2026年2月15日日曜日

[9077] 視点

 ●視点
いろんな視点がある
好きという視点で人をみる
嫌いという視点で人をみる
嬉しいという視点で人をみる
寂しいという視点で人をみる
虚しいという視点で人をみる
お金の視点で人をみる
怒りの視点で人をみる
慈悲の視点で人をみる
無の視点でみる





2026年2月14日土曜日

[9076] 陰陽太極図

 ●陰陽太極図
 あの子供はアジアン料理は食わない。あっちの子はフルーツを食わない。そっちの子はヌルヌルを食わない。など最近の子らは偏食が多い。私が若い頃は珍しい料理なら一度は食ってみたい好奇心があった。音楽でもアートでもいろんなものに興味があった。
 今はイノベーションがガンガン発展していて欲しいものはなんでも作られる。だから逆に進まない方向が必要なんだろう。社会が保守的なのはそのせいかもね。未来の方向は直線ではなく、陰陽太極図のように波だったり円だったりが複雑に絡まっているような。





2026年2月13日金曜日

[9075] 甘噛み

 ●甘噛み
 ジュニオはチョコとピニャモに飛びかかって噛みつく。寝ている時やうんこしている時は無防備だ。そういう時に襲うのは卑劣卑怯。懲らしめるためにジュニオを捕まえて頭を噛んでやる。小さな悲鳴をあげて、もうしないような顔をする。しかし数秒で忘れて飛びかかる。今日も二度ほどジュニオを噛んでやった。いつの間にかオレが甘噛みを覚えてしまった!





2026年2月12日木曜日

[9074] 手

 ●手
 デュシャンは視覚網膜アートを否定し観念のアートを提出した、と言われる。そういう言葉に乗せられて作らない頭ばかりのアーティストが増えてきた。逆に視覚アートもたくさん蔓延っている。視覚か観念かではない、どっちも首から上だ。ところでデュシャンの遺作、あいも変わらず下ネタだが首から下の手を使ったものだ。墓碑銘に「死ぬのはいつも他人ばかり」と。他人とは視覚と観念だ。今で言うならネットのインスタと言論、そんな他人の情報が死なのだ。





2026年2月11日水曜日

[9073] 大ガラス

 ●大ガラス
 去年暮れ、サトリを展示してから彼岸の悲願『猫でない』作品を次々制作している。
 デュシャンに『大ガラス』というのがある。ポーの「大鴉」に掛けた大きなガラスの作品だ。彼の作品『泉』は多分ゴミ捨て場で拾って持ってきた便器だから、それとはまるで正反対で職人の高技術を多様に注ぎ込んだ金掛けた作品だ。どっちもイタズラ好きな天の邪鬼ぽい。『泉』は便器、『大ガラス』には「‥裸にされた花嫁‥」などのサブタイトルをつけているから同じ下ネタだ。デュシャンは一般的に現代美術の先駆者と言われているから、目の上のタンコブだ。いずれデュシャンを自分の中でクリアーしておかなければと思っていた。
 実は30歳の頃、そんなものを作るのに土が必要だからと山形の実家で制作していたが、途中で猫作家になって忙しくなってしまい忘れていたのだ。あの時はペリペリがなかったし、今なら土がある山形に住んでいる。これで完璧にできる。雪が溶けて春になったら庭の土にこれの種を蒔こうと思う。





2026年2月10日火曜日

[9072] 政治

 ●政治
 僕の兄も弟も自民好きだから二人とも文句を言うが元気だ。兄弟が元気なのは良いことだ。自民嫌いな心優しい知人たちは沈んでいる。知人たちが元気ないのは悲しいことだ。
 親を面倒見る意識の強い長男や親離れができない末っ子の意識が膨らみ、親離れする子達の夢の対象がこの社会に見つからない。さてこの世は陰と陽でできている。じゃぁ坐禅だ。陰陽超えた真新しい自己を発見するのだ。




2026年2月9日月曜日

[9071] 除雪

 ●除雪
昨晩は大雪だった
今日は楽しみの除雪だ
ところが午前に車屋さんがやってきた
雪の道にタイヤの跡をつけたのだ
あ〜〜〜〜
全く手もつけてないキレイな雪を
除雪機で空高く飛ばしたかった…





2026年2月8日日曜日

[9070] 問題無し

 ●問題無し
坐禅は大らかさが身に付く
目の前の最上川を眺める
世の中の問題とは川面に浮かぶ泡沫だ
川の深くでは問題無しが流れいている
それがとてつもなくスゴい





2026年2月7日土曜日

[9069] 無関係

 ●無関係
 龍安寺石庭のコケに色をつけようか悩んでいたが塗ったらいい感じになった。
 水槽は放っておくとコケに覆われ緑色になる。メダカは水槽のガラスや鉢についたコケや藻を食べる。貝はコケ以外にメダカのふんやカスや死体を食べる。それぞれ生き物には役割があるようだ。ところでコケやメダカや貝が育ったり死んだりする。これらは彼らには無関係だ。無関係がこの水槽の中心にあって細部まで行き渡っていることで全体生命が育まれている。もし自分の役割がコロコロ変わる世間にないなら無理してコロコロころされる必要はない。広大な無関係を探求すればいい。





2026年2月6日金曜日

[9068] 住処

 ●住処
 七十二候の最後の一候がこの間の2月3日までの『鶏始乳 』だ。意味は「冬の間卵を産まなかった鶏が春の気配を感じ卵を産むようになる」、そして2月4日から新しい一候が始まる。
 ふと思った。人も何もかもが鶏と同じで春の気配を感じている。この気配こそ至福感だ。言葉や数字を並べた科学的思考ではこの気配は不思量だ。わからないから不安を持つ。科学や法は完全ではない。
 さて人は季節という住処にいる。年齢という住処にいる。ここから外に出ることはない。どこにいたっていつだってこの住処の気配を充分感じている。ならば無理に不安のもとである思考を進めず、今ここに留まり、ゆっくり深呼吸をして己のその思考を眺めてみればいい。何も起きてないし何も起ころうともしていないことがわかる。今を遮るものが何も無い。ただ至福感に包まれる。これで元の住処に戻っている。



2026年2月5日木曜日

[9067] 正義

 ●正義
 ネットのドラマを見てるとつい興奮して没入してしまう。昔だったら夜遅くまで見てしまうだろうな。こんな作り話に心揺らされるんだから、人は現実という作り話にも簡単に騙されてしまうだろうね。寝りゃぁドラマも現実も作り話だってことがわかる。無関係な夢などを見るからそれほど重要じゃないんだ。大体、ドラマも現実もみんな正義を装うから作り話なんだ。



2026年2月4日水曜日

[9066] 手話

 ●手話
 あ〜、気持ち悪かった。1時間半も温泉入ってたら湯あたりした。ほんと学ばない奴だ、オレ。でも手話があることに気づいた。手は目の代わりに観るだけでなく、話もできるわけだ。目と口ができるなんて手は素晴らしい。それと仏教には手印がある。手で仏になれるんだよ! 内緒だけど手淫だってできるしさ…





2026年2月3日火曜日

[9065] タオ

 ●タオ
瞑想状態に感じる至福感
人は至福感を求めて言葉を探す
それが未来に向かっていることのような気はする
しかし実はそれこそ過去だ
瓦礫で至福を覆っている
言葉以前に戻ることだ
それには初心に帰ること
さてずいぶん技巧に走りすぎた気がする
初期の『タオ猫』を再び作る
少し進化
未来に一歩





2026年2月2日月曜日

[9064] 前

 ●前
選挙前してきた
ふと思った
人は調子こくと
暴走しやすい
暴走の『前』に
自分があるのに
暴走すると
自分の先が
『前』だと勘違いする