2017年6月30日金曜日

[6029] さらに

こんなはずじゃなかった
どんなはずだったのかい
例えばあんなはずだった
それは誰かが歩んだ道だ
未来は過去ではない筈だ
どうなるかさらに進もう

2017年6月29日木曜日

[6028] 沢 ルナ

6/20の絵日記に書いた右手の『おなご』。
♪僕の右手は KAWAII おなご~♪
今日は縫った穴の抜糸。
『おなご』はまだ時々痛い。
検査の結果、良い『おなご』じゃった。
可愛い名前をつけた。
『沢 ルナ』

2017年6月28日水曜日

[6027] コンセプト

今日は緊張。
 英語のサム先生が夏の個展のパンフレット『ワガジン7』の英訳に難儀していると言うのでミーティング。コンセプトにアートの専門用語はもちろん僕の造語とかあるから、そりゃあ面倒だ。
 でもそんな問題超えて僕のコンセプトを理解してもらえたことが大変嬉しい。
 会話は日本語だけど。

2017年6月27日火曜日

[6026] ドキュメンタリー

昨日は僕のドキュメンタリー映像を作りたい女性がやって来て、一日撮影だった。
 ずいぶん前にもこの話はあったのだが、猫作っている自分にとっては宣伝や売名になるので、あまり乗り気になれなかった。でも今は違う。夏の個展の作品は作家『もりわじん』だからだ。彼女も『自由自在堂』を何度も読み返し、作家『もりわじん』に興味を持ったそうな。
 撮られることは自分の周囲の環境からの視点だ。
 そこで今日はiPhoneを固定する道具を作って、定点カメラにして、絵を制作しているビデオを自撮りしてみた。客観的に自分の日常を眺める。面白いことにつながるような気がする。

[6025] 睡蓮満開

睡蓮4種満開。

2017年6月25日日曜日

[6024] 睡蓮

やっと池の睡蓮ピンクワンダーが咲いた。
これ眺めながら美味しいコーヒーが飲める。
しかし今年は咲くのが遅い。
早く植え替えをやったのがいけなかったのか? 

2017年6月24日土曜日

[6023] 新体操

ここ村山市は2020年東京五輪に向け、ブルガリアの女子新体操チームのホストタウンになっている。今回は二週間ほどのキャンプで、僕がよく行く碁点温泉に宿泊していて、その隣の体育館で練習している。練習を見に行く。素晴らしい肉体美じゃ。
 ところでブルガリア人はYESは横に首を振り、NOは縦に頷くらしい。
「今晩、どう?」って誘ったら、たぶん頷くのです。
 世界は面白い!

2017年6月23日金曜日

[6022] 太陽の子

明日、最上徳内記念館へ、新作追加します。
『太陽の子 Sun’s son サンサン 太陽燦々』

2017年6月22日木曜日

[6021] 新しいこと

右手が使えないので、左手で日常をこなしている。
 掃除機で掃除していて、この掃除機はずいぶん重いこと、動かすのに難儀なことなどを体験し、ふと新しいこととはこのように大変なことなんだなぁと思った。左手のやっていることは右手のおさらいなんだけど、まるで違う。反対というか、鏡の中の世界というか、逆というか、チグハグというか。
 そこでこれを作品に照ら合わせ考えてみた。
 新しいことに挑戦するということは、とても難儀なことだ。新しいことの質が古いことの質と並ぶには程遠い。並んだとしても同じなんだから面白くはないだろう。でも完成したら右も左もだ。ということは今までの倍、逆や鏡だとしたら表裏や前後も含む、それに右も左もなんだからどっちも主役で主従関係がなくなる。つまり新しいことをやるということはただAからBに移行するのではなく、AもBもそれ以上の様々な可能性を含んだ広がりを持ち、自分の意識がドデカくなるということ。Aなんか朝飯前になるんだろう。面白くないわけがない。フフフ‥夏の個展が楽しみだ。

2017年6月21日水曜日

[6020] 感じる

痛いから生きている。
生きているから痛みが引いてきた。
治ったら痛くない。
死んでも痛くない。
死んだら痛みを感じない。
止まってしまうことだ。
僕はSTOPで死を表現しようとしたのだろうか?
STOPを感じたのだろう。
生きているとは感じていることだなぁと感じた。

2017年6月20日火曜日

[6019] 痛み

右の掌の小指の付け根の下が小豆ぐらいにぷっくり腫れて押すと痛みを感じる。
「これは『おなご』ですね」とドクターは言う。
「それ、なんですか?」
「森さんは、オナニーをしますか?」
「はい、頻繁に」
「オナニーダコで通称『おなご』と医学会では言われてます」
「ほー」
 手術は麻酔を周りに数カ所、奥まで一カ所やったかな。皮膚の表面直径1ミリぐらい深さ5ミリほどを検査のために多分専用の器具で抉り取るというもの。手術は歯の治療ぐらいだろうと思っていた。ところが掌に針はめちゃ痛い! 麻酔が効いているので、その後はスムーズ。縫って包帯でおしまい。帰ってから粘土はできないけど、筆ぐらい持てるから絵でも描こうと思った。ところが麻酔が切れてからが大変。痛いの、なんの。今日もなんもできない。全ての行為が右手の補助なし左手オンリー。トイレも歯磨きも着替えも箸持つのも鼻かむのも困難。右手大事ですね。この痛さ、えぐれ傷と腱鞘炎と時々グサッという痛みが混じったような。なんとかならんかと腕のいろんなとこを押す。小指の脇と手首と肘の近くに押すと痛みがやや和らぐところを発見。まぁ気休め程度だけどね。あ~しんど。
(絵は臨場感あふれる左手描き)

2017年6月19日月曜日

[6018]  手術

今日は掌にできたできものの検査手術。
あー、いてぇ
『痛み消えて飛んでけ再々恵の雨降れ正常戻れ』

2017年6月18日日曜日

[6017] 旅の途中

徳内記念館での個展は、天気も良く、
庭での『ごろつき市』があったので大変賑わい楽しい一日となりました。
今度の夏の個展に興味のあるお客さんがいた。
そこでこの一年間の僕のアートの流れを語る。
猫でなく僕の流れや成長に興味があるということが嬉しい。
やはり僕らは何も決まったわけでない、まだまだ旅の途中なのだから。

2017年6月17日土曜日

2017年6月16日金曜日

[6015] 欲

パワフルな人を見て
そのパワーはどこからくるの?
そのパワーの源は?
たぶん
『欲』だろうね
でも最大のパワーは
『大欲』というらしい
『大欲』とは
真理への探究心や愛のことだ
その上のパワーはない
面白いことにそれを
もともと誰もが持っている

2017年6月15日木曜日

[6014] 道しるべ

いろんなことが起こる
様々な事柄を集めて
地の底から悲しく見れば切なくなるし
空の青さから楽しく歌えば少々豊かになるし
過去からみれば重苦しくなるし
未来からみれば芋虫食う青葉かもしれない
纏わりつく棘にササクレ怒り
それでも陽は人を照らさずにはいられない
至福の道しるべを見つけさすまでは

2017年6月14日水曜日

[6013] 息

作品の搬入展示。
古い作品なのに随分新鮮で面白い。
ここ一年、今夏のノリタケの森の個展に向けて、
まったく新しい絵や立体、
インスタレーションにエネルギーを注いできた。
それが良かったのだろう。
息詰まった時、息苦しい時、
気分を逸らしてみることは大切なんだなぁと思った。
そうか、僕は去年までちゃんと息をしてなかったんだ。

●タイトル『月と太陽の神様』
「山形に月と太陽の神様がやって来るぞー」
もりわじん・市田志保の二人展
場所:山形県村山市 最上徳内記念館
6/16~7/18 2017 水曜日休館

2017年6月13日火曜日

2017年6月12日月曜日

[6011] Dだから M満足

●DMについて。
 若い時の個展を思い出した。ネットも携帯もない時代だ。どうやって自分の個展をみんなに知らせて、来てもらうかにいろんな苦労があった。
 人と会ったら名刺をもらう。何百枚もハガキを作る。今のように安い印刷屋などの情報もない。住所は手書きだ。なけなしのお金で切手を一枚一枚舐めて貼る。舌がぬるぬるベタベタ。郵便箱に投函。雑誌やテレビに出ればいい宣伝になって人も来てくれるけど、簡単なわけがない。宣伝力より作品が勝負だと思えたから良かったところはある。しかしつまらないのはDMを送っても、微かな期待はあるのだが、その後にほとんど効果がないことだ。勿体無い事が多い。
 そんなところにネット社会が到来。今までの無駄が解消されると思った。ところが今まで通りDMがあって、ネットに情報を入れるという余計な仕事が一つ増えた感じだ。楽しようとして面倒増やしているという本末転倒。このDMは「ダイレクト メール」などではなく、もはや「どうやら 面倒」になっている。
 そこで考えた。これまでの経験で口コミが一番。作品を見たい人は自分の意思で来る。だからこれはフライヤーとして有効活用しようと思うのだ。
 DM(どうしても 見たい)を欲しい方は現場に来てください。なくなった場合は、ポストカードとワガジン7があります。DM(だから 満足)。

2017年6月11日日曜日

[6010] どうする?

個展のDMはどの作品を使おう。
自分では最高の『STOP』かな、
SSもこれが最高と言ってくれているが、
よくよく考えた末、ヤメた。
これは迫力があるからハガキサイズではつまらない。
やはりあの白い大きな空間の現場で見せたい。
「ねぇねぇ、DMはどうする」

2017年6月10日土曜日

[6009] たけしゃん

山形に来る前に住んでいた家がなくなり更地になったらしい。
少し寂しい。
その家の庭にいた『たけしゃん』。
彼はペランペランなやつだったけど、
近隣の圧迫に鋭い眼を向けて、
この庭の自由を守っていた。
ときどき猫のチャイを抱いていた。
チャイは亡くなって山形のアトリエになった。
たけしゃんはもういない。
また作ろうかしら。

2017年6月9日金曜日

[6008] おみくじ巫女

【巫女募集】
最上徳内記念館での『月と太陽の神様』展
「山形に月と太陽の神様がやって来るぞー」
6月16日から7月18日
この展示会ではおみくじを引くことができます。
そこで『おみくじ巫女』を募集しております。
平日11時から3時ぐらいまで
巫女お手間賃仙円。
御清浄金参割。
*巫女条件:
すこぶる美しく上品で清楚な女性
年齢は18歳から20歳まで、未経験。
巫男は応相談。
こんなの書いていたけど、ありがたいことにすんなり決まりました。

2017年6月7日水曜日

[6006] 山寺

『STOP』で思い出したことがある。
山形には山寺という長い階段がある山の寺がある。
父親はよく僕に言ったものだ。
「山寺の階段は途中休むところがあるだろう。休むことが大事なんだ。そしてまた登る」
父親には若い僕が焦ってる小僧に見えたんだろうね。
確かにそうかも。未だにストップって言われているんだもの。
この『STOP』は「止める」とかの意味で否定的なんだけど、
「また登る」という未来へ向かう肯定が内在しているようだ。
 そこが好きだ。

2017年6月6日火曜日

2017年6月5日月曜日

[6004] 感謝

とうとう完成。
父親が死に際にくれたメッセージ『STOP』。
それを自分の中で育てました。
最高の絵です。
これを描くためにこの一年があったんだと思う。
親父よ、あなたに感謝します。
夏、名古屋ノリタケで発表します。

2017年6月4日日曜日

[6003] コーヒータイム

最近、すこぶる美味いコーヒーを淹れられるようになった気がする。

2017年6月3日土曜日

[6002] 涙

近所の寺の坊主が買春をやった事件をネットやテレビで目にした時、自然と涙が出た。こんな奴のためになんで僕が泣くんだろうと思った。別に興味のない人だし、奥さん子供が可哀想だとも思わないし、何の感慨もないはずだ。
 彼は仏道に居る身だ。あの面倒なお経をマスターせねばならぬし、人前でちゃんとしなければ葬式だってデタラメになってしまう。故人の残された家族の心のケアなどの一翼も担う大変な職業だ。
 数ヶ月が経ち、その当の本人に会った。話しをしていて、まるで反省の色が見えない、呆れかえってしまった。
 僕は芸術家だ。それも『猫神様』という仏像でデビューした。たぶん仏の道を歩いていると思う。僕のような芸術家は、何故か「先生」などと呼ばれ上に奉り上げられる。そう呼ばることを自分はあまり好まない。広い大地に境界ができ狭い所に押し込められるような不自由さを感じるのだ。では何故人々は、自分と他人の間に違いは必要だが、その違いの基準を優劣にして、「先生」などと呼ぶのか? 
 涙の理由がやっと解った。詳しいことは避けて、結果としてこれは仏に試されているのだ。広い意味では坊さんも芸術家も政治家もその他の先生も仏に試されているのだと思う。その地位や名声を与えられ、その者はその後どういう振る舞いをするのか、どういった言動をするのか、岐路に立った時にどの方向へ向かうのかを仏は観察しているのだ。(観自在)
「さてこの者は犯罪に走るのかな? 自慢してバカをさらけ出すのかな? 欲にまみれるのかな? 真理を発見するのかな? 仏を無視するのかな? それとも目の前の仏に気付くのかな? 命とお金どっちを取るのかな? 平和と戦争どっちを選ぶのかな?」

2017年6月2日金曜日

[6001] 今STOP

敵をやっつけるために地雷を埋めた。
時は過ぎ、地雷を埋めた人はもういない。
埋めた情報も深くに管理したので解らない。
その地雷を子供が踏んだ。
地雷を埋めた人の子孫だった。
 今ヤバいことは、正当化しないで、今すぐSTOP。

2017年6月1日木曜日

[6000] 初心

絵日記が6000番になった。
さらっと昔の絵日記の絵を見てみた。
さてと初心に帰ろう。