●脱走
チョコが脱走した。どこから出たのだろう? 2時間ぐらいして帰ってきた。ジュニオがチョコの匂いを真剣に嗅いでいる。(先輩が知らない匂いを持っている。すごい。カッコいい)。チョコはこの日のために綿密な計画を立てていたのだろう。新たな匂いを身につけ一回り大きくなったような、満足して落ち着いている。ジュニオは庭に出て風に当たりながら思った。(あんな匂いがあるなんて、すっごい!)。そして庭を走った。楽しく笑顔で走った。そしてすっかり忘れた。
さて、この不自由な世間、いざという場合のために綿密な計画を立てておくことだ。そして脱走。脱走こそ満足だ。
もりわじん絵日記
2026年3月3日火曜日
[9093] 脱走
2026年3月2日月曜日
[9092] 教育と先輩
●教育と先輩
私がジュニオに猫ドアのやり方を教えるのだがなかなか覚えない。ところがチョコがやるとそれを見て覚える。ジュニオは先輩チョコの後をついていろんなことを真似する。教育には先生ではなく先輩が必要なのだと思った。
2026年3月1日日曜日
[9091] 澄浄バック
●澄浄バック
あ〜天気がいい。私は冷たい風と同時に斜めから顔に暖かい陽が射すとテレポーテーションしてインドに行ってしまう。この感覚はフラッシュバックだと思っていたが、調べたらフラッシュバックは悪い意味に使われている。そこで『澄浄バック』(ちょうじょうバック)と名付けた。なぜ澄浄なのかといえば、インドの旅は命捨ててもいい気分で出かけ、毎日が見るもの聞くもの全てカルチャーショックの連続だった。つまり自分の持っている日本で培った知識など全く無意味だったのだ。だから持っている知識は信じない頭が空っぽ。つまり頭が澄浄になり、起こる全てが超常現象、それは全てが初体験のようなものだから幸福感の頂上でもある。身体全体があの時の日差しや風や音を記憶していて(多分実体的な記憶は脳ではなく身体でするもので脳の記憶は言葉に置き換えた単なる手記なのだと思う)そんな微妙な日差しが身体に当たるとその当時のインドに行ってしまう。でもインドが凄いのではなく、『澄浄』そのものが凄いのだ。だから澄浄バックだ。実は坐禅もそれだ。坐禅は個人の経験をも飛び越え澄浄バックする。
2026年2月28日土曜日
[9090] Do Be
●Do Be
するというのがDoing で、真の在り方がBeing 。精神世界ではBeingが推されている。したくない怠け者が知識によって幸せになるみたいな思考だ。怠け者の悟り方なんていうのもあるからね。やはり根源でもある坐禅が重要だ。他人の坐禅を見てもそれらしい知識だけ得ても悟りはしない。坐禅は自分がする。坐禅はしないをする。この無分別を身体が悟るから在る。
2026年2月27日金曜日
[9089] 庭いじり
●庭いじり
庭の木を剪定しテーブルや椅子を出す。これだけで清々しくなる。
粘土いじりは仕事で作品を売るという目的がある。絵は個人的で純粋だが高慢なアートがちらほらする。畑は作物を美味しく育てる目的がある。その点、庭いじりはそんな余計なものが全くなく心・身・動植物・気候・空気など大自然が全てピッタリくっついて隙がない。純粋そのものだ。目的というのはズレがあるから不純だ。この庭いじりこそが他の目的志向の不純物を浄化する。














