●30代
デンマークをメインにアイスランドとインドなどを1年間一人旅してきた女性がやってきた。お店のシャッターをガラガラ上げ下げするようなパワフルな声の持ち主で、一年前に初めて会ったとき、その声の素晴らしさにジャズボーカルになれと適当なことを言った。
彼女の友達もあとでやってきた。山形住んでいるのに偶然にもみんな神奈川出身。彼女らは私が猫を作り始めた年齢に近い。30代は人生の捻りの年齢だと思う。アトリエで絵から坐禅を発見するまでの流れを話した。彼女らは坐禅の発見までの30年間を感動的に吸収したと思う。坐禅しなはれ。何もかもそこから始まるのだから。
もりわじん絵日記
2025年1月14日火曜日
[8680] 30代
2025年1月13日月曜日
[8679] ヤマセミ
●ヤマセミ
エナガ、カケス、モズ、アカゲラ
そしてとうとう待望のヤマセミがやってきた。
(写真:真ん中にほんの小さく)
10年以上前から
たまたま年一回だけしか見ない。
妙ですな。
ほんと稀なる鳥だ。
来てくれるととても嬉しい。
オレ「ヤマセミだよ! ほれ、あそこ、見て」
SS「ヤァ、久しぶり」とヤマセミに手を振る。
オレ「いつものヤマセミより白っぽいな」
SS「じゃあ、息子だ!」
2025年1月12日日曜日
2025年1月11日土曜日
[8677] 安心
●安心
わかるとはすることだ。『ある』をすれば『ない』がわかる。大人の日々は仕事が中心で、それは結局お金のための時間割だ。お金はあるけどなくなるから心配がある。またこれまでの『ある』に新しい精神世界の知識を入れ込んでも、またも元のように心配してしまうのは元が元のままだからだ。安心はないのだ。
翻って『ない』をすれば『ある』がわかる。nothingをdoingでbeing. ないをするのが坐禅だ。だから坐禅はある。
そこで朝食時間などを考慮して早朝4時に坐禅をする。そうなれば睡眠不足にならないように午後9時あたりには寝る。これまでにない1日のタイムスケジュールを坐禅に合わせて組み直すことになる。ここに『ない』から始まる創造が『ある』。ないはなくならない。だから坐禅をすれば確かな安心がある。
2025年1月10日金曜日
[8676] 汗
●汗
雪掻きしていて、すごい発見!
『動くと汗をかく』のだ。
動かない人は汗がわからない。
汗は動いているからこそ出てくる。
汗が元々あって動いたから出るのではない。
もし元々があるなら、それは汗ではなく体液か何かだろう。
『わかるとはすること』なのだ。
本を読む行為は『汗』という文字を知ることはできるが
汗そのものはわからない。
言葉は作り物だ。
やればわかる。
2025年1月9日木曜日
[8675] 尾野寺秀虫くん
●尾野寺秀虫くん
私の顔写真の加工はイラストレータの秀虫くんが大昔にやったもの。ちゃんとしたブックとしてもらったのはいいけど、他人にはあんまり見せたことがなかった。
秀虫くんとは東京時代に画材屋であった。彼は虫好きで多分現在56歳。ホモからモテるタイプでよく誘われる。イラストや音楽を作っている引きこもり。
面白いのは住んでいるアパートの隣の女性のところにフライパンを借りに行って、そのまま結婚してしまった。結構身近なところで完結しているところがおかしい。今どうしているかしら?
2025年1月8日水曜日
[8674] 毒
●毒
昔20代の頃、6畳一間のアパートで絵を描いていた。デカい絵ばかり描いていた。そこに「絵を見せろ」と知り合いの50代のおじさんが同年代の友達連れてやってきた。描いた絵を写真で撮ってプリントしたものが100枚ほどあったので手渡した。2人は我先と相手を肘で押しのけながら写真を奪い合っている。動物が餌を奪い合っているような。私にはそれが驚きで不思議だったのだろう、いまだに記憶に残っている。
今時の人はSNSによって自分の好きしか興味がない。あのようなおじさん達がまたまたいっぱい増えるのだろうか?
心の三毒『貪瞋痴』というのがある。『貪』が「むさぼり、執着」。『瞋』は「怒り」のことだけど「排除、邪険」だ。まさしくおじさん達の振る舞いだ。好き嫌いが『貪瞋』になる。人は好き嫌いに大きく左右されているから知らず知らずに執着・排除をやってしまう。実はそれらは『痴』が元で二つに分かれたのだ。つまり好きも嫌いも『痴』が元。『痴』は無知。世間で人間関係を崩すのが大抵この毒。無知は頭の良し悪しではなく、自己中(自己中は自己中心や自己中毒)だ。説明しても自己中だから自己正当化も自己防衛もできているので無理。無理ならホメオパシーのように毒をほんのちょっとだけにすればいい。
そういや全然関係ないけど、昔、山手線乗っていて『毒』の文字が大きく書かれたTシャツ着てた女子がいた。このように笑わしてくれる程度の毒にしましょう。ならば毒も薬になる。