2013年10月31日木曜日

[4291] ヌルキャラ

ガールズ農場さんが美味いものを作ったから試食してくれという。しかしワシが試食してもワシの意見が一般意見だなんてある筈がないだろう。腹減ったガキにもの食わすようなもんで、かなり不味くない限りなんでも美味い。
 10/10にガールズ農場に暇つぶしに顔出し、里芋から生まれた頼まれてもいないアイデアのヌルキャラを彼女らに見せようと午前中絵付けした。これって何でツノを生やしたのだろうと思いながら絵付けしていて、色のバランスとして黄色がいいだろうと塗った。できあがりコーティングしてガールズに見せたら言われた。「頭のツノってオクラじゃなかったけ?」「そうだオクラだ! 黄色いオクラってある?」ってガールズに聞いた。「ない」だって。
 ヌルキャラの生活:納豆の藁の中で寝る、なめこ汁のお風呂が大好き、彼女がとろろ。
 こっちの試作品はいいとして、とりあえず向こうの試作品は面白い素材で美味かった。

2013年10月30日水曜日

[4290] ホモ

うちの古株の男共は人前でも憚らずぬくぬくと抱き合って寝る。思い起こせば数年前、白い方の猫が近所の犬かぶれから迷子猫を貰ってくれと言われ、貰う。貰ったは良いものの犬みたいにでかいのでポチ君という名前にした。性格は何か隠している二面性がある。例えば僕らの前では良い子の振る舞いなのに、裏でタバコ吸って僕らの悪口言っているような。黒い方の猫はあの夏目漱石の『吾輩は猫である』の子孫で、イゴ。ポチ君の1年半後にまだちゃんと歩けない生まれたての子猫でやって来た。当時うちには二匹のメス猫がいたので、彼女らがイゴを育てるかと思い気や無視。そんとき手を挙げたのがポチ君だ。SSはポチ君がイゴのうんこやシッコを食べ飲み、出ない乳を飲ませているのを見てポチ株を上げた。ワシは裏に回ってイゴを食べるんじゃないかと疑っていたので、留守のときは別々にした。甲斐あって上手く育ったが、写真のようにホモになってしまった。

2013年10月29日火曜日

[4289] テレビ

ワシは久しぶりに自分というものをテレビで見たけど、生意気なジャンキーって感じだった。あれじゃあ、制服を着た女子にはモテないと思った、気を付けよう。ところでさっきテレビに出て自分を見たピニャモ、興奮してました。ヨゾは撮影された筈なのに、全然出なかったことに腹立ててふて腐れてわがままな子になっています。呼んでも返事しません。泣いているかもしれません。
 まあ、お祭りお祭り、皆さん少しだけでも心ほぐしてくれましたか?

2013年10月28日月曜日

[4288] 筋

秋晴れっすね。ガンガン薪割るぞー。
 昨日のファッションではクソ暑すぎるので、今日はTシャツに手ぬぐいといつもの格好。まっすぐな木は斧を一回振り下ろせば、パカッと割れるから簡単、清々しい。それでも全身を伸ばして一気に振り下ろすので、割れて土台に斧がグサッと刺さった瞬間、手首と前腕筋にダメージがくる。写真は昨日のコマ撮りの一部分で、斧を振り上げるとき、足が地面から離れる程、身体を上に伸ばすわけですね、ってワシ、何、解説してるんだろう。
 とにかく、今朝の薪割りで左腕の筋がオカシクなって粘土いじりが困難になってしまったという話しです。無理は禁物だね。せっかくの楽しみなのに、できなくなったらつまらないからね。

2013年10月27日日曜日

[4287] 薪割り

今日の天気はワシをじらしている女心のようだ。太陽がデカデカ輝いたり、天気雨になったり、止んだり、降ったり、振られたり、喜んだり、悔しがったり、入れ込んだり……。でもそろそろ止むだろうと薪割りの準備をする。久しぶりの薪割りなので格好から入る。近所のケーキ屋さんの薪割り姿を去年見た。あまりに絵になるオシャレさんだった。心の中にワライタケが生えてきて吹きそうになったが飲み込んだ。
 そして今年、目の前の山ほどの薪を見る。なるほど、やはり格好から入るってのはいい手だ。さすが先輩だ。持っている服からそれっぽいのを探す。501のジーンズ、皮のベスト、カーボーイハットを身に着けた。
 写真はスパッと割れた瞬間です。

2013年10月26日土曜日

[4286] 空から

写真は模型じゃないよ。
 今月29日の火曜夜8時、BSジャパン『空から日本を見てみよう+』に、ギネスに載ってもおかしくない東北を救った世界一大きな夫婦招き猫の立体作品が出ます。(ワシが住んでる只の家だけど、確か救った筈だ、間違いない、間違いならこれから徐々に人々の内部にその救われ観が滲み出てくるだろう、と思い込んでいる)
 これを撮影しているときは個展前で忙しく、急遽インタービューされてしまい、何喋ったか覚えてない。あとはワシが留守している間に勝手に撮影してくれと、放映する約束もせず時は過ぎた。だから放映は無いだろうと思っていた。ところが放映だって。見てね。
 予告編http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

2013年10月25日金曜日

[4285] 救世主

薪割りしたくてうずうずしているのに生憎の大雨。仕方ないから、仕事でもスッカ! しかしワシの内部には薪割りの満ち満ちたエネルギーが爆発寸前だ。ただ粘土いじっても発散されるわけがない。そこで雨の音を聞きながら暫し瞑想し、考えてみた。
 ワシは招き猫で日本を救った(そんな評価はないけど)。この間の『超化』作品で世界の人々を救った(誰も知らないだろうけど)。ギネスに載ってもおかしくない世界一大きな夫婦招き猫の立体で東北を救った(ワシが住んでる只の家だけど)。
 さて、救世主わじんとしては次はどこを救おうか? いろいろ考えたけど何も出ない。まあ無理に頑張ってもな、「足るを知る」ことも大切だ。なるようになるさ。ということであまりに暇なので『ひ馬(ひま)』という馬を作った。

2013年10月24日木曜日

[4284] 薪運搬

やっと薪の玉切りが終了した。今日は玄関側や公園側のを運び庭一カ所にまとめた。イヤイヤこれって5〜6年分はあるんじゃないかしら。数年、冬の間は只でぬくぬくできるわけだ。ガハハハ凄く嬉しい。それに毎午前のこの仕事が好きになってきていて、もう目が覚めた時点で早く庭に行ってチェンソーをやりたくなるのだ。チェンソーの切れがいいと刃を研ぐことも楽しい。やる前は伐採した木が庭に山積みされているのを見る度、少し気が滅入っていた。刃を研ぐなんて考えただけでため息が出たよ。今は、太股の筋肉までピクピク喜んでいるさ。
 さてと、明日から、オノで薪割りだ。パカパカいくぞー。この世に捨てる木などあるものか! 昨日話していた『生命系』に頭も身体も移動した感じだね。
 こういう日は粘土いじりも気合いが入って順調さ。

2013年10月23日水曜日

[4283] 生命系2

人間は生命系に含まれる。その生命系の身体の周りに非生命系の服をまとい、非生命系の住居に住み、非生命系の乗り物で移動し、非生命系から生まれたエネルギーを使用し、非生命系の会社で働き、非生命系の仕事をする。ここまではまだよかった。基本は生命系だったからだ。ところが最近は非生命系が生命系を利用商品化している。地球という生命系があっての非生命系という文明社会だ。生命系>非生命系という構図だ。
 ところで今起きている多くの問題、トイレのないマンションと言われる非生命系から出るたくさんの無駄な廃物、放射能、ゴミ、災い、イヤな予感、これらが社会のストレスとなっている。非生命系の立場から生命系を考えているからだろう。生命系のトイレの廃物は菌が分解し、植物の食べ物となり、植物は動物が食べるから無駄がない。まずは生命系の位置に立ち、全体を眺めなければならないと思う。
  写真の猫は佐藤錦という名前でもなく、デブだから体重が1kgなわけでもないのに、そう訴えて泣く図。

2013年10月22日火曜日

[4282] 生命系

チェンソーの刃を研げば長持ちするし、無駄もない。では一番大切な『生命』はどうだろう? と考えた。
 長持ちのために、病院通うにしても保健に入るにしてもなんとなくそれ自体が無駄な浪費だ。ところで工業や情報産業は非生命系と言われ、生き物と関わる農・林・魚などが生命系と言われる。非生命系においては人間まで物扱いで年齢・体力・能力・時間などが金で買われる商品だ。まあ、こういう社会に身を置いているわけだからしょうがない。ストレスもたまる。
 そこで発見。非生命系の反対の生命系の生きものと深く関わればいいのだと。それにはシンプルに動植物を育てるのがいい。いろんな意味で無駄が削減される方向なので、精神的にはストレスという無駄もなくなる。そうなれば動植物は生命のサイクルをくるっと回って僕自身を長持ちするように育ててくれることになる。
 長持ちしない最大の理由はストレスだから。
 

2013年10月21日月曜日

[4281] 水

最上川が庭の先にあるので庭好きとしては否応無しに毎日見ることになる。最上川の風景はまったく同じときはなく日々刻々と変化している。今日は昨日の大雨のあとなので茶色に濁っている。最近世間では水難など水についてのメッセージが非常に多いと思う。
 僕らも猫も身体の半分以上は水で、乾いた砂漠にだって水分が7%も含まれていると言う。水は止まったら腐る。だから生命体としては動き続けるわけだ。とにかくこの青い地球は水だらけなのだ。人間はこの動きまくっている水だらけの基盤の上に人間社会という金の回る小さなシステムを作って胡座をかいている。最近、人間は文明船を原子力船にして自然から分離した自閉症のような要塞を作ろうとしている。それも水の流れを知り極めた腕のいい船頭のいない船だ。『ノアの方舟』のノアも、『大乗仏教』(大乗は大きな乗り物のことで、ときに船に喩えている)の仏陀もこれを心配したんだと思うな。
 写真はトイレの手洗いで、ここの水はどこへ? 左のガラスクジラは永遠の時間を、右のガラス板は宇宙空間を表現したつもりです。

[4280] ソバ祭り

今日は新庄市で『キトキトマルシェ』があり、誘われているので行こうと思っていた。目の前の吊り橋の向こう側の伝承館では、そば処である村山市の『長板ソバ祭り』がある。これはギネスに載っていると言うのだが、競うところが世界のどこにあるのだろう? 吊り橋のこちら側ではガールズ農場の里芋掘りなどがある『体験芋煮会』があるという。
 朝、歯を磨きながら公園の駐車場を眺める。ソバ祭りの係員がカッパを着てお客さんを待っている。ガールズの旗も見える。僕も庭でいろんなことやるが、なんといっても一番の心配は雨だ。今日はその心配である生憎の問題の雨。みんな大変だなぁとつくづく思う。
 しょうがない、神通力で、雨、止めるか! ところが力及ばず、断念。
 そこでパン屋NOUKAの店の中でやる芋煮会に参加することになった。楽しかったさ。
 写真は雨の中の『長板ソバ祭り』。これからソバが乗る。

2013年10月19日土曜日

[4279] 香り

玄関側の薪の玉切りも終え、次は吊り橋側。こっちのは近所の庭木で、介護のために庭を駐車場にするとのことで伐採した木だ。太い木が多い。切っているとき、とてもいい香りがする木があった。リンゴの木もいい香りがするが、それとは違う、この香りに包まれていたくなる。なんだろう? どこかで嗅いだことあるような? あ〜!、ターペンタインだ! テレピンだ。松の木だ。油彩に使うもので、昔けっこう好きだった。しかし、あれとは違って生の香りは実にいい。そういや川の向こうの河島山の松が幾つも枯れていて今大勢で伐採している。もう山はターペンタインの香りでいっぱいだろう。おじさん達はラリッてハイだと思うな。行楽で登っている家族連れもハイになっていることだろうね。

2013年10月18日金曜日

[4278] クルミ割り

薪割りもしなければならないけど、今日は天気がいいのでクルミ割りです。実は今年のクルミではなく去年のいまごろ拾ったクルミ。
 去年、すぐにも割ろうと火にかけ少し裂け目を入れておいた。火にかけたものだからもはや生のクルミではなく、ちょっとだけど焼いたものになっている。生のクルミは種だから何年でも生きているような気がするが、焼いたものなど長く持つわけがない。すぐ割らねばと思い出し、割ろうとしてやり損ねて、長く忘れて、また思い出して、割ろうとしてやり損ねの繰り返しで一年が過ぎてしまったのだ。今日、とうとう割った。
 割りながら食ってみて、オー、いけるじゃんとパクパク食う。普通のより甘いのがときどきあるのは、いったいどういうことだろう?

2013年10月17日木曜日

[4277] 輪廻転生2

衣替えです。廃校した小学校で手に入れた階段を部屋に入れ、外の植木などを置く。背を伸ばし庭を見、山を見、空を見、宇宙の彼方をボーッと眺める。
 都会にいる頃、故郷を懐かしく思った。宇宙の彼方に思いを馳せていると、何故かその懐かしい思いと似ている気がする。僕の内部には太古の彼方から進化した全てが含まれている。その太古の彼方に思い馳せて感じる感覚とも似ている。彼方同士が共鳴しているようだ。いやいや、大脳皮質が壁になって邪魔しているだけで、太古の彼方と宇宙の彼方は同じものなんだと思う。太古の彼方から宇宙の彼方という大空間に僕らは存在しているのに、ちっぽけな人間社会のいざこざしか見えないのだろう。人間の目を閉じ、寝返りでも打てば、まるで違った風景が見えるのだと思う。それが輪廻転生かも。暫くは人間でいいけど、もう少し広い心でものを見ようと思う。
 写真は右端の『金魚の木』のアップ。彼女は金魚だったことが忘れられないのかもしれない。

2013年10月16日水曜日

[4276] 輪廻転生

台風だし、とうとう薪ストーブ。ぬくぬくしながら思った。
 『輪廻転生を否定する理論はない』
 僕はたまたまだけど、人間を50年以上もやってしまった。物心ついたとき、周りに蠢いているのが人間と気付き、それを手本に成長しようと長い年月試みたが、イマイチだった。我利や修羅や餓鬼や極道ばかりで、真似ても後味悪いのだ。それでは真似などせずに、どうなるか解らないけど、イマイチなやつらでないものに向かってみようと努力した。イマイチを超越した者に成れるかもしれないじゃないか。
 振り返ってみると、超越しはしなかったかもしれないが、来世に向かってのいい勉強にはなったと思う。後の半生は鳥だった記憶を呼び覚まし『飛ぶ鳥跡を濁さず』がいいだろう。自分が自然破壊した分ぐらいはチキン、否、キチンと元通りにしてから、この世に存在してなかったかのごとく、そっと次の生に移行したい。
 ところで次の生はなんだろう? イマイチでなければいいけど……

2013年10月15日火曜日

[4275] ベゴ

薪の玉切りしているところにやって来た近所のジジィら。「チェンソーの切りくずがしっかりしている。音もいい。なかなか研ぎがうまいねぇ」と褒められた。じゃあお茶でもどうぞと飲んでいたら、また一人やって来て、お茶会みたいになった。
 昔、田んぼの畔におばちゃん達がおにぎり食べているのを見て長閑でいいなぁと思っていたことを話すと、「ベゴ(牛)連れて田んぼに出かけて、おにぎり食って、昼寝までして、夕方まで帰らない。するとベゴに血を吸うハエ(サシバエ)が集る。尻はシッポで、腹は足で払う。でも顔に付いたハエはどうしようもない。それも目の周りに集中して集り血を吸う。だから陽も沈みかけて家に帰るときは、ベゴはシッポ振って喜んで早足で歩いて帰ったよ」
 お百姓さんと牛の関係が僕と猫の関係のようで楽しかったが、同時に福島のお百姓さんと牛達が過り、切なくなったさ。(知性に偏ったものの見方をする理性的な輩は、この感情をセンチメンタルと見下すが、違うよ。もっと深いぞ)

2013年10月14日月曜日

[4274] 雪の常夏

庭側の薪の玉切りは終わり、次は玄関側。この木は栗だろうか、太くて固くてうちのチェンソーでは困難。新しい大型のチェンソーでも買わなきゃダメかな? そうなると光熱費である只の薪が工具で経費がかさんで、せっかくの薪生活も贅沢なものになってしまう。悩みながら、昨日念入りに刃を研いだわけだ。そしたらなんと、あんなに切れ難かった太っとい木がすんなり切れた。すごい! やっぱ道具は大事に使わないといけないね。そういやこの間親父が凄い切れ味のいい剪定鋏で剪定していたので、どこのと聞いたら、30年も研いで使っているものだった。そういうものなのだ。それにこの木はさくらんぼの木のように節や枝がないので、斧で薪割りしたときもスパッと切れるだろう。それを思うと楽しい。
 木はパカッと割れて、ボッと燃え、ここは雪景色の常夏になる。

2013年10月13日日曜日

[4273] 上前


自由投資とかファンドとか外国為替ってなんじゃろ? そんなに幸せなものだろうか? 
 胡散臭いのは、企業を助けるような真っ当なフリして悪根性の奴らが上前を撥ねる仕組みがある。あぶく銭というものはたまたま入ったお金なわけで、頼っちゃいかんだろう。ところがそのあぶくをわざと作って大儲けしようなどと企む。あぶくを作ってあぶくで稼いであぶくのような生活を求める。足長おじさんになろうとしてもあっぶくぶくの身体でダメだったりして。ワシは短足だから始めっからダメだけど。
 例えば、森を守って得られる山菜などの利益よりも、伐採して牛でも飼ってハンバーグにでもした方が儲かる。人はどんどん肉を食うので、森が再生することなくどんどん失われる。森だけでなく生物資源の宝庫である海や山・川、田舎の風景も失われる。自然破壊だけに留まらず、次に狙われるのが企業だ。企業の上前を撥ねるわけですな。真っ当な企業も生物資源と同じように失われてゆく。法律に守られたユスリタカリが蔓延る。そういや働きの悪い政治家は上前撥ねた税金で食っている……
 ふ〜〜ん、どう考えても、つまらん人生だと思うけどな。さてと、チェンソーの刃でも研ごうっと。 

2013年10月12日土曜日

[4272] 共生と強制

スイレンは二種咲いているけど、これで今年は終わりだろう。もうすぐ冬だし、雪になったら助け合って生きないとね。  
 そういや先頃、電車で人を助けて亡くなった若い女性がいた。いつの時代もどんな成功者よりこのような美しい勇者の行動に人は感動する。
 地球の歴史では大量絶滅ってのが五回ほどあって、よく知られているのが恐竜の絶滅だ。ある生物学者曰く「絶滅の後には新しい共生進化が起こる」と。利己的精神が絶滅を生むので、それの反対の利他がいつの時代も復活を生むんだろう。しかしいきなり共生進化などが起こるわけでもないから、たぶん絶滅前の長い年月、そして絶滅してからも利他や共生が至る所で起こっているんだろうと思うな。
 そして現代を眺めてみると、あっちこっちで些細な利他精神を含む経済は二の次のようなマルシェや市やフェスなどの共生協力場ができている。ユルキャラなんて言うのも強者と経済スピードの行き過ぎに対するアンチだ。
『共生』は人間として受け入れるけど、同じ読みでも『強制』ではね……

2013年10月11日金曜日

[4271] ヌルリヒョン立体

昨日のヌルキャラ『ヌルリヒョン』を粘土で立体にしてみました。
 制作段階で、ウナギってのはどんなシッポしていたんだっけ? と思い、本物のウナギをインターネットで見ればいいのに、参考にしたのは赤塚不二夫大先生のウナギ犬のシッポでした。
 粘土いじっているうちにこの生物の生態などを考え始める。たぶん納豆を醗酵させるワラの中に生息し、納豆のような卵を産む。納豆と区別がつかない。成長は里芋頭の皮をむきツルッと中身が出て脱皮して大きくなる。脱ぎ捨てられた脱皮は頭が『芋煮会』で食され、身体は『ひつまぶし』になる。土の中に足を突っ込んで里芋の子を増やすので、ヌルヌル子宝野菜として重宝される。耳を触ると「オ〜クラクラ」する。

2013年10月10日木曜日

[4270] ヌルリヒョン

朝、薪の玉切りを一時間。それから歩いてコーヒー豆を買いに、ついでにガールズ農場による。ほうれん草の出荷準備をしていた。
 また庭で『スイカ三昧』のようなイベントでもしようよと声かけたら、次の野菜は『里芋』だと言う。里芋はヌルヌルするので、ヌルヌルをテーマに長芋や納豆、うなぎ、オクラなど、ヌルヌル料理を集めて『ヌルヌルガールズ』でもやろうかと言ったら、断られた。
 まあタイトルは後で。ゆるキャラならぬヌルキャラを考えてみた。身体がウナギで顔と足が里芋、耳がオクラだ。名前は『ヌルリヒョン』。ヌルヌルじゅるじゅるつるつる音を立てて勝手に人の家に上がり込んで、只通り過ぎて帰るけど、キヌカツギに引っ掛けて縁起を担ぐかなりいいヤツ。
 そういやこの辺りでは風邪ひかないように擦った長芋を玄関先に置く風習がある。

2013年10月9日水曜日

[4269] センス

「センスがいい」って言われるのは、頭が良いや金持ちって言われることより嬉しい感じがする。
 このセンスというものの源は二種ある。目や耳、手などの外感覚、これは美術や音楽に繋がる。それと胃や腸による不快や快の内感覚、これは解放感や満足感に繋がる。この内感覚が表面に出たのが『舌』だ。この舌感覚が最初に培われるのがおっぱい吸いだ。おっぱい吸いは母親との精神の流れを知覚するので自分以外とのコミュニケーション感覚を養う。
 ところで哺乳瓶で牛の乳を吸わされるということは、母乳ではなく牛乳だ(乳首はゴムかなんかだし)。母や乳母の代わりに乳牛、その牛を肉として食らう。母や乳母を食うようなものでは家庭崩壊でしょうし、人を食うなんて人類も崩壊でしょう。
 赤ちゃんのうちからいいセンスを養わないとね。

2013年10月8日火曜日

[4268] 施無畏

今日はSSの誕生祝い&パン屋の子供が生まれて一ヶ月、世間に初顔見せの芋煮会パーティを豪農の家で行ってもらった。この赤ちゃん、普通なら握る手を寝ながら広げて『施無畏印』と『説法印』の形をしていた。『施無畏印』は恐れを取り去り救い、『説法印』は真理を説く。いい形を見せてもらった。外国には悪い意味の手の形がある。日本にはこのように美しい手の印があることが誇らしい。ありがたやありがたや。
 それにしてもうまいものを食った。築地から取り寄せたウニにマグロの中落ち、これらは美味いに決まっている。それにイワナの薫製、これがなんとも珍味だった。
 キクラゲがなかったのは残念だが、満足じゃ。

2013年10月7日月曜日

[4267] キクラゲ

ヤバいものを発見してしまった。
 午前、薪の玉切りを一時間、その後温泉で汗流しながら青い空に浮かぶ白い雲を見て忘我する(ついでにいろんな過去の記憶まで少しなくなってしまった感じ)。それから農業を始めたばかりの若夫婦から頂いた取れたての新米で昼食。ここで発見したのだ。ワシ、写真の真ん中の控えめなキクラゲのカラシ醤油がとことん好きなようだ。叫びたくなるほど「大好きダーー」。夏のところてんは二十代から好きで、風呂上がりのピールと同じくらい好き。それに秋のキクラゲが加わった。この二つの共通点はカラシ醤油、ならばカラシ醤油で何でも食えばいいかと言うとそうではない。この二つはカラシ醤油で味覚と食感が最高潮に達するのだと思う。ところでこのご飯もうまいし、ん? 秋だからか? なんでも美味いぞ! でもキクラゲーーーーーが最高だ!

2013年10月6日日曜日

[4266] リュックサッカー

『リュックサックマーケット』なるものがあるというので、どんなものかと自転車で駅近い街に出かける。秋の日射しと風が心地良い。手作りしたものや家の中にあるいらないもの、秘密の掘り出し物などをリュックサックに入れた若い男女が数十人、道路や公園を行ったり来たりしている。道ゆく人はこれと思ったリュックサッカーに声をかけ、路地裏に入って取引をする。
 僕はリュックサッカー美人に声をかけた。彼女は僕の袖を取り、人気のない路地裏に連れて行き、リュックに手を入れ、中から一枚の紙を取り出した。そこには『目の写真』と書かれていた。
 帰りに公園に変なベンチがあった。意外と座り心地がいいからこういうデザインかと思って下を見たら、普通のベンチが雪で座る部分と背もたれが折れ曲がってしまったみたい。凄いわ。

2013年10月5日土曜日

[4265] 支配人

伊勢瀬戸の旅の疲れを癒しに、温泉に行ったら、外に伐採した木が積んであった。受け付けに声かけたら、温泉の支配人さんがやって来て「どなた?」「猫の家」「オー、あの方」「そう、それ」「材木を?」「ストーブの薪に」「どうぞ。今度家を見たい」「どうぞ」で話しはまとまった。夕方、友がやって来たので薪運びを手伝ってもらい、軽トラ二杯分の薪が手に入った。もう一度、温泉に行きたいほど汗かいてしまった、行かなかったけど。薪が手に入ったのはいいが、これから先、玉切りに薪割りとまた難儀が待っている。
 写真は昨晩の夕焼け、窓から外をのぞくピニャモです。
 

2013年10月4日金曜日

[4264] 動物園

9月に制作終了し展示した大作の石膏型をばらして軽トラに積んでゴミ収集場に行ったら「こういうのは産業廃棄物であって、うちは家庭用のゴミしか扱わない」と言われ追い返された。ではどこに行けばいいのと聞いたら、業者の連絡先の載っている紙をくれた。そこには僕の作品を持っていて僕の絵日記をいつも読んでくれている運送屋三原さんの名前があった。ということで石膏型を持ってそこに出かけた。帰りに動物園があるというので寄る。どうせ鶏とブタとひつじとアヒルなどの家畜だろうと思ったら、なんと! 熊、サル、キジ、ふくろう、キツネ、鹿、孔雀、キリン、ゾウ、サイ、トラ、ライオン、カンガルー、ペンギン、パンダ、クジラ、ゴジラ、キングギドラ、ラドン、モスラ、ペソラ、エイリアン、白人、黒人、中国人、三原さ〜〜ん、まけてね。

2013年10月3日木曜日

[4263] 頭と身体

『頭』は自己中だから全体から離れた部分だ。部分は全体が見えないのでバカだ。バカだからか、『頭』は『今』や『ここ』に満足できなくて、いろんな情報を集め『ここ』でないものばかり追う。リコウぶって思考を使えば仲間が増えて全体になれると思い込んでいる。ほんとうは全体になりたいだけだと思う。それに比べ『身体』は『今』や『ここ』を知っている。『頭』が退けているので、邪魔がなく、『身体』にとって自分以外の全てが一つの『生命エネルギー』のような感覚で繋がっていることを、『身体』で知っている。『身体』はもはや全体なんだ。『頭』は自己中だからなかなかそれに気付かない。『身体』は譬えれば、周辺や田舎、水や空気、山や川や海や太陽や月や星々、巨大な宇宙なんだろうな。
 ちなみに『頭』は『身体』に比べすごくちっちゃい中央の金稼ぎに夢中な政治家や原発軍団かな。
 写真は少女の『頭』が悟ったかして、一輪挿しになっています。花ではなく乾燥したハスの種だから、まだ悟ってないかもね。

2013年10月2日水曜日

[4262] 思考

さてと秋の猫祭りも終え、次は薪割りです。(面倒だ。イヤだ。金稼いで人任せにしよう。割らずに買おう。暖かい地方にでも住もう)などの思いがちらっと過る。そんな甘い罠の思いが過りそうだと感じたら、それらを振り切るよう、思いっきり立ち上がり、作業着に着替え、山のように積まれた薪から無作為に一本を掴む。もうこれで正しい方向に舵は取れた。あとは何も考えず誰かが通ったような夢でない透明な道を歩む。
 「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」byマザー・テレサ


2013年10月1日火曜日

[4261] 不変と変化

写真が今の猫祭りが始った東京は三軒茶屋の場所だ。ギャラリーから路地を撮影した。僕だけの歴史の一ページにしかならない第一回目の猫祭りを催した10畳ぐらいの狭い所だ。食えない作家40人ぐらいを集め、『猫』をテーマに作品展でもしようと。このとき既に『おみくじ猫』や小さい『猫神様』などができていた。今回の伊勢や瀬戸のやっていることと規模は違えど、まったく同じことをやったいたのだ。
 久しぶりにこの界隈を歩いた。街並は新旧入れ替わっているけど、歩いているうちに昔とまったく変わりないことに気付く。何も変わっちゃいないのだ。
 それと都会と田舎の見えない大事な部分を明確に感じたような気がする。