不自由になる。
もらうは実は奪うことで奪われるから貧しくなる。
お茶タイムは下らなくて楽しいのがいい。