●超えて超えて
迷い悩むのは
他のモノや事や考えなどに巻き込まれ
己の方向を見失う時だ
全てに対して間合いを取ることが大事
人は普通イヤなものには近づかない
嫌いからは間合いを取っている
好きなものからだって間合いを取ること
好きは嫌いの裏側みたいなものだからだ
同じコインなのだ
そのうち間合いが好き嫌いを超える
超えたその方向が己だ
もりわじん絵日記
2026年2月17日火曜日
[9079] 超えて超えて
2026年2月16日月曜日
2026年2月15日日曜日
[9077] 視点
●視点
いろんな視点がある
好きという視点で人をみる
嫌いという視点で人をみる
嬉しいという視点で人をみる
寂しいという視点で人をみる
虚しいという視点で人をみる
お金の視点で人をみる
怒りの視点で人をみる
慈悲の視点で人をみる
無の視点でみる
2026年2月14日土曜日
[9076] 陰陽太極図
●陰陽太極図
あの子供はアジアン料理は食わない。あっちの子はフルーツを食わない。そっちの子はヌルヌルを食わない。など最近の子らは偏食が多い。私が若い頃は珍しい料理なら一度は食ってみたい好奇心があった。音楽でもアートでもいろんなものに興味があった。
今はイノベーションがガンガン発展していて欲しいものはなんでも作られる。だから逆に進まない方向が必要なんだろう。社会が保守的なのはそのせいかもね。未来の方向は直線ではなく、陰陽太極図のように波だったり円だったりが複雑に絡まっているような。
2026年2月13日金曜日
[9075] 甘噛み
●甘噛み
ジュニオはチョコとピニャモに飛びかかって噛みつく。寝ている時やうんこしている時は無防備だ。そういう時に襲うのは卑劣卑怯。懲らしめるためにジュニオを捕まえて頭を噛んでやる。小さな悲鳴をあげて、もうしないような顔をする。しかし数秒で忘れて飛びかかる。今日も二度ほどジュニオを噛んでやった。いつの間にかオレが甘噛みを覚えてしまった!
2026年2月12日木曜日
[9074] 手
●手
デュシャンは視覚網膜アートを否定し観念のアートを提出した、と言われる。そういう言葉に乗せられて作らない頭ばかりのアーティストが増えてきた。逆に視覚アートもたくさん蔓延っている。視覚か観念かではない、どっちも首から上だ。ところでデュシャンの遺作、あいも変わらず下ネタだが首から下の手を使ったものだ。墓碑銘に「死ぬのはいつも他人ばかり」と。他人とは視覚と観念だ。今で言うならネットのインスタと言論、そんな他人の情報が死なのだ。
2026年2月11日水曜日
[9073] 大ガラス
●大ガラス
去年暮れ、サトリを展示してから彼岸の悲願『猫でない』作品を次々制作している。
デュシャンに『大ガラス』というのがある。ポーの「大鴉」に掛けた大きなガラスの作品だ。彼の作品『泉』は多分ゴミ捨て場で拾って持ってきた便器だから、それとはまるで正反対で職人の高技術を多様に注ぎ込んだ金掛けた作品だ。どっちもイタズラ好きな天の邪鬼ぽい。『泉』は便器、『大ガラス』には「‥裸にされた花嫁‥」などのサブタイトルをつけているから同じ下ネタだ。デュシャンは一般的に現代美術の先駆者と言われているから、目の上のタンコブだ。いずれデュシャンを自分の中でクリアーしておかなければと思っていた。
実は30歳の頃、そんなものを作るのに土が必要だからと山形の実家で制作していたが、途中で猫作家になって忙しくなってしまい忘れていたのだ。あの時はペリペリがなかったし、今なら土がある山形に住んでいる。これで完璧にできる。雪が溶けて春になったら庭の土にこれの種を蒔こうと思う。


























