●坐禅 身体が要とわかった。かといって坐禅は身体を使うスポーツではない。スポーツは勝敗や目的がある。坐禅は無目的です。それに歩きもしなければ踊りもしない、体操や運動ではない。考えないから思考でもない。 坐禅は全ての元です。生きるに必要な精神や身体活動を全て放擲している。生きるに必要なものを放擲したわけだから、生きるのに心配な死に付随する全ても放擲している。だから生死無し生死を超える。ただ坐るというだけで、全てを超えて全てなのです。
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