2014年6月30日月曜日

[4933] 真っ只中

大雨。庭の草木が喜んでいます。ワシも水を撒かなくていいので喜んでいます。
 ところで池のところの日除けだが、雨が霧状になって入ってくるし、日除けに染み込んだ雨が滴り落ちる。これでは服を着てここに居られない。まあ風呂上がりのあとの裸でビール飲む瞬間だけだからいいんだけどさ。頼りがいがあると思ってた日除けも頼りなかったてわけだ。
 やはりどんな人間もその人間の思考によるアイデアや物も何もかもが頼りないってことですね。頼りないってことは、別に悪いことではなく、当たり前のことだってことだろう。人間は無理に頼るものを作ろうとするから、しっぺ返しを食らう。
 当然のこと、何もかもが壊れるし、朽ちるし、変化する。天候だって、ずーっと雨も、ずーっと晴れも、ずーっと雪もない。自分だって、ずーっとそのままではない。変化の真っ最中なのだ。雄大な流れの真っ只中なのだ。ドンと来い!

2014年6月29日日曜日

[4932] 焙煎

この間の庭でのインド祭りでハワイのマウイ島のカアナパリコーヒーを貰った。もう焙煎してあるもので、飲んでみたが、湯を入れた時に膨らまない。
 いつもは近所の豆まろさんで煎りたてのを買って飲んでいる。そのときは膨らみと香りがなんとも言えない。今回貰った豆はほとんど焦げていず、ミディアムローストって感じ。もう一度焙煎したら香りと膨らみが味わえるのでは。
 はたと飾りものになっていた貰い物のアルコール焙煎機を思い出した。洗ったり油差したり準備し、豆入れて、火をつけて、15分ほどゆっくり回し、煙がでてきて、パチパチ弾け、火を止め、あとは余熱。フルシティローストぐらいになった。初めて使ったがなかなか面白い。こんな時間のかかることやっても楽しめるようになった自分に驚いている。こういうゆったりした時間が大事なんだなぁと思う年頃かも。缶コーヒーじゃ、この全体的味わいがない、ダメっすよ。津久井のカチーノさん焙煎機あんがとね。
 さてお湯を入れてみる。オーー、膨らんだ。味はまあ美味い。次はシティローストぐらいにしようっと。

2014年6月28日土曜日

[4931] 馬

近所に乗馬ができるところがあるので、昼飯ついでにちょいと寄ってみる。
 この間の上野動物園のキリンやハシビロコウもそうだったが、馬もド迫力の存在感がある。初めて知ったが、目は真っ黒い瞳の中にひつじと同じように横向きの瞳孔があるんだ。猫は縦型の瞳孔だし、不思議なもんだ。鼻の穴がでかい。またエラ骨も思ったより大きく、左右のエラ骨の間の喉の方は窪んでいる。などなど、いろんな所が新鮮な驚きで、今まで何度も粘土で作ったが、まだまだわかってない。馬に乗るまで数年かかりそうだ。
 しっかし馬って優しい目をしているんだなぁ。ワシもよく人から優しい目をしていると言われるが、やっぱり優しいんだろうね。ガハハ……

2014年6月27日金曜日

[4930] 頼りがい

いろいろ試行錯誤があり、やっと池の前に日除けが取り付けられた。これで日中は涼しいし、雨の日だって平気だ、ガハハハハハハ
 みんなは何で政治家なんかに自分の生活を任せ頼るんだろうね? 昨今の政治家を見ていると、頼りがいがあるヤツがいない。頼りがいのある人というのは、何にも頼らず生きる強さを持っていると思う。ところが彼らは他の誰よりも頼っている。金とか血筋とか権力とか経歴にだ。情けない。頼るのは弱い人間だろう。弱い人間が作った社会は頼る事が当たり前のようになってくる。これでは社会の一員までもが、いつも頼る事ばかりを考え自立しない。ところで頼られるものってのは人でも物でもいつまでもあるものではない。今度は失う事が不安になる。つまり「頼る」=「不安を募らせる」ことだと思うんだ。
 この日除けは頼りがい大有り。

2014年6月26日木曜日

[4529] ホーミー

去年、うちの猫庭で演奏会したホーミー奏者岡林さんが近くの『こめやかた』というとこで演奏をやるので出かける。ここは農業&米屋で、初めて来たが、ゲストハウスなどもやっていて外人さんも泊まっていて、ずいぶん国際的な所なんだ。建物も実にいい。
 岡林さんは去年とは違って、ずいぶんモンゴルしてたように感じる。ホーミーもずいぶん身近に感じられ、また明日から練習だ。去年もこれを聞いたあと、毎日のように風呂上がりに庭でホーミーをやり続け、少しは高音が出るようになっていたが、それ以上にはならない。今日の御教授で、ややヒントを得た気分。明日からの風呂上がりが楽しみになってきました、ふふふ‥‥

2014年6月25日水曜日

[4528] 視点

昨日の祭りの後片付け。今日も暑いっす。梅雨なのに雨が降らないから、庭の踏みつけられても平気な草だって元気がない。
 庭のライトはLED、裸電球なら20Wの明るさ。新しく30Wのライト2個を追加した。30と20では10も違うから、30はかなりの明るさだろうと思ったが、やや明るいかもぐらいだった。ふ〜ん。
 これがどんどん大きくなって、110と100なら、違いがまったくわからんだろうな。1010と1000なんて同じと言ってもいいだろう。では小さい方はと言うと、15と5では3倍だからかなり違うだろう。いっぱいある人にとって10は大したことないが、少ない人にとっては10は大変だという事だ。
 最もスゴいのが10と0だ。有ると無いだもん。生きるか死ぬかだからね。

[4527] シタール

猫庭イベントの看板もちゃんとできました。『シャンティ』が始りました。芝デッキに初めてちゃんとした音響が設置されました。南インドカレー、おいしく食べました。演奏もうまくできました。シタールの音色が響きました。
 昼は裸でも暑かったのに、夜は寒い。ファイヤーもちゃんと人々を暖めました。天候に恵まれイベントは大成功でした。少々酔いました。

2014年6月23日月曜日

[4526] シャンティ

明日、猫庭で催されるインドカレー祭り&ライブ『シャンティ』のための看板を描く。普段なら、こんなもんペペペのペッと描いて出来上がりなのだが、春の個展で絵がうまくでき、自分だけでなく他人からも褒められ、絵に自信がついたものだから、面倒な事にペペペでは納得いかなくなってしまった。テーブルにちゃんと画材道具を並べ、ちょいとマジに描く。こんなどうでもいいような所に力と時間を費やすのだから、ワシにも心の余裕というか、それとも絵の楽しみを知ったのか‥‥、まさか進化でも起こっているのだろうか。
 ところでシャンティとはサンスクリット語で「平和、至福、祈り」という意味だってさ。
 写真は昔作った『沈まない太陽』、この下で辛いカレーを食うのだ。

[4525] 日除け

とうとう池周りに新しい鉄の柱を3本追加した。数年前にパーゴラを作ってもらった若者に依頼。
 左1本のにライト二つ。ライトの傘は植木鉢を入れて空中に下げる物を逆さにした。思った以上にオシャレ。あとの左右2本の柱は軒から伸ばした日除けテントを止めるもの。真夏の日中に池のスイレンを見ながらお茶を飲むための日除けテント。池の前にある芝デッキの上に日除けがあるのだが、日除けがあると芝が育たないから止めてしまった。よく映画などで広い芝生でパーティなどしている風景があるが、あれはパーティが終わったら全て片付けていると思う。芝に椅子やテーブルの据え置きもできないんだよ。芝って意外とデリケート。
 いろいろと四季を通して住んで、初めてわかる事多いっすね。

2014年6月21日土曜日

[4524] 産む

そんなに言うならワシが産んでやる。
 世間を捨てるようにここまで生きてきたけど、ワシには、昔、もう死んだけど爺ちゃん婆ちゃんがいて、多少ボケているが生きている父ちゃん母ちゃんがいて、バカな兄弟がいて、兄弟にはアホな子供がいる。兄弟の子供なんか、この間生まれたと思ったら、もう生意気な大人だ。その彼らにだって、そのうち子供が生まれるのだろう。祖父母の前には先祖がいる。このように連綿と途切れなく続いているのが命なんだろうとしみじみ思う。
 ワシは人間共が子を産み、この命の流れを止めないために、働きアリのように少々手助けに安心安産の守り猫でも産んでみたさ。本当は働かないアリかもしれないけどさ……

2014年6月20日金曜日

[4523] 巨木

薪があるから持ってけと父親が言う。半分がシロアリにやられていた。そこで自分ちの庭先に弟やら近所のおじいさんが置いていった木が気になりだした。草がボーボー生えて湿気がたまり虫の居心地良さそうな感じなので、整理し積み重ねる事に。幸いシロアリはいなかったが、直径60センチもある太い木を見ていて思った。
 薪というのは楢がベストで、確か20年程で切るのが頃合い。40年とかなると年取って楢枯れとか病気が蔓延する。人間と山の木は大きな時間サイクルで共存していたのだそうだ。ところで木を伐るのはあっという間だが、60センチの太さに育つには何十年という時間が必要だ。木陰が欲しいからとワシの庭に写真ぐらいの巨木を求めても、ワシが生きている間にこうはならない。ワシなどTシャツの絵のようになっている。
 木は無言だからこそ本当の時間を教え、人間の言葉では到底時間はわからないだろうなと思った。

2014年6月19日木曜日

[4522] 執着

今日のスイレンはダブルイエローという大きな花が二輪。
 さてと、右手の痛みだが、なぜか中指から薬指に移動している。そこで思った。中指の部位が痛んでいるのではなく、これら指達が繋がっている元に障害があるのだろう。木で言うならあの枝がおかしいのではなく、その隣の枝も繋がっている元の幹がおかしいと。辿ってゆけば右手が元になり、次に右腕そのものが元になる。次に進んで右半身そのものが元。次に身体全体が元、身体の元が精神、そこに濁りがあるような気がした。なるほど。これは右手が痛い、仕事できない、未来不安とか余計な心配が濁りだ。これら心の濁りを『執着』と呼ぼう。なるようにしかならないのだから。
 今朝は濁りなき陽を燦々と浴びながら、無心になってのんびりゆっくり薪棚の基礎造り。濁りなき新鮮な気が体中を隈無く掃除し、汗となって流れた。よし! これで元を質した。と顔を上げたら汗が額から口に流れ、ペロリと舐めた。あっ! 濁り執着、飲んじゃった! これで元の木阿弥、ちゃんちゃん。

2014年6月18日水曜日

[4521] 二番目

数日前から巨大化している新参もののスイレンの蕾。デカくなるだけなって腐るのかなと思っていたが、とうとう咲いた。ビックリ巨大なうっすらピンクの花だけど、ガクが強烈なのか、守りが堅くまるでお椀のよう、皿のようにパッと開かない。初めての世間にビビっているような。うんうん、気持ちはわかる。
 去年、初めて咲いた白いハスの花も同じお椀だった。その後、白いハスはうちの庭にも慣れ緊張をほぐし、堂々と反り返るほど色っぽく全開した。このピンクのスイレンも二番目の花からは、もっと美しく自由で開放的ないい女に、いやいいスイレンになるだろうと思う。ん? ってことは人間の女も二番目の男から美しく咲くような気がする、、なんてね、聞かなかった事にしてね。

2014年6月17日火曜日

[4520] さくらんぼ

東京にいる頃、『さくらんぼわじん』というさくらんぼの通販を十年以上やっていた。父親がバカなワシが絵描きで食えない間、なんとかワシの知人達にさくらんぼを売って、少々の画材代になればと企画実行したのだ。直売だったので安く、この辺りはさくらんぼが美味い土地なので、不味いアメリカンチェーリーをさくらんぼと勘違いし、本当の高級な美味いさくらんぼなど食った事のない都会人には「えっ! さくらんぼってこんな美味いの?」と大変驚かれ、十年以上もお得意さんになってもらった。おかげで画材も手に入ったわけだ。
 ワシの叔父さん、父親の弟が昨日いきなり倒れ意識不明になった。父親はもうさくらんぼを完全に止めると言う。何かが一つ終わろうとしている。

2014年6月16日月曜日

[4519] 水

昨日の酒を抜くために露天温泉へ。最上川を船が通る。
 水はいたるとこにあり、留まることなく流れている。人だって、この川の水を升で掬って飲んで生きているようなもんだ。つまり流れている水を器で掬って身体の中に入れる。身体の中を水は流れ、出て、大地や空中や川に還る。
 抽象的だが、僕は猫という器で水を掬って誰かに水を運ぶ事を生業としているようなもの。みんなそれぞれ自分の器を持って、水を循環させることで生きているんだと思う。この水は全てを生かしている。動植物も水が必要だ。電気を作ってくれているのはウランでも火でもない、水蒸気という水だ。原発の放射能を遮ってくれるのも水だ。この地球は水の惑星とも言われる。この水を汚しちゃいけないだろう。
 フムフムなるほど、とか思いながら、酒抜きに来た筈なのに、昼から風呂上がりにビール水を飲んでしまった。
 写真は碁点温泉露天風呂一周年記念花火。

2014年6月15日日曜日

[4518] 新庄

引き蘢りのワシでも出かけるときはある。
 知人が新庄で個展をやっている。そこでは今日キトキトマルシェという市も開催される。一度は見に行きたいなぁと思っていたイベントだ。重い腰をあげて出かける。といっても車で40分、大したことない距離なんだけどね。動かない事じゃ誰にも負けないワシでも移動する事では誰からも劣る性質、無駄な汗が出ますよ。
 この市は面白かった。場所がめちゃめちゃいい。元蚕糸の試験場跡で、地面が土に草。普通ならアスファルトとかコンクリートになっていただろうな。尋常じゃないほど大きな木がいっぱい植えてある。普通なら木は一本だけだろうな。このイベントのリーダーもなかなか緩くていい。普通なら生真面目だろうな。終わってから呑みに誘われ参加。山形に来て初めてバカの集合体にあった心地良さを感じた。普通なら‥‥普通もバカか。

2014年6月14日土曜日

[4517] どぶ杜氏

今日は奈良の杜氏さんが来た。去年いきなり現れて、ワシの作品を大人買いした口の悪いハイなオヤジ、今回は買わないローオヤジだった。
 この方の作った『どぶ』(どぶろくではない)という名の濁り酒は美味い。久しぶりに感動した大人の味、名品だ。1年の8ヶ月ほど酒造りし、あとはどぶファンからお呼びがかかり奈良から全国行脚。これから点々と飲んでは北海道に向かうんだって。
 話しはずる賢い酒造りの話し。ワインに砂糖! ビールに日本酒! 麹菌ではない変な菌?……などなど。金儲けメインの大量生産に走り過ぎて、作り手が本物の酒を造るのを誤摩化してはダメだよね。アートだってなんだって同じで、多少は極める姿勢ぐらい持って向かうべきだと思うな。金は天下の回りものだから、まずはいいもの作ることが大事っすよ。その方が人間としても成長するしね。
 杜氏さんは今回ローオヤジになって、ワシの中のずる賢い儲け心に喝を入れに来たのだろうな。少々反省だな。

2014年6月13日金曜日

[4516] 道具

粘土いじりの道具はとても大切だ。何の因果かわからんが、まったくのズブの素人がいきなり陶芸などやり始めたもんだから、最初の頃は何もわからん。習うのが嫌いだから、失敗ばかり(失敗とも思っていなかったけど)。当時は粘土をほじくるのにカレースプーンを使っていた。しかしなかなか上手くほじくれず、作品が割れたり、手に豆を作ったりしていた。ところが専門の道具があるのを知った。使ってみたら楽。世の中ってスゴいなぁと感心したものだった。
 ところでやはり自分の作品の重要な部分は自分で発明した道具が未だに便利だし、作品の特徴となっている。どこにも売ってないし。
 今日、久しぶりに粘土いじろうとしたら、写真のそれとは違う種類の一番使いやすいあれが無い。アトリエを這いつくばってもない。ゴミ袋ひっくり返してもない。無い無い無〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い‥‥

2014年6月12日木曜日

[4515] 新参

池のスイレンのオレンジと白と黄色の3種類が咲いた。池にはその他にダブルイエローというデカイ黄色とピンクの派手なヤツが2種類ある。それから春先、いきなり友人から突然送り届けられてきた株があって、もちろん花など見たことない新参もの、これの蕾が水面から出てきているんだけど、やけにデカイのだ。ダブルイエローよりデカイから、ただもんじゃない。ハスの蕾より大きいんじゃないかな? 一体どんな花が咲くんだろう? 
 写真では左下手前にオレンジ(これ好き。オレンジのグラデーションが気に入っている)、真ん中辺りに白、最も奥の右上に黄色。黄色の前にドでかい蕾があるでしょう、これが新参ものです。あんな向こうにあるのに手前の蕾よりでかい。楽しみっす。
 中にカエルがいたりして。

2014年6月11日水曜日

[4514] 揺れない

粘土いじり&草むしりのせいで利き手の中指が痛む。粘土いじりができないのでつまらん。治そうと包帯を巻いて動かないようにしている。
 パン屋に昼飯を食いに出かけたら、70過ぎのおばあちゃん4人組がコーヒーを飲んでいた。「右手どうしたの?」と聞くので、「筋を痛め、粘土がいじれないのが辛い」と言ったら、「仕事したいんだ。お金ないんだ。ないなら親から貰えばいい」と言う。なんかゆすりたかり頼りのトンチンカンな解答だなぁと思った。生きるってのは、もう少し真剣で、意識が高いだろう。
 ワシの場合、金などで揺れない道を発見し、歩んでいるのが粘土いじり、これは天職だ。例えば10億円が手に入っても、いつものように粘土いじるだろう、たぶんな。こういう生活スタイルって、なかなか理解してもらってないんだなぁと、少しがっかり。
 帰ってから、筆は持てるので絵を描いた。フンだ!
 写真はソバ屋さんの依頼の作品。小さいお内裏様とおひな様、ソバと餅持ってます。

2014年6月10日火曜日

[4513] 揺れ

庭のライト(写真中下)が接触悪く、点いたり消えたりしている。直せるかどうかわからないが分解することに。
 子供の頃から分解は好きで、いろんなものを分解し組み立てた。組み立てた後、割れたり歪んだり、ネジとか余ったりする。それでも元々の壊れた原因もわからず直ることが多い。まあ直ったからいいんだけど、今もパソコンのマウスがカラカラと音がする。どこかでワシは分解して組み立てれば大抵は直ると思っているみたい。
 庭のライトは風で揺られて線と線のつなぎの金具が外れていたようだ。こういう揺れに対しては金具ではなく原始的に手で線と線を捻った方が頑丈だってことを発見。ライトは見事に直った。
 そこで思った。分解できない原発のようなもんはあんまり作るなよな。揺れて壊れるからさ。

2014年6月9日月曜日

[4512] 自立

人間は自然から搾取、破壊し、自然環境の代わりに人工的な環境を作ろうとする。生活空間は自然との間に壁を作る。地球から出て、宇宙に住む。
 まあ人の歴史は母なる自然からの自立の歴史、それが進化と思えないこともない。でも思った。自立ってのは自然を捨てることだろうか? 自立ってのは母を捨てることだろうか?
 都会の人間が癒されるのはあいも変わらず自然豊かな南の島だったりする。大自然に抱かれたいとか、山の風景を懐かしく思ったり、海をじっと見たり、故郷を思うと心地良かったりする。人は根っから自然が大好きだ。それなのに……これって好きなものを苛めていたぶって、あとで可哀想だ悪かったと思うようなものに似てる。それって倒錯した愛で、自立ではないだろう。
 まずは自分の内なる自然を捨てる前に、その思い上がった思考、思い込んでいる思考、飼育された思考を捨てることだと思うよ。
 それが断捨離で、それが自立だ。

[4511] ごろつき市

今日は最上徳内記念館の庭で『ごろつき市』が行われた。
 もう何回目だろう? 雨が降ると言っていた天気予報を尻目に、いい天候に恵まれ、大勢の人が来て賑わった。一番遠い人で滋賀県からわざわざこのためだけに来た女性もいたから、なんとも素晴らしい。今日で東京に帰る個展をしている青梅の母娘も喜んでくれたことだろうと思う。
 夜はワシの庭で打ち上げパーティ。ここでも雨が降りそうだったが、まだまだ運が続いているようで、すっかり雨脚は去り、いい感じ。今年初めてのファイヤープレイスにも火がついた。やはり火はいい。人が集まっても会話が切れると意外と寂しいし、退屈なものだ。でも火があることによって人々は火を見つめ、沈黙がなんとも美しく生きる。これ大切だと思いますね。
 今年一回目のごろつき市も大成功でした。

2014年6月7日土曜日

[4510] マタイ伝

マタイ伝18『ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が道に迷ったとき、その人は九十九匹を山に残し、迷っている一匹を探しに行かないだろうか』
 ワシだって、ワシが飼っている猫が一匹でもどこかに行ってしまったら、心配で探しに行くから、この話しは当たり前のことだと思う。
 家族だって会社だって国だって、最低限こういうリーダーでないとね。
 写真はワシのシャツがスプレー臭いのか、梱包中にも拘らず、しつこく嗅いで、仕事の邪魔をするピニャモ。

2014年6月6日金曜日

[4509] 昭和の妖怪

猫アート仲間の個展を見に最上徳内記念館にでかける。青梅在住の母娘の二人展。二人とも古いものや骨董が好きなだけあって、昔の妙な家具や道具を使い作品の一部としている。作品は年季が入ったような布で作ったぬいぐるみ、昭和を思い浮かべる古びたタッチの絵など、全体的にこの古民家に合う。彼らが身に付けている物もほとんど手作りで妙、着ている服も手作りで妙、この母娘も妙。ニコニコしているが妖怪だな。
 ワシ、あるときを境にぬいぐるみが好きになってしまった。そこでサルのぬいぐるみを予約しちゃった。

2014年6月5日木曜日

[4508] 裏道

薪棚を二つ作るために材木やらの買い出しに。それほど大きな建物でないので、材木も大したことないだろうと思ったけど、いやはや軽トラいっぱい。ところで車を運転して気付いた。ワシって、大通りより裏道が好きみたい。
 いつもならこのような少々大掛かりな大工仕事は、本職の粘土いじりだってあるから面倒に思うのだが、不思議なことに、ここ最近、苦に感じるところが微塵もない。これって、心に余裕ができたのだろうか? 年を重ねると切羽詰まったように余裕が無くなるという話しを聞いたことあるけど、違うかも知れんぞ。意外と『余裕で生きるコツ』とかを身体が勝手に蓄積しているのかもしれんな。
 あっ! 『裏道』に、ヒントが、あるような気がする。

2014年6月4日水曜日

[4507] キングペソラ

風がすこぶる強い。庭の日除けが煽られている。大丈夫だろうと思っていたが、金属音が響いてきた。日除けの四つ角の一つが金具ごとパーゴラから外れて、三つの角が繋がっている姿が三つ頭のキングギドラに見えた。シッポは鞭のように暴れ、そこら中を叩いている。これではパーゴラに傷がつくし、庭の電球に当ったり、弾けてこちらにとんできてガラスに当りでもしたら大変だ。立ち上がり庭に出て、キングギドラのシッポを掴まえようとするが、容赦なく暴れる。これに当ったらワシなどひとたまりもないだろう。一瞬風が止み、シッポが地面に落ちてきた。「今日も暑い、風呂上がりにところてん。ペソラ漬け(山形名物の漬け物で、ワシの子供の頃の誕生日には、山盛りこれだった)にビールもいいな」と気を他所に移したと見せかけて、シッポをすかさず掴まえた。
 てことで、今日は粘土でキングペソラなるものをいじってみました。

2014年6月3日火曜日

[4506] カッコウ

外でカッコウが鳴いている。すると真面目に仕事している筈のSSが「カッコウ、カッコウ、小学校、中学校、股間が痛い」と歌った。表情も変えないとこみると無意識で歌っているようだ。股間が痛いのはワシのようにスケベな思考をしているわけでなく、この間の駅まで往復の自転車のせい。しかし無意識にこのような歌を口ずさめるとは幸せ者だ。普段の生活におおらかさや自由があるからだろうと思う。
 レストランとかで隣のおばさんらの話しなどを聞いていると、ひがみや妬みや悪口や泣き言が多く、聞いていて楽しくない、心が荒む。テレビやブログでも一方的な感情のヘイトスピーチが多い。普段からこのような言葉ばっかり発していると、脳のそこだけが肥大化して、癖になってしまい、年取ってもその癖が抜けなくなる。それではカッコウ、不格好、ケッコウ、不幸だと思うよ。

2014年6月2日月曜日

[4505] 境

今年初のスイレンが咲いた。色がイマイチ、若いね。
 このクソ暑さと、昨日の炎天下自転車、久しぶりの温泉。
 居間に敷いたゴザに吸い込まれるように、死んでしまったように、昼爆睡してしまった。
 うつらと目が覚めたとき、まず浮かんだのが(ここはどこ?)、次に(私は?)。どこかで聞いたことのある冗談で言うような常套句。その後ようやくこれまでの自分の記憶が蘇り、あ〜、居間で昼寝していたんだとわかった。
「母ちゃんが少しボケている、寝てばっかりいる」と二日前に父親が言ってた言葉が脳裏を過り、少し悲しくなったが、自分の今の状態と重なり、母親は目が覚める度になんとなく(ここはどこ? 私は?)と再認識の日々が続くのだろうと思った。
 僕は庭の涼しい風に当りながらコーヒーを飲んで完全に目を覚ましたが、母親はこれから徐々に、こことあそこの、自分と他の境が無くなるのだろうと思う。

2014年6月1日日曜日

[4504] リュックサック

毎月第一日曜日の昼時、リュックサックマーケットなるものがある。各自リュックに売りたいものを詰めて、公園に集い、芝生の上で勝手にフリマ。ピクニック気分なので自転車で出かける。写真のあれもリュックなのだろう。食い物も売っているので、飲み食いダラダラ芝生で寛ぐ。「昔ね、馬に蹴られて尾てい骨が折れた。医者に行ったら、お尻の穴に指を入れられ、尾てい骨をぐいっと押されたときは痛かった。まだ少し曲がっているんだ」「あたしはね、階段から落ちて足の親指を骨折したの。病院でお医者さんがインパクトドライバーを持ってウィーンウィーンしてるの。それで親指の先から折れた骨をつなぐためにネジを入れるのよ。麻酔無しで、痛かったわ」
 リュックに痛い話しを詰めて、こういうところで話せば、楽になるのかも。それにしても親指にネジとは驚いた。