●家と車
この間、神奈川の藤野からやって来た飛龍くんが私のことを『生き方が全身芸術家』と言っていた。面白い嬉しいありがたい表現だ。そこで思ったのは、私は一生『四無量心(大らかさ)の修行』をしているのだろうと。
住んでいる家は抱っこした猫作品だ。元々家とか車には興味がない。それが必要なら作品にしちゃえばいいと家も車も猫にした。材料費が高い作品だ。作品だから家は川の反対側の遊歩道や最上川舟下りから鑑賞できる。だから私は作品の管理人のようなもの。よくよく大らかに考えてみればこの世界に私のものなど一つもない。
もりわじん絵日記
2024年11月6日水曜日
[8611] 家と車
2024年11月5日火曜日
[8610] 四無量心
●四無量心
『慈・悲・喜・捨』と自分の作品考察。
慈:他人に楽しみを与える:作品ではうき猫ですね。
悲:他人の苦を取り除く:猫神様かな。
喜:他人の幸せを喜ぶ:誕生日猫ですね。
最後の『捨』が意味深い。
捨:良いことも悪いことも執着なく平等に見るという意味。
自分の思考を持ち込まないと言うことだろう。
『慈・悲・喜』は他人へのことだが『捨』は自分のこと。
『捨』は平静に見る心を養う坐禅だと思う。
作品では坐禅に行き着いた剥ぎ捨てるペリペリです。
ちなみに『捨』は『赦』でも『謝』でもある気がする。
自分の思考に捉われず他人を赦し感謝する。
これが大らかさだろうね。
2024年11月4日月曜日
[8609] 得手不得手
●得手不得手
薪割り終了。あんないっぱいよくやった! 次は薪積みだ。
人それぞれ得手不得手がある。得手がその人の才能になるが裏の不得手が大事だ。不得手があっての得手だ。不得手が得手なのだ。
例えばこんな話を聞いたことがある。パッと見た風景を細部まで間違いなくスケッチできる子供がいた。しかしこの子は他人と言葉でのコミュニケーションができない。そこで先生がコミュニケーションできるように教育した。この子がコミュニケーションできるようになったと同時に風景の細部スケッチができなくなった。
彼にとっては細部スケッチがコミュニケーションだったのだ。モグラは土の中にいることで全てとコミュニケーションしているのだ。大らかに観よう。
2024年11月3日日曜日
[8608] 大らかさ
●大らかさ
旅行記『無我の意図』ではインドが面白い。
インドはほんとデタラメで大らかです。
こんなバカな国はどこにもない。
人間の善悪や価値や社会問題は
もうちっぽけなゴミでしかない。
『風の前の塵におなじ』
ここで僕は適当を覚醒した。
本読んで覚醒を味わってくださいな。
とにかく大らかに。
2024年11月2日土曜日
[8607] いい本
●いい本
今日は秋雨。
薪ストーブに火を入れ
ちょいと調べたいことがあって
自分の旅行記『無我の意図』を読み返した。
自分で言うのもなんだけど、いい本だわ。
みんな絶対読んだほうがいいよ。
外の庭のデッキの植物を家の中に入れた。
2024年11月1日金曜日
[8606] AI
●AI
昔、近所のおばちゃんが
最近の子供がキレる訳をさも正しそうに話していた。
僕が「そうかな?」と言ったら、
「テレビで言ってたもん」だった。
未来のおばちゃんは
「AIがそう言ってんだから間違いない」と言うのだろう。
オバチャンだけでなく
みんな知識第一で誰かしらの言葉を信じて疑わない。
これが『知識第一は無知』という証明です。
ならば『知識第一のAIは間違いないわけではない』。
ではAIは自分の無知に気づくだろうか?
無知に気づけば無知で
無知に気づけないなら無知だ。
ショートしてぶっ壊れるかも。
人間はショートして時に悟る。
そしてその焦げ臭さを消す。
2024年10月31日木曜日
[8605] 雑
●雑
うちの猫は雑種。
『雑』は自然のものです。
人間の計らいではない。
坐禅していると雑念が生じる。
これも『雑』だから
人間の計らいではない。
欲望なども全て人間の計らいではない。
頭は身体の一部、頭は猫みたいなもの。
時に猫を多頭飼いすると
他の頭と比較し
嫉妬やいじめなど度を越す。
坐禅は身体が主体なので
猫は足元に落ち着く。