2017年5月31日水曜日

[5999] Non-ego

経済のためには「木を伐る」という提案があるとする。それに対して環境破壊だから「木を伐るな」と言う。伐りたい側は「伐るな側は伐りたい側のやることに反対しているだけで、代替案を出すべきだ」と言う。そんなことはないと思う。木を伐ると言うEgoに対して、代替案は別のEgoに過ぎない。Non-egoが大事だ。
 まぁ喩えが的を得てないかもしれないが、この世界には人為的発展ばかりでなく、無為自然的成長がある。何もしなくても黙っていても子猫は成猫になる。固定された人の思考や観念に頼るのではなく、なんとなくNon-egoに任せることも大事だろう。   
 『プリズム詩』はそんな絵だ。

2017年5月30日火曜日

[5998] 不動明王no怒RI

KONO者ha大勢no人ya社会ni多大na迷惑woKAKE、
身近na人wo悲SHIMASETA事ga解RANAI。
『無知』tohaKONOYOUNA内省gaDEKINAI人no事wo言U。
現実noSONO罪ga実ha不動明王no慈悲深I『罰(バチ)』deARU事ni気付KUBEKIda。

2017年5月29日月曜日

[5997] 撮るということ

今日も作品撮影。
カメラマンの撮る姿勢に感動。
自分の作品の奥深くまでじっくり隅々まで、
きちんと見てくれたような嬉しさを感じた。

2017年5月28日日曜日

[5996] もりわじん書店

今日はマルシェ。
『もりわじん書店』久方ぶりのオープン。
青空の下、芝生の上で、他のブースのうまいもんつまみ食いしながら、
コーヒーを飲んで、
ただただバカ話などする。
 写真はマルシェ帰りに見た水田とレンブラント光線。

2017年5月27日土曜日

2017年5月26日金曜日

[5994] 撮影

今日は『ワガジン7』の写真撮影。
『ワガジン7』の内容は夏のノリタケの個展に出す作品の成長記録のようなもの。最初はパンフレットを作ろうと思ってコンセプトをまとめていたのだが、もはやパンフどころでない春の午後3時のコーヒータイムに浮かぶアートの哲学的考察のような美しく鋭いものになってしまったのだ。これはきちんとした本に作り上げたほうが面白いとワガジンシリーズ第7にすることにした。これまでのワガジンは過去の自分の考えを本にしたものだが、ワガジン7は毎日新しい作品に挑戦する『今』を表している。
 今日の一言「プロのカメラマンはすごく忍耐強い」

2017年5月25日木曜日

[5993] こことそこ

いつも 
いまここなのに 
いつかどこかで 
ここでこそいま 
いまこそここ
ここ
そこじゃないって
ここ
そこ

2017年5月24日水曜日

[5992] 売自奴

『売国奴』とは悪いヤツらしい。
 では『売自奴』も悪いヤツだろう。『売自奴』ってのは自分を売るヤツだね。「自分を安く売らない」という言葉がある。その言葉通り、たった一つしかない自分を安く売るなということだ。どうせ売るなら高いに越したことはない。でも安かろうが高かろうがやはり売っているんだから『売自奴』だ。
 そこで考えてみた。「自分を売らない」って、どういうことか。
「私は偉い」「私は正しい」「私は頭がいい」「私はかっこいい」とかの自分の売り込みをしないことだろうね。売り込みにはこのような直接的な私自慢だけでなく、「私はバカで、ダメっすよ」などの逆売り込みもある。他を否定バカにして自分を上げて売り出すのもある。
 どんな形にしろ、自分を完全に売り込まなくなったら、そりゃあ最高の価値だろう。 

2017年5月23日火曜日

[5991] 全て

夏の個展は名古屋の『ノリタケの森ギャラリー』で8/29から9/3まで。
 タイトルは『プラスマイナスゼロ』だ。
 僕の誕生日が8/28で、その日が搬入になる。父親が死んで気づいた。父親の誕生日が9/4なのだ。つまり僕と父親の誕生日に挟まれた一週間が個展期間になる。面白い!
 ところで僕の作品の第1作目は『猫神様』だ。この作品は僕とSSとの合作みたいなものだ。そして今度は父親の遺言STOPを育て、この世の僕とあの世の父親との合作だね。あいも変わらず僕は誰かに支えられているなぁと思った。
 この世とあの世、プラスとマイナス、これで『ゼロ』だ。
 ようやく『全て』が整った。
 生きている意味がわかったような気がする。

2017年5月22日月曜日

[5990] アート魂

 僕が20代の頃、絵を描いていたら、全くアートのことなど知らない父親が「キャンバスの上に割ったガラスを貼って絵を描くのはどうだ。迫力あるぞ」と自分のアイデアを言ってきた。面白い父親だと思った。
 当時、ニューペインティングという絵が流行していて、アメリカではシュナーベルという作家がキャンバスの上に割った皿を貼って絵を描いていたのだ。普通の人がそんな絵を見たら「芸術は解らない」と決めつけ、自分の狭い殻の中に閉じこもるだろう。父親は既成概念に捕らわれない自由な発想を持っているなぁとその時思った。
 僕の勝手な思い込みだが、一昨日の絵日記の交通標識は、そんなアート魂を持った父親が死に際に発した僕へのメッセージだと思うのだ。『STOP』を育ててみようと思う。

2017年5月21日日曜日

[5989] 月と太陽

皆様、弔電、供花、お悔やみのお言葉、大変ありがとうございました。
●展覧会案内
タイトル『月と太陽の神様』
「山形に月と太陽の神様がやって来るぞー」
もりわじん・市田志保の二人展
場所:村山市 最上徳内記念館
6/16~7/18 2017 水曜休館
 知人に市田志保さんという方がいて、彼女は猫とは関係なく『ツキヨミ』という作品を作っていました。そこで閃いたのが、僕は日本の東、山形生まれで男、アマテラスを祀っている伊勢に太陽に関する作品をこれまで提出してきました。逆に市田さんは西の生まれで女性、偶然にも山形の月山の神であるツキヨミを作っていた。
 昔『西の伊勢詣り、東の奥詣り』と言われ、両方を詣ることで太陽と月、陽と陰がワンセットになっていた。このことから山形で市田さんの作品展をすることにしました。月一人じゃ心細いと思い、太陽も参加し2人展にしました。
 山形に月と太陽の神様がやってきます。

2017年5月20日土曜日

[5988] 遺言

15日、父親危篤の連絡を受け、病院に向かった。帰りに一時停止無視で白バイに捕まり罰金。その次の日に父親は亡くなり、病院からの帰り、交通標識に気を付けながら、思った。父親のあのわがままな性格でボケ介護などになったら周りが堪ったものでない。気疲れでみんな先に死んでしまっていただろう。ところが父親はいつも動いているタイプ、最近まで車を運転していた。サメは止まったら死ぬという。緩和ケアに入って二週間、父親もその通りだったようだ。ある意味誰にも迷惑かけず野生の動物のような潔い死だったと思う。
「止まったら危篤、止まらなければ罰金」、そんなことを考えながら運転していて交通標識に対する興味が膨らんだ。危篤と罰金がなかったらアートとしての交通標識のイメージは捨てられていただろう。これは父親の遺言のような気がした。
 そこで自分の絵である『プリズム詩』にした。

2017年5月19日金曜日

[5987] 火葬

父親を棺桶に入れて火葬場へ
 最後の別れ
棺桶の窓から父親の顔を見て
別れの言葉を言う
母親が僕の前に立ち
父親に言った
「また会おうね」

2017年5月18日木曜日

[5986] 血脈

『血脈』なるものをしにお寺へ。
父親が仏の弟子になる儀式らしい。
 写真は父の子三人。
右から兄、僕、弟。
うまい具合に三人並んだものだ。
こそばゆい妙な感じだ。

あの親父、人の下になんかつかないタイプ、弟子になるかな?

2017年5月17日水曜日

[5985] 生まれ変わり

父親は数ヶ月前、孫がおめでたになり出産予定が5月と聞き、「ひ孫を見れないだろうな」と言っていた。確かに見ることができなかった。しかしよく考えたら見れるわけがない。
 実はひ孫が昨日の夜生まれたのだ。そして写真を見たら、なんと父親そっくり。父親は朝死んで、夜にひ孫に生まれ変わって、またここにやってきたのだ。さすがしつこいオヤジだと思った。
 抜け殻は:明後日19日正午に荼毘、午後3時、ファミリー斎場 村山にて葬儀。

2017年5月16日火曜日

2017年5月15日月曜日

[5983] 父危篤

夜中3時半、何度も電話。仕方なく出たら、弟からで、思った通り父親危篤。持ち越したと言うので、無視して寝る。しかしさすがに眠れない。朝方、車で病院へ。引き籠りのワシは近場の運転はするが、30分もかかる運転はここ数ヶ月、いや一年やったことがない。慣れない運転で弟の言う「棺桶屋」へ。「緩和ケア」というらしいが「棺桶屋」にしか聞こえない。どうせ最後のところだからそれでいいだろう。
 ベッドの上には今まで見たことのない痩せ衰えた姿があった。何かと腹の立つ相性の悪い父親だが、涙が出てしょうがなかった。酸素吸入していて声は出ないが目も耳も頭もはっきりしている。このあいだの雅叙園展示会のテレビ放映された録画を見せる。少しは喜んでくれたと思う。
 あと数日したら父親の中には誰もいなくなるのだろう。
 帰り、不慣れな運転のせいか、寝不足か、少し動揺しているのか、一時停止無視で白バイに止められ罰金七千円取られた。
 写真の絵の辰:父親は1928年辰年生まれ。

2017年5月14日日曜日

[5982] 壁作り

人間は自ら障壁を作り
作ったことを忘れ
壁を乗り越え
解放され
忘れ

2017年5月13日土曜日

[5981] 影

自分の影や悪の部分、闇の部分を除いてみる。
いや、覗いてみる。

2017年5月11日木曜日

[5979] 完全無欠

完全に純粋な苦しみや破壊はない。
創造主がいるなら完全無欠な優しさを持っているはずだ。
大自然があるなら完全無欠の自然治癒力や癒しがあるはずだ。

2017年5月10日水曜日

[5978] 洗い流す

頭にこびりついた埃をきれいに洗い流そう。
ゆっくり時間をかけて宇宙を感じるまで洗い流そう。

2017年5月9日火曜日

[5977] 明暗

明:
雅叙園盛り上がってます。
5月11日、日本テレビNews everyの中で生放送
(16時~16時半ごろ予定)
どうぞ見てくだされ。
暗:
さて影でも描こう、 Schatten

2017年5月8日月曜日

[5976] たまげた

雅叙園すごい入場者。今までにない人の入りで、雅叙園百段階段イベントの歴史を塗り替えたとのこと。ワシはそのようなこと全く希望していないのに、こういうことが起きて思わぬ喜びを得る。不思議なもんだ。そういやこういうことが猫以外でもあった。『金魚の気分』という個展が終わって半年後、ギャラリーから電話があった。何かと思ったら、去年の個展の金魚作品全部買いたいお客さんが来たと言うのだ。たまげた話だった。ワシの才能と思ったけど、考えてみればこの二つの展覧会の世話してくれたのが風呂猫の坂東さんだ。彼はカエルと似ていて、水木しげるの漫画に出てくる猫語が喋れる人間にも似ている。このような思いもよらぬ幸運は多分彼のおかげだろう。いや、違うか、やっぱワシの力か。
SS「私でしょ」

2017年5月7日日曜日

[5975] 夏の個展

新作の作品のための台を大工する。久しぶりに釘をカナヅチで打ったけど、指も打たずにスムーズに事は運んだ。意外と楽しい。
◉もりわじん個展
タイトル:プラスマイナスゼロ
場所:ノリタケの森ギャラリー(愛知県名古屋市西区則武新町3丁目1-36)
時: 2017年8月29から9月3日まで。
「その空間は約20m×8m の真っ白い壁だ。これまでの展示会にはこのような静謐で平面絵画が引き立つ白い壁の大きな空間はなかった。何十年かぶりにアート魂がふつふつと沸き起こり、早速、自分の絵を追求したくなった。自分が『今』、本当に表現したいものってなんだろうと真剣に考え始めた」
 とまあ、去年の夏、こんなきっかけで始まったわけで、これまでにないもの出そうと必死こいて、一年がかりの個展です。今のところすこぶる順調。記憶に留めておいてください。

2017年5月6日土曜日

[5974] 円空

雲の上には大きな地球を覆う円い空がある。
雲の下にも空はある。
僕らの中にも空はある。
たぶん円いはずだ。

2017年5月5日金曜日

[5973] ニュース

Yahooニュース
●雅叙園『猫アート展』が猫好きを魅了するワケ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170504-00169895-toyo-bus_all

2017年5月4日木曜日

[5972] ハラハラドキドキ

チョコビッチがいない! 
暫くしたらカラスの鳴き声。
なんと隣の畑の崖に生えたクルミの木に登ってカラスに向かっている。
見つかって良かったものの、カラスは猫の目を突くヤバイやつ。
それに木から降りられなくなっている。
下は崖で10メートル下方に最上川。
カラスに突かれたら落ちるだろう。
 助けるためにワシが木に登る。
登ったはいいが、チョコを抱きかかえてどうやって降りるの? 
諸共、川に落ちたらどうすんの! 
そこでチョコを陸に投げた。
無事うまくいった。
まったくハラハラドキドキよ。

2017年5月3日水曜日

[5971] ダイヤモンドの一雫

最近よくアップしている『プリズム詩』と名付けたB4の絵。
映画を撮るのに気に入った風景を撮り貯めておくように。
小説を書くのに気に入ったフレーズを書き留めておくように。
ダイヤモンドの一雫たち。

2017年5月2日火曜日

[5970] 今

自分を固定するとき 何々だからと いいわけを言う たかだか 数十年の蓄積 そんなもので 自分を固定できるわけがない 来世がこれでないなら 今それをする

2017年5月1日月曜日