●山川
個展に行ったワハハの佐藤さん
私と同じ山形出身ほぼ同年代
同時代を走り抜けた紙芝居慈悲の人だ
「私の中に山川が山川の中に私が住む」
と感想が届いたので
DMの山川を眺めその文章を読んでみた
四法印の文章全てが山川中心だった
そうか、山川がサトリだね
ふと道元さんの言葉を思い出した
『山を渡り河を渡し時我あり』
もりわじん絵日記
2025年12月13日土曜日
[9013] 山川
2025年12月12日金曜日
[9012] 無言
●無言
随分前にハラリの『サピエンス全史』を読んだ。面白いので人にも勧めているのだが、実は尻すぼみに感じていた。内容がタイトル通り人間中心、それに主旨が物語だ。私の今回の個展のタイトルは『サトリが中心』だ。サトリは本当のことは言えないから物語などない無垢な白紙だ。それにサトリは人間が手に入れられるような小さなものではない。つまりこの世界は人間が中心でも物語が中心でもないのだ。
2025年12月11日木曜日
[9011] 月のウサギ
●月のウサギ
個展会場Room4にはウサギの被り物をして微睡んでいる猫がいる。何故微睡んでいるものを展示したのか、自分もよくわかっていなかった。今朝ふと、昔に読んだ手塚治虫の『ブッダ』の中のウサギの話を思い出した。
『老人に化けた神様がウサギとサルとキツネにお腹が空いているので助けてくれと頼んだ。サルは木の実をキツネは川の魚を捕まえて持ってきた。ウサギは何も獲れなかった。そこでウサギはサルに薪を頼みキツネに火を熾してもらい火の中に飛び込み老人にその身を捧げた。神様はウサギの行いに感動しウサギを元に戻し安心して休息できるように月の宮殿をあげた。今もウサギはそこにいる』
だからウサギは安心して微睡んでいる!
こんな自己犠牲なんてイヤだと感じる人が多いと思うが、手塚治虫は漫画で身を捧げ人々に感動を与えた。つまり手塚治虫はこのウサギなのだ。好きなことで自己表現するとは自己顕示や自己肯定だけでなく自己犠牲や自己否定が伴う。もちろん自己責任も含まれる。この部屋が『諸法無我』だ。
2025年12月10日水曜日
[9010] エロスとタナトス
●エロスとタナトス
数日前の朝、ふとサトリの部屋はエロスという言葉が合うと思った。午後に上の畑焼き陶芸家の松浦さんがやってきた。義理の父親が筋ジストロフィーを患い亡くなった話を聞いた。その時サトリの部屋はタナトスだと思った。あの部屋はエロスでありタナトスなのだ。昔、アインシュタインとフロイトの往復書簡『人はなぜ戦争をするのか?』を読んだ。エロスとタナトスが根源だから、、、とにかくスッキリしない感じが残ったのを覚えている。しかし今回、サトリの部屋のエロスとタナトスは不生不滅で超えたように思う。これで清々したわ。
2025年12月9日火曜日
[9009] 全て
● 全て
2025年12月8日月曜日
[9008] なぜ?
●なぜ?
「よく好きなことやれ」とか人は言う。
けど自分は
好き嫌いや良し悪しは二の次だ。
「なぜ?」という疑問が最初だ。
世界の全ては疑問系でできている。
自分の都合で肯定系にしてたら
せっかくの疑問が勿体無い。
2025年12月7日日曜日
[9007] ノンエゴ
●ノンエゴ
エゴが悪でノンエゴが善
ノンエゴを表現した形が坐禅だ
坐禅するといろんな思いが出てくる
思いとは「あれ欲しい、あーなりたい」など
これがエゴですね
こんな思いはとりあえず放っといてただ坐る
坐禅はやっていて別に面白いものではない
そこに面白いと思う自分はいないからだろう
でも不思議なことに
明日の朝も坐禅ができると思うだけで楽しい
だから今日一日が有意義になる
つまり今日が明日の善の結果なのだ
原因と結果が逆になる
分断せずに同時進行する





























