2023年2月3日金曜日

[8071] 展示会案内

 ●雅叙園百段階段展示会案内

『日々福』366体、埋め尽くします。

◎めでたづくし×百段階段

始まってます。

期間:2023年1月1日〜3月12日(日)

場所:ホテル雅叙園東京 百段階段

https://www.hotelgajoen-tokyo.com/100event/medetazukushi

よろしくお願いいたします。



2023年2月2日木曜日

[8070] 雪下ろし

 ●雪下ろし

今冬初めての雪下ろし。

どどどーと雪崩のように落ちていった。

やったね!






2023年2月1日水曜日

[8069] 上下左右

 ●上下左右

 この前の絵日記に書いた『幸せ〜』の内容が、「政党」などと書いたものだから、どうも誤解されているようなので書き直した。

 ついでにそこんとこ考察した。

 僕は政治経済というものを、上下左右の揺れと思っている。部分である上下左右は中心を得ようとするが、それは無理な話だ。中心は全てであって、小さな部分に捉えられるわけがない。揺れは中心を知らないがゆえに起こるモガキだろう。僕の興味の対象は端っこや部分ではなくモガカない中心というもの。だから坐禅なのだ。









2023年1月31日火曜日

[8068] トリ

 ●トリ

庭に珍しい鳥がやってきた。

お腹がキレイな白色でこれまで見たことがない。

持っている鳥図鑑で調べてもわからない。

ネットでやっと似た鳥を見つけた!

名前を調べたら

『シロハラ』

そのままじゃん!

しかし、本当にキレイな白いお腹だから、

誰だってその名前をつけるだろうね。

*写真は携帯に双眼鏡をつけて撮りました。

一つがシロハラ。

もう一つはシメ、嘴がデカく木の種の殻を割って中身だけ食う。

よく落とさないものだ。







2023年1月30日月曜日

[8067] 幸せ〜

 ●幸せ〜

金があれば幸せになれる。

才能があれば幸せになれる。

美男美女なら幸せになれる。

とか言う

けど

そんなものなくても幸せなものは幸せだし、

そんなものあっても不幸なものは不幸だ。

だから幸せとこれらとはなんの関係もない。






2023年1月29日日曜日

[8066] 展覧会情報

 ●展覧会情報

Cat アートフェスタ

2023年02月08日(水)~2023年02月14日(火) 

9:00~21:00
丸善・丸の内本店 4FギャラリーA

東京都千代田区丸の内1-6-4

よろしくです。



2023年1月28日土曜日

[8065] 坐禅

●坐禅

 坐禅との出会い。

 2020年、コロナ禍でこれで死ぬかもしれないと思い、自分のこれまでを振り返ってみた。

 自分は作家としてこれが自分だと言える作品はあるのか? 答えは「ない」だった。そこで真実の自分の作品を制作しようとアトリエに入った。この時アート制作においての心構えを立てた。

『既成の美術や哲学や思想などを骨格にしない。作品に対する他人の評価や販売など一般世間を介在させない。前提・先入観や目的・目標を持たずに目の前を見る。何にも捕われないように注意しながら進める』など。

 制作した結果、世界のどこにもない図を発見した。これをとりあえず『わ』の図と名付け、言葉にまとめ本にでもしておこうと思い、どうせなら英語にも訳しておこうとアメリカの知人の女性に連絡した。彼女は驚いたことにアメリカの道元道場に通っていた。彼女は現在39歳、去年の暮れに出家した。

 彼女と色々話しているうちに坐禅に興味が湧いてきた。そして気付いたのは『わ』の図の立体作品が坐禅の形に似ていることだった。ここで『わ』の図から坐禅する自分と完全に繋がった。

 彼女のおかげで彼女の師匠の奥村正博さんの著書を読むことになる。奥村さんは僕より九つ年上で近い世代だ。奥村さんが高校時代に読んで感銘し弟子入りした内山興正の著書『自己』を読む。内山さんはクリスチャンであり禅僧というから面白い、考察が深い。そして内山さんの師匠の澤木興道の本を読む。澤木さんは全く濁りのない人間だった。歴史は遡り、道元、仏陀へと繋がる。この濁りない連綿とした流れは実に清々しい。ますます坐禅に興味が増した。

 ちなみに澤木興道の弟子がフランスでレヴィ=ストロースなどに禅を伝えている。レヴィ=ストロースは僕の好きな学者だ。アメリカにはスティーブ・ジョブスが傾倒した禅僧の鈴木俊隆がいて、彼は坐禅を知りたいアメリカ人に、日本に行った時には内山興正がいる安泰寺を勧めていた。スティーブ・ジョブスの好きな言葉「Stay hungry. Stay foolish.(ハングリーであれ。愚か者であれ)」は禅の言葉そのものだ。

 このようなことを知ることで、自分のいる時間・空間が明確になり、時空の中心にある坐禅が人々には必要なのだと気づき、坐禅が自分の日常になった。