●月
風呂上がりに庭に出て白湯を飲む。
木の葉についた昼降った雨粒が
月に照らされキラキラ光る。
月明かりの木陰までできて美しい。
月の明かりは太陽の反射だが、
月は月自身でこの明かりを反射させている。
月は暗い夜を幻想的に照らす。
月は隠れた深遠なCEOだと思った。
●月
風呂上がりに庭に出て白湯を飲む。
木の葉についた昼降った雨粒が
月に照らされキラキラ光る。
月明かりの木陰までできて美しい。
月の明かりは太陽の反射だが、
月は月自身でこの明かりを反射させている。
月は暗い夜を幻想的に照らす。
月は隠れた深遠なCEOだと思った。
●好き嫌い
子供好き?
子供によるよ。
若い子好き?
若い子によるよ。
年寄り嫌い?
年寄りによるよ。
政治家嫌い?
政治家によるよ。
猫好き?
猫によるよ。
人間嫌い?
人によるよ。
私のこと好き。
嫌い。
●余裕
今日は手間日間かけてヨシズや日除けを設置する。
これで真夏だって家の中はストーブ焚きたいくらい涼しいだろう。
さて人は妄想を追って日々忙しい。
余裕を得るために思い描いた効率のいい制度や物を作る。
しかし効率をよくしたつもりがかえって忙しくなって余裕がなくなる。
だから妄想というのだ。
余裕とはある意味『無駄な時間がある』ことだ。
誰もが思うように手間日間が『無駄』。
だから手間日間が余裕であって最も効率がいいのだ。
最も無駄なのが坐禅だ。
坐禅は無だ!
●キレイと死
水槽があまりにも藻で緑色になる。そこで今回の個展旅行では、藻が発生しないように風呂用の入浴剤の塩っぱくないナトリウムを水槽にちょっと入れてみた。
数日後帰宅した時、藻は発生してない。金魚も変わってない。
個展も終え帰ってきたら、ガーーン! 一匹死んでいた。他の二匹もダウン気味。すぐに全ての水を入れ替えた。外の桶はというと藻で緑、金魚は元気。外の金魚を水槽に入れて1日おいて様子を見た。元気がない。全ての金魚を外の桶に入れた。
今朝、植物のアデニウムの葉についたカイガラムシを取りながら思った。カイガラムシはいくらとってもどこかから出てくる。日当たりによるがアデニウムとカイガラムシは互いの勢いが陰陽を繰り返しているような。アデニウムとカイガラムシは動物とその毛のように二つで一つ、表裏一体なのだ。つまり金魚と藻も一体のものなのだ。
人工的「キレイなったら死ぬ」つまり「不変などない」ってことがわかった。
無常であるこの世界で生きるには手間と日間こそ要なのだ。
●CEO
4時起床、坐禅、朝食、昼なし、17時夕食、21時就寝。
坐禅するようになってから、この太陽に沿ったリズムがすこぶるいい。
今日は暑くなってきたので日差し除けにヨシズをかけたり小屋の窓を大工した。
これらは太陽が僕にやらせている仕事だ。
そういやこの間『人体図』を展示していただいている会社のCEOに会った。
僕にとっては太陽がCEOだ。
まぁ、みんなのCEOも太陽だと思う。
会社も情報も経済も政治も社会も国も、みんな部下だと思う。
●日常
個展では身心かなり疲労した。
温泉に行って整える。
そして窯入れ。
日常を取り戻す。
まるで個展などなかったように。
人は傾いている。
右に傾いていたり左に傾いていたり
未来に託したり過去から抜け出せなかったり
見下したり仰ぎ見たり
善ぶったり思考停止したり
あれだったりそれだったり
鶏が先だったり卵が先だったり
●人体図
今日は山形に帰る途中で新宿区の筑土テラスの会社に寄る。会社内に展示された僕のペランペラン画の『医学』と題した副題『ダ・ビィンチ人体図』を初めて見る。ペランペランは何もかもペリペリ剥いでしまった後にできた空気のような作品ということでできたもの。勤め人になったことのない僕にとって、会社ってのが妙だった。(一般公開はしてません)
●普通の個展
個展終わりました。
5年ぶりだったし
ペリペリは納得ゆく絵になって上等だし
猫も象も可愛いし
坐禅勧めて、やる人増えたし
連日盛り上がりました。
総合して充実したイイ個展だったと思う。
30年以上も個展やってきて
やっと自分の普通の個展ができた気がする。
みなさんありがとう。
●雲
畑を耕す。庭の刈った草が勿体無いので畑のマルチにすることに。猫うんこ防止も兼ねて。
昨日ウツくん(62歳)から数年ぶりに電話があった。体は至って丈夫、家に籠って薬と酒飲んで読書・映画三昧ゴロゴロしている。年金とウツ金で結構な収入がある。働かないアリだ。僕が若いとき、勤め人でウツだったら作りものや草刈りなどの苦労をしなくても年金ウツ金で老後の暮らしができたのに、なんてね。
ところでウツくん毎日ゴロゴロ変わらないかといえば、そうではない。自然の変化があるので歳は取るし、子供は大きくなって学校入るし、来年からは妻方の両親と一緒に住むらしい。
庭の目の前の川向こうの山は緑緑してきている。全ては変化する。しかし頭だけが常や正しいを求め、それが停滞した知識になって蓄積される。人は自分本位の視点からしかものを見ることができない。思い描く青空は雲から見た雲ひとつない青空なのだ。
●切る
今日は玄関側の草刈りをする。庭の草刈りは何よりもリアルだからすごく大切。
草刈りしながら思った。東京五泊六日で一旦家に帰ってきた。近所のヨガ先生に会ったがとても懐かしく感じる。ヨガさんと会うのは普段だって月2ぐらいなもの。だから全然時は過ぎてない。多分僕は浦島太郎のようになったのだろう。繋がりが切れて、切れた感覚で出会うから懐かしい。それを浦島太郎の物語は老いで表現したのかも。『大切』や『親切』は「切る」ってことだ。『切なさ』とは「やり切れない」。だから『切る』が清々しい。『一期一会』と同じだ。個展とは『切る』を沢山味わうところなのだろう。人などガンガン切って、ガンガンいい作品を制作し、ガンガン発表し、ガンガン一期一会。
●手土産
今日は寒い。ストーブつけた。草集め。
ふと思った。個展をするといつもお客さんから御祝いのお酒やお菓子やお花などを頂く。ところが今回は少ない。セコイこと言っているわけではなく、御祝いとか手土産とか菓子折りとかとても大事な習慣なのだ。社会とは貧富に関係なく基本『足りない』でできている。それを知るのが『知足』で美しい世界につながる。これがないと疑心暗鬼、自己正当化、自己主張、自分勝手。奪うだけでは社会は存続できない。多分政治家のキックバック収賄が美しい庶民の贈与感覚を台無しにしてしまったのかもしれない。
それでも、いったい、みんなどうしたんだ?
猫だって人にいっぱい与えてくれるだろう?
SS「忘れたんじゃない」
あっ、そう。