●無我
旅行記『無我の意図』の感想が届いたので、読み返してみた。
『無我』とは?
喩えば目の前に『池』がある。池の中を調べる。水があって睡蓮があってメダカやその他諸々、しかしどこにも『池』はない。これらの条件が揃ったものを『池』と言うだけで、『池』本来はどこにも存在しない。「池は無い」が真実で、仮に『池』という名称をつけられただけだ。『水』にしたって、調べれば酸素と水素の結合体で『水』そのものは無い。『酸素』もまた無い。もちろん『私』も無い。ここでわかるのは僕らが言葉で在ると思っているものの実体は悉く無い。その言葉をいっぱい並べたのが『思考』だ。
『無我の意図』では『我』を「思いや計らい」としている、つまり『我』=『思考』だ。『無我の意図』とは「『思いや計らいが無い』からのメッセージ」ということになる。人は誰でも思いや計らいを持っているが、それは不在であって、思いや計らいがない実在で生きている。だからこそ実在する思いも寄らない無我の意図を素直にきちんと受信することは重要だ。それは『私』の好き嫌いとは関係ない。
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