●浮いてる
久しぶりにもちやかたに弁当買いに。
女将の奈緒ちゃんは楽しい女性だ。
たまに話すといろんな閃きが得られる。
相性がいいのだろう。
お互い世間からは「浮いてる」って言われる。
まぁわからんでもない。
しかし世間の奴らが沈んでいるんだ。
さっさと浮かんでこい!
もりわじん絵日記
2025年4月18日金曜日
[8774] 浮いてる
2025年4月17日木曜日
2025年4月16日水曜日
[8772] なになにのためのなになに
●なになにのためのなになに
「なになにのためのなになに」
人はほぼこれで今を無駄に生きている。
いい会社に入るための学校。
学校がただの踏み台だ。
金持ちになるためのなになに。
成功するためのなになに。
幸せになるためのなになに。
全部が次のステップへのただの踏み台。
そのうち踏み台で命尽きるよ。
坐禅は何にもならない。
「なになにのためのなになに」
ではないからだ。
今は庭の木々の蕾が膨らんでていい感じだ。
蕾は花のためではない。
蕾は蕾、花は花。
2025年4月15日火曜日
[8771] 説似一物即不中
●説似一物即不中
一般的に作品の制作に区切りが付いたら制作年を入れる。私はほとんどの作品に制作年は入れない。作品が完成したようには感じないからだ。それを個展などで発表し、もし誰かの手に渡ったら、私の中ではその年がとりあえず制作年になる。誰の手にも渡らず戻ってきたら、保管し時々何かのきっかけで、ほとんどはそのままだが、手を加える作品がある。でも未完だ、誰かの手に渡るまでは。
人は完成品が好きだ。なぜなら人は未完だからだ。もっと奥には完成があるからその幻影を追うのだと思う。自分もまた幻影を追うためか完成しようと手を加え過ぎてしまう。
今から一年以上前にこれ以上手を加えないほうがいいと感じ、未完のままアトリエの壁にかけておいた絵がある。今回、未完のあの絵を発表したくなった。しかしその絵にはペリペリを施してない。自分のサインのようなペリペリをどのように施すべきか、と考えていて、、、そうかサインだ! そこでこの絵にペリペリサインを施した。すると気分は爽快。最後に目を入れる画竜点睛ではなく、白目と光をペリペリして完成となった。タイトルは『説似一物即不中』とした。
2025年4月14日月曜日
2025年4月13日日曜日
[8769] 大盛況
●大盛況
今回は油絵で重ねるプラスの横井山くん。私の絵は水彩で剥ぐマイナス。反対が混じって太極図を奏でるような。来たばかりの日は旅慣れしてないので目眩がし、二日目はアーティストトークとコレクターさんで目眩がし、今日はひっきりなしにお客さんが来て目眩。とりあえずギャラリーも私らもこの大盛況に大喜び。明日帰るのでひとまず黒うどんのお店で打ち上げ。実に美味かった。いい展示会だったわ。