2021年1月18日月曜日

[7326] 窯

 ●窯

窯ルームの屋根の雪がやっと落ちた。

この雪が

窯入れしている夜中に

落ちて

その振動で

窯が揺れて

作品が窯の中で倒れて

壊れたりしたら嫌なので

雪が落ちるまで待っていたのだ。

これでやっと

今年初の窯入れができる。



2021年1月17日日曜日

[7325] ファンの芯

 ●ファンの芯

また煙突のファンが回らなくなった。

今年に入って3度ほど回らなくなっている。

これまでこんなことなかったのに、なぜ?

ようやく解った。

材木ですね。

乾燥完璧なのでいいと思ったが

家用の材木は杉が多い。

スギヤニが問題なのだ。

せっかくもらった材木

まだ1ヶ月分はあるのに

もう燃やすのやめます。

それに新しい問題点に気づいた。

ファンの羽根にタールがついて

回らないのではなく

ファンの芯だ!

歯ブラシや針金で

芯の周りをきれいにする。

これで完璧だ、たぶん。



2021年1月16日土曜日

[7324] 東京

 ●東京

展示会スタッフが東京から車でやってくる。

今度の展示会用に新しい作品が必要なのだ。

東京の人が来るとなると

コロナのでかい塊が

やってくるようなイメージだ。

普段なら一緒に飯でも食いに行き

お茶でも飲みながら

「どう最近は…」と

世間話をするのだが

栄養ドリンクを渡して

「気をつけてね」と

家にも入れず

さっさと帰ってもらった。

コロナで未来の約束もなくなり

時間がいっぱいある。

久しぶりの東京の客人と

のんびりできるはずなのに。

今はこれまでの次元の思考では通用しない

新しい時空の中にいるんだろうと思った。

考えてみれば

いつだっていつもの頑なな概念で

世間を見るようでは

道を失う。



2021年1月15日金曜日

[7323] 未完

 ●未完

絵について。

これまでは漫画のような線描

それを塗り絵的に仕上げていた。

でも今回は時間をかけ

じっくりペタペタ描いている。

飽きたらやめてほっとく。

そうすると目が慣れるのか

前とは違って見えてくる。

そしてまたペタペタやる。

多分完成はない。

だから未完の絵が増えてゆくだろう。

『わ』で完全を作ったせいだろうか、

未完が気に入っている。

これも雪掻きのようなものだ。

いくら雪を掻いても

同じ所にまた雪が降る。

完成はない。

春がやってきて雪掻きは終わる。

絵も春かなぁと感じたら

未完のまま終えのかも。



2021年1月14日木曜日

[7322] 考える人

 ●考える人

とりあえず気に入るまで手直し。

西洋にはロダンの『考える人』という

筋肉質の全裸の男性が考えている彫刻がある。

なんか苦しんでいるように見える。

多分いい考えは浮かばないような気がする。

その点、弥勒菩薩像は

思惟像とは言うけど

考えていない。

頭を空っぽにしている表情だ。

多分『わ』が見えている。



2021年1月13日水曜日

[7321] 弥勒

●弥勒


今年の絵描き初め。

 去年の暮れから絵を描こうと思い、独自の角アールキャンバスを作ったはいいものの、浮かんだ描くテーマがどれもこれも一過性のイメージでつまらない。究極の”完全な『わ』”の図ばかり描いていたので、具象の題材はもうワシにはないのだろうかと思ってしまった。

 ところがやっと描きたいものが決定した。弥勒菩薩だ。一過性とは真逆の56億7000万年後に現れて人々を救済するという長大な時間の仏だ。

 昔、80になった母親が30も半ばすぎて結婚しない親戚の男子を見て「男として弥勒がない」と言っていた。どういう意味だろうと少し考え、あー、「魅力がない」と言っているんだ。でも「弥勒がない」でいいと思った。

 弥勒菩薩の姿では何といっても半跏思惟像だ。やはり人の心の深部に、静かに内面を見る思惟があるべきだと思った。これこそ雪掻きと共通する。写真はまだまだ未完。

 


2021年1月12日火曜日

[7320] 純粋な姿

 ●純粋な姿

しんどいの裏には

それを越えた

無限のエネルギーがあると思う。

それぞれのものや行動の周りに

こびりついている

名声や金やチヤホヤなど

そんなおまけがあるから

それをやるというのでは

そのもの本来の姿も面白みも

解らず仕舞いだ。

否、他の姿どころか

自分本来の姿さえわからず

纏わりついた情報を

さも自分の思考であるかのように錯覚する。

これでは本来の自分ではなく

化粧が自分だと思い込むようなものだ。

あなたの美しさは

化粧のうまさやファッションではない。

あなたの意見は

本当にあなたの意見だろうか?

誰かの思考が

纏わりついているだけかも知れない。

今回の雪掻きで、

なんにも纏わりついてない

純粋な姿を垣間見れたことは大きい。

今後、アートに対する姿勢も

これまでとまるで違ってくるだろう。

いや、アートなども所詮、

纏わりついているものだろう。

少々面白くなってきた感じだ。

さて雪掻きに飽きたら

絵でも描こう。