●出会い
最初の猫祭りを開催し、その後の猫祭りは板東さんに委ねた。
板東さんは7歳上でこの間74歳になった。彼は会った当時、古今東西の消えそうな民芸招き猫を万点近くコレクションしていた。それだけに留まらずアーティストとして芽が出ず腐ってる私を拾って、他のモノづくりの人たちまで集めて、全国に招き猫文化を産業としても定着させた。東京の私専門ギャラリーも彼が作ってくれた。文化とか歴史とか一回り大きな範囲が見えている人だ。この人との出会いは大きい。おかげで道をとことん追求探究できた。
もりわじん絵日記
2024年10月10日木曜日
[8584] 出会い
2024年10月9日水曜日
[8583] 弥勒
●弥勒
母親が「あそこのお兄ちゃんは結婚しようにも弥勒がない」と言っていた。
なんのことだろう?
弥勒菩薩は慈しみの菩薩。お釈迦さんの入滅後56億7千万年後に、この世界に現われ多くの人々を救済する。それまでは瞑想修行中だ。お兄ちゃんに弥勒がないということは慈悲心がないということなのか? 母親が言ったのは「男としての魅力がないんだよ」だった。
ところで弥勒菩薩で気になったのは56億7千万年と言う、途切れない遥か彼方の未来だ。人間のやることはどんなに素晴らしいことでも、どんなに偉大なことでも、どんなに美しいことでも全て儚い。全てあっという間に忘れ去られる。途切れてしまう。寂しいものなのだ。ワシなんか自慢だがこの世に招き猫のブームを作った立役者なのに、今ではただの猫作っている変なおじさん、否、偏屈なお爺さんだ。ガーーーン!
よし弥勒菩薩のように永遠に親しまれよう! それには弥勒のように寂しい心を慈悲心に転換する。それは弥勒菩薩像のあの姿がそれを表している。ただ坐って待つ。慈悲に途切れはない。だから56億7千万年なのだ。これでワシはいつまでも魅力的だ。
2024年10月8日火曜日
[8582] 言行一致
●言行一致
『世界招福宣言』、宣言したからには実行せねば。
私の設計したこの家は夫婦招き猫で、その胎内である庭も寂静の福の時空だ。ここで創作産まれた招き猫は国内外に広がっている。誕生日猫などはまさしく産まれた月日で全人類の誰かしらに合う。つまり宣言通り世界を招福している最中なのだ。これが言行一致だ。
自分が言行一致でないと感じるならまだまだ隙間や余裕がある。埋め合わせすべきことや学ぶべきことややるべき生き甲斐があるのだ。
2024年10月7日月曜日
[8581] 胎内
●胎内
昨日書いた『世界招福宣言』って胎内だ。それで思い出した。そういやこの家がそんな形だと。
家は2匹の雌雄猫が寄り添っている形。だが玄関側は? 玄関だけ屋根が銅板でできている。左右が大腿部、玄関は女性のアレでここから産まれてきたわけだ。
玄関から中に入ってゆけば子宮である庭。池にはスレンやハスが咲き、川・山・空がある。庭は胎内かつ美しきニルバーナだね。庭で振り返れば睦まじき夫婦猫。産まれてきたところが美しく行き届いていれば産まれてからも幸せな心を持つだろう。そんな意識があって寂静の庭造りをしているのかもしれない。
2024年10月6日日曜日
[8580] 世界招福宣言
●世界招福宣言
よく人の名前を忘れる。名前だけでなくめちゃくちゃ面白い話だったのにどんな内容だったか思い出せない。知識や情報は頭からどんどん消えていく。また止めてもいく。若い頃はタバコを吸っていたが、吸わなくなった。食事は一日三食だったが二食、量も昔の半分だ。酒も飲まなくてもいいようになっている。いろいろとこれまで身につけたものを捨てている。忘れる、消える、止める、捨てる…
元々無いところから来て、有るような無いものを得て、それを元の無いに返す。
41歳の時、東京に私の専門ギャラリーができ外の壁に『世界招福宣言』を書いた。今はない。
◎世界招福宣言
『母のお腹の中にいる頃、心の中には何もなかった。いいもわるいも、きれいもきたないも、だから心配もなかった。ただ、とてつもなく長く、とてつもなく巨大な安心があっただけだった。それ以外になにもいらなかった。それが『福』である』 1998年11月14日
2024年10月5日土曜日
[8579] 魂の浄化
●魂の浄化
魂とは無垢で清浄な己、赤子のようなものだろう。
人は言葉に囚われたり、感情に左右されたり、欲に支配されたりする。だから本来の己である魂が叫ぶ。「汚れたもんで覆わないで洗ってくれ」と。
山登ったり草刈りしたり薪割りしたり歩いたりなどの動く行為はやり始めが面倒だ。でもやり始めて面倒20分を過ぎた頃、坐禅は不動でシンプルだから30分過ぎた頃、頭が主役の座を降り、同時に身体が主役に浮上する。清々しくなる。面倒だと思っていたことが面倒で無くなる。面倒=無面倒。それは全てを逆転させるパワーだ。生き抜くパワー。苦を屁とも思わなくなる。魂の浄化=身体の復活。