●魂の浄化
魂とは無垢で清浄な己、赤子のようなものだろう。
人は言葉に囚われたり、感情に左右されたり、欲に支配されたりする。だから本来の己である魂が叫ぶ。「汚れたもんで覆わないで洗ってくれ」と。
山登ったり草刈りしたり薪割りしたり歩いたりなどの動く行為はやり始めが面倒だ。でもやり始めて面倒20分を過ぎた頃、坐禅は不動でシンプルだから30分過ぎた頃、頭が主役の座を降り、同時に身体が主役に浮上する。清々しくなる。面倒だと思っていたことが面倒で無くなる。面倒=無面倒。それは全てを逆転させるパワーだ。生き抜くパワー。苦を屁とも思わなくなる。魂の浄化=身体の復活。
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