●終活
兄がさくらんぼを持ってやってきた。来月夫婦でクロアチアに旅行するらしい。もう70近いのに旅行は疲れないかと聞いたら疲れると答える。終活だから行きたいところに行っておきたい。好き嫌いの基準の中にいるから好きをやって死ぬのがいいということだろう。
兄は去年仕事をやめたのはいいが、他にやることがなく時間を潰せない。離れたところに住む孫を時々見て楽しむぐらいで今の年齢で日々できる趣味は持っていない。そこで昔からの唯一の趣味である海外旅行、疲れても行くことになる。しかし疲れる疲れたと言いながら行くのもどうしたもんかと思う。
兄の本職は政治家で不動産屋だ。それ以外に親の跡を継いでそば屋をやったが客商売が苦手、植物などに興味を示したことなどない。それが私の家の中にあるモンステラを見て名前を聞いた。庭を眺め「庭、良くなったな」と言う。ずっと良かったけど、好き嫌いの中にいるからそれ以外は見えなかったのだろう。好き嫌いをぐるぐる回るサンサーラから離れた時空に気持ちが少し移行しているのかもしれない。
植物はいいよ。畑もやめないほうがいいと思う。植物は太陽に素直だ。私らの心臓も呼吸も自分で動かしているものではなく私以外の自然界の仕事だ。植物は風景や四季など宇宙の時空の仕組みを心得てそれに沿って在る。人間もこれらと寸分違わない。ただ知識や情報、言葉が邪魔しているだけだ。
庭の姫沙羅が白い花を咲かしている。良し悪しや好き嫌いなどに分割できない私という木がある。
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