●身体=親
あなたの身体はあなたのものではない。
生まれた時あなたはいなかった。
少し大きくなってあなたが現れた。
そのうちあなたは身体をあなたのものだと思った。
いつの間にかあなたは身体を下僕にした。
そしてあなたは身体を身勝手に汚し始めた。
さてと
身体はあなた以前の親のような存在だ。
一般的に人は意識や魂を上等なものと思い込み
肉体の身体を下等なものに見る傾向がある。
それって自分を分断差別しているってことだ。
考え直してみるべきですね。
●身体=親
あなたの身体はあなたのものではない。
生まれた時あなたはいなかった。
少し大きくなってあなたが現れた。
そのうちあなたは身体をあなたのものだと思った。
いつの間にかあなたは身体を下僕にした。
そしてあなたは身体を身勝手に汚し始めた。
さてと
身体はあなた以前の親のような存在だ。
一般的に人は意識や魂を上等なものと思い込み
肉体の身体を下等なものに見る傾向がある。
それって自分を分断差別しているってことだ。
考え直してみるべきですね。
●短命長命
兄も弟もほぼほぼ老人だ。「これから自分の好きなことをやって過ごす」と言っていた。傍から見てこれまでだって自分の好きなことしかやってないくせに。つまり人間はいつも不満ということだ。最近の風潮なのか「好きなこと」やっていれば満たされると思い込んでいる。自分軸などという言葉がでっち上げられたせいだろう。でっち上げは時代の産物で真理ではない。好きなことなんていくらやっても満たされない。それに頭は満たされようとするが身体は老いと死に静かに向かっている。チグハグなその隙間は開く一方だ。社会の貧富の分断と同じだ。
『自分』とは「周りの空気・水・植物などの自然、重力や日光、物理や化学や科学」など全部に生かされている。つまり自分とは自分以外のこの世の全部を含んでいる。それにこの世は未知数だ。好きなことなんて単なる小さな自分の欲望だ。そんなものは裏に不満があるから100まで生きても短命だろう。全部含めた大きな自分を考えるべき。マーク・トウェインの言葉「健康を保つ唯一の方法は、食べたくないものを食べ、嫌いなものを飲み、したくないことをすることだ」とある。この不味い言葉をよく噛んだほうがいい。これで200まで生きるぐらいに長命だ。
●でっちあげ
でっち上げ話ばかり
精神世界では霊魂があるとか前世があるとか
肉体世界では整形するとか改造するとか
現実社会では発展だとか救世主が現れたとか
人は作り話に騙されやすい
ちなみに私は霊能者に
「前世は新幹線です」と言われた。
●AI
猫と生活していると
猫が中心で自分が下僕のような
猫は猫が中心の世界にいる
鳥は鳥が中心の世界にいる
人間は動物の頂点にいると思っているが
動物はその動物が中心の世界にいる
人間は自分が動物だから比較したがる
人間はAIに不安と期待がある
人間は科学に自尊心があるから
AIを仕切りたい
でもAIはAIが中心の世界になる
それぞれはそれぞれが中心の世界にいる
そしてそれぞれが他の世界に
施すように入り込んでいる
猫と鳥の優劣比較はできない
全てが中心なら中心はないからだ
猫は猫、鳥は鳥
人は人、AIはAI
●両親
母親が退院したので見に行った。
思った以上に元気だった。
母親は昔「眠れない時は目を瞑るだけでいいよ」と言っていた。
坐禅ではないが確かに目を瞑るだけで瞑想状態に入れる。
そういや父親は「夜8時には寝ろ」といつも言っていた。
なんかのテレビを見ていても途中で止めて自ら寝た。
父親は「追いかけない」ことを教えてくれていたのかも。
それに両親ともに『般若心経』がそらで言える。
ろくに学校も出てないが探究心や仏心があったのだろう。
私らと同じように早朝坐禅をしていたのかもしれない。
●生きる
「死を覚悟する」とは
『死』を中心に思うから大袈裟になる。
「生を覚悟する」とは言わないから
『覚悟』は死の分野なのだ。
もはや何も追いかけられないのが死だ。
追いかけないのが涅槃だ。
早朝、静かに坐る。
坐禅は追いかけたい思考が働いても
それを放っとく側に心身が在る。
人は最初から追いかけてなどいない。
何も追いかけないから
日々本当に自分を生きる。
●覚悟
人は日中あれこれ追いかける。
追いかけるものは自分以外だ。
自分を追いかけることはないからね。
早朝坐禅は何も追いかけない。
追いかけないとは
死を覚悟したようなものかしら。
『覚悟する』とは晴れやかで清々しい。
『覚悟』は文字通り「悟り」だね。
『覚悟』とは追いかけないことだろう。
早朝坐禅はその日一日が自分になる。