●インパチェンス
インパチェンス
ちょうど1ヶ月前に一輪咲いた
それも散らず枯れず
今は花が18個
まだ増えそう
冬に部屋が花盛り
面白い花です
もりわじん絵日記
2025年12月18日木曜日
2025年12月17日水曜日
[9017] 喉下
● 喉下
壁に掛けられたサトリ画を思い浮かべる
梅茶が熱かった!
そこで閃いた!
『喉元過ぎれば熱さを忘れる』
この喉元辺りでうだうだ言っているのが『自分』だ
『自分』なんて生まれた時からあるものではなく
「食いたい欲しい」と思った時出てきた喉元だ
これは生きるようにと自然が与えてくれたもの
まぁ大変ありがたい喉元の『自分』なのだが
ときに喉元が主役ぶって
身体や自然を我が物にしてしまう
しかし全自己は喉元までだけではない
さぁサトリの壁を突き抜けて
『自分』など忘れてしまった喉下
全自己の喉下へ向かうのだ
木は根が丈夫でなければいけない
誰にも見えないかもしれないが
2025年12月16日火曜日
[9016] 渋戻り
●渋戻り
個展が終わり気が緩んだのか風邪。そこで柿。日本柿は英語でもKaki。そんじょそこらにあるものでない特別な果物。『柿が赤くなると医者が青くなる』と医者が恐れるほどのもの。薬会社だって潰れてしまう。柿タンニンは最強の抗ウイルス効果があって風邪やインフルコロナなどなんでもやっつける。熊は冬眠前に柿を食べ便秘にして体から栄養を逃さないようにする。
ちょうど2週間前に焼酎漬けした柿。めちゃくちゃ甘い薬じゃ! ところでいっぱいあるので食い切れない。そこでSSがジャムにした。なんと! 甘くなった柿が熱によって渋柿に戻った。『渋戻り』と言うらしい。渋抜きとはタンニンが甘味になるのではなくタンニンを水で溶けないものにするらしい。口の中ではタンニンが溶けず、身体の中に入ってから医者も薬もいらないほど役に立つ。素晴らしい! 柿タンニン。
渋抜きは悟りの喩えとして使われる。内的変容があったからといってもまさに苦タンニンはあるのだ。それに『渋戻り』苦まである。渋抜いた内的変容者が偉ぶって人集めて稼ごうと熱くなって言葉でたぶらかす。これが熱による渋戻りだ。良さげな言葉を固定概念にして離さず抱え内的停滞しているからだ。内的変容のはずなのに。まずは言葉を離し身体を使って自然の苦に親しむことだね。あとは何度でも渋抜き、のぼせた頭を冷やすため日々坐禅。さて冷ます熱はないが風邪、薪ストーブの前で柿を食い生姜梅番茶を啜る。
2025年12月15日月曜日
[9015] 個展終了
●個展終了
『サトリを中心に渦巻く世界』The world swirling around SATORI.
個展では大学生や20代や30代から私の年上世代70代とほぼ全ての世代とサトリの話をした。時代が変わっても若い世代は自分が若い時と同じような自分のその当時の感覚とそれほど違わない。多分サトリを中心に話をしているから古い新しいはないのだろう。人々はただ大宇宙を渦巻いているだけで、そこに中心はない。諸行無常なのに諸行無常は今も昔も変わりなく無が常だ。来てくれた皆さんありがとうございました。
2025年12月14日日曜日
[9014] ずーっと
●ずーっと
ヨガ先生が来年からお店を始める。今日はプレオープン。カレーだ。
個展に行ったヨガ先生「サトリ画はずーっとあるものって感じがした。その他は常に変化するものでも『ずーっと』があるから静寂なんだなぁ」と。なるほど、その『ずーっと』を中心に世界は日々上下左右前後に留まることなく揺れ迷い渦巻いているのだろう。
2025年12月13日土曜日
[9013] 山川
●山川
個展に行ったワハハの佐藤さん
私と同じ山形出身ほぼ同年代
同時代を走り抜けた紙芝居慈悲の人だ
「私の中に山川が山川の中に私が住む」
と感想が届いたので
DMの山川を眺めその文章を読んでみた
四法印の文章全てが山川中心だった
そうか、山川がサトリだね
ふと道元さんの言葉を思い出した
『山を渡り河を渡し時我あり』
2025年12月12日金曜日
[9012] 無言
●無言
随分前にハラリの『サピエンス全史』を読んだ。面白いので人にも勧めているのだが、実は尻すぼみに感じていた。内容がタイトル通り人間中心、それに主旨が物語だ。私の今回の個展のタイトルは『サトリが中心』だ。サトリは本当のことは言えないから物語などない無垢な白紙だ。それにサトリは人間が手に入れられるような小さなものではない。つまりこの世界は人間が中心でも物語が中心でもないのだ。





























