2015年9月7日月曜日

[5367] みっともある


「人の悪口は、みっともない」と言う言葉を聞いたことがある。
 振り返ってみると、ワシは相当みっともなくなってしまったような。自分の劣等感や自己正当化のために屁理屈並べて他人を攻撃していたように思う。みっともないが身体にこびり付いて離れなくなっている。それにもはや他人にもそう見られてしまっているだろう。
 今からでも遅くないから『みっともある』人間になろうと思う。『みっともある』とは魅力あるという意味だろうと思う。悪口を言わなければ魅力ある人間に近づくだろう。
 いつの間にか魅力ある人間になって、魅力的な世界を築き、魅力が溢れまくり、魅力の中で心地良くこの世を去る。生まれ変わって弥勒になる。

2015年9月6日日曜日

[5366] 招き猫祭り


『打てば 響く』
知人の太鼓奏者が言っていた言葉。
どこでも聞くような言葉なんだけど、思わず感動してしまった。
打てば響く、いい音が誰かの心に響く。
人だけでなくいろんなものにも共鳴するだろう。
それがまた連動してどんどん膨らむ。
もはや人知を超えてゆくような。
ワシも打てば響くような粘土をいじりたい。
さて、もうすぐ『来る福招き猫祭り』。
会場:伊勢内宮前おかげ横丁内 大黒ホール
住所:三重県伊勢市宇治中之切町 52 番地
会期:2015年9月12日(土)~9月29日(火)18日間
営業時間:午前9時29分~午後5時29分
ワシは、9/18〜23、居ります。

2015年9月5日土曜日

[5365] 虚仮コッコ


デザイナーと父親の自叙伝の校正していて、「雌鶏が時を告げると家が滅びる」という言葉が目に留った。ニワトリはオスが時を告げるのであって、メス鶏は大人しい。メス鶏が時を告げるようになると、その家、強いては国が滅びるという喩えだそうだ。
 父親は昨今の目まぐるしい女性の社会進出を危惧してるようなことを書いていたけど、昔の人だからだと思う。ワシがこの言葉に引っかかったのは、何かに操られているのかテレビにはあまり出ない、ネット上では頻繁に流れている日本の国会議事堂前のすごいデモ。このデモに子を持つ若い母親達が参加しているということだ。
 母親達は「コケ(虚仮=偽り)コッコ(国庫)」と言っているのかもよ。

2015年9月4日金曜日

[5364] 老眼鏡


父親の自叙伝に載せる写真を探しに実家へ行く。あの父親、自叙伝を書いたのはいいが、後は人任せ。セピア色の分け解らん昔のアルバムから話の内容にあった写真を見つけ出すのはやや面白いが困難面倒。
 ふと思う、ワシみたいに『デザイン・制作・書店』までやれば意外と楽しいのになと。
 老眼鏡を忘れたので、父親のを借りたら、なんとワシと同じ度数。ゲッ! ワシ、87歳のジジィと同じなんだ。
 帰って、作品の絵付け。細かいところ用に買ってある度数の高い老眼鏡をかける。そういや最近はこのメガネの使用頻度が多い。
 父親より老眼が進んでいるではないか! ワシ、87歳のジジィより年寄りじゃん! ますます愕然。
 いつ父親の歳を抜いてしまったのだろう? 

2015年9月3日木曜日

[5363] お花畑


Aさんはお花畑で野菜作り。Bさんはお花畑でパン屋。Cさんはお花畑で喫茶店。Dさんはお花畑で酒屋。Eさんはお花畑で食道。Fさんはお花畑で居酒屋。Gさんはお花畑で本屋。Hさんはお花畑で電気屋。Iさんはお花畑で洋服屋。Jさんはお花畑で病院。Kさんはお花畑で牧場。Lさんはお花畑の写真家。Mさんはお花畑で車屋。Nさんはお花畑に建築。Oさんはお花畑に映画館。Pさんはお花畑に競技場。Qさんはお花畑を走るランナー。RさんらとSさんらはお花畑でサッカー試合。TさんらとUさんらはお花畑の奪い合い。VさんらとWさんらがお花畑で鉄砲ごっこ。お花畑が真っ赤に染まった。悲しんだXさんがお花畑にヘンプを植えた。呆れたYさんがお花畑にケシを植えた。怒ったZさんがお花畑にトリカブトを植えた。いつまでもお花畑に花が咲く。

2015年9月2日水曜日

[5362] weed


ハスの花びらの左下のは、カマキリです。
 todayはyesterdayに草刈りした草集め。これがけっこうhard workなのだ。about二メートルもある熊手というものでgardenに散らばったweedを掻き集めていく。sunshinがstrongなので麦わら帽子をかぶって上半身nakedでやる。汗が滝のように流れsunglassesから見える風景はin the water。sometime秋風が強くblow。これがすこぶるcomfortable。手を休め、mountainを眺めながらfeel風、調子こいたwindがゴーゴーうなり、枯れ葉をin the skyに巻き上げた! my bodyがぐらっとした! 竜巻だ! と思ったら、目眩だった。 Wow, I'm really tired.
 さてと、しごと、いせと、せと、ちゃんと、やろうっと。

2015年9月1日火曜日

[5361] 幻想


草刈りしながら思った。
 小説を出版して間もなく、大手出版社や著名人の後押しなどがあれば売れると言われた。それは甘い汁だけど、ワシにはリアリティがない。たぶん国家とか大企業などは巨大な共同幻想であって、ワシ個人の活動と対立しているからだろう。つまりちょいと大袈裟だけど、なにかと囲いたがる権力に対抗して自由自在を目指した内容の小説なのに、権力側に身を売ったら反対に不自由だってこと。国家などの大きな幻想を信じてしまうと人は自分の足元を見なくなる。過去の成功例を追いかけ模倣するようになる。巨大な幻想に取り込まれることが幸福だと錯覚する。危ういね。肥大化する幻想は幻想ゆえいずれ消失する。消失するものに頼る事は自分を失うことだ。満たされることはない。だから空虚でリアリティを感じない。
 では何がリアルなのか? 何が満足なのか? 足元を見よ! それが『もりわじん書店』だった。
 大きな幻想とは無縁に、個人から個人へと小説が手渡される手に入るほどの小さな幻想時空の中でなら、ワシは自分を見失うことはない。
 『もりわじん書店』、今月、伊勢と瀬戸へ向かいます。待っててね!