2018年2月7日水曜日

[6251] 宇宙船わじん号

●宇宙船わじん号
「10枚絵を描くこと」と他人に言われたら気が滅入る、うんざりだ、描きたくない。言われなきゃ10枚ぐらい描いちゃっている。そういう自主性が大事だ。でも自主的なんだけど「10枚絵を描くこと」と自分で自分に命令しても、やはり気が滅入るので描きたくない。結果は同じ10枚の絵なのに。
 だから『描く』と『描かない』というのが意外と重要な課題になる。『やる気がある』と『やる気がない』の関係みたいなものだと思った。
 この確か(プラス)であって、不確か(マイナス)な人の内面をクリアできる、どこにもない自分独自の技法を探求する。自分の根底から出てくる技法だ。その技法で旅に出る。宇宙船を手に入れるようなものだ…ここが宇宙だから。中途半端な技法を自分の船だと勘違いしていてはダメだ。違和感があるはずだ。その船では遭難するかもしれない。沈没するかもしれない。そんな船をペリッと剥ぐことも大事だ。それゆえにペリペリ画法なのだ。それに乗って一歩先を発見する。一歩先に左右はない。

2018年2月6日火曜日

[6250] 一歩先

●一歩先
 去年の個展『STOP』では、『プラスマイナスゼロ』のコンセプトで社会の気になる出来事を解釈してみた。この社会に住んでいる限り、たとえ表面的に無視していても、この社会の何かしらの影響は受けている。ペリペリ画法をなすがままにやりながら、その技法の様々な要素から思考を膨らまし、いろんな事柄の解釈が進んだ。洗濯物と依頼心はリンクすることが見えてきたし、薪割りと原子力もリンクしていることがわかった。(これらの考察はワガジン7にまとめた)
 個展後、自分の解放のためにこれまであまり表現していなかった自分の内部の未知の部分である『暗』部をペリペリ画法で暴き出すことを試みた。猫メインで作品制作していると、この暗部が無意識に忌み嫌い臭い物と思い込み蓋をしてしまう。いつの間にか蓋がどんどん厚くなる。これでは真の現実にも蓋がされ、幻の社会を追うようになって心に葛藤や争いが起こり、息苦しくなる。今は暗部を抵抗なく描けるどころか感動さえ沸き起こるから蓋はペリッと剥がれたのだろう。もう明暗はない、と同時に透明な軌道の上にいることを感じる。もう社会を解釈したりなぞるのではなく、今は社会や自分の内面の一歩先を創造している。

2018年2月5日月曜日

[6249] 器用貧乏

●器用貧乏
『器用貧乏』ってのがなんとなくわかった気がした。実際、それほど器用というわけでもなく、それほど貧乏というわけでもない。そういうネーミングが合いそうな人なんだ。なんでも自分でしてしまう人だね。なんでも解っていて、なんでも自分で決めるから人の助言を無視する。自立心があっていいのだが、少々意固地に見える。そのため他人がもう助言を言わなくなる。手伝いもしなくなる。結局誰も相手にしなくなる。逆に何もできないのに素直で周りの助言を聞き入れるし、面倒見たくなるようなオーラーを出している。こっちの方が精神は豊かそうだ。人は助言を聞いて協力し合えばもっと豊かになるんだと思う。『器用貧乏』って聞く耳持たない自分本位で頑固な人だと思ったね。
 あっ! ワシだ! 
『六十にして耳順う』だったわ。

2018年2月4日日曜日

[6248] 廃棄

●廃棄
『恵方巻き』の行事に興味はないが大量に作って大量廃棄ってのがなんとも問題だ。
 僕らの仕事でもイベントがあると大量にものを作る。若い頃はエネルギーがあるからいろんな作品に挑戦する。そのうち自分の売れ筋が見つかり、イベントに向けて大量に作る。その当時は大量に作ることで技術も向上するし自分のアイデアと腕だけで稼げる事は自信につながる。余っても恵方巻きと違って廃棄はない。しかし売れ筋よりも探求作品に力を入れたい。だがそのような探求作品がすぐに経済を救うとは限らない。だから探求作品制作資金が必要になる。制作費を得るために売れ筋を作る。しかし今度はいつまでもそれが売れるわけでないので新しい売れ筋を考案しなければならない。いつの間にか売れ筋目当ての頭と体になってしまうことに危惧を抱く。このままだと精も根も尽きた僕は役立たずとして恵方巻きと同じように廃棄されるだろう。
 己が社会に廃棄されるその前に、そんな社会を被った自分自身を自らペリッと剥がし廃棄し、誰もいない何もない全く未知の広野を清々しく歩くことだ。

2018年2月3日土曜日

[6247] 腐る=プラス

●腐る=プラス
 薪ストーブの薪はいっぱいあればいいというものではない。まあ2年分程度だ。それを1年以上乾燥させなければならない。だからとりあえず毎年2年後の暖房のために薪を確保し薪割りをする。2年分というのはそれ以上あると薪が腐るからだ。これがリズムになる。ところで腐るというのは困るからマイナスイメージ、腐らないプラスのお金を貯めて灯油や電気を暖房に使った方がいいと思う。
 ところがここでもプラスとマイナスが逆だということに気づいた。
 『腐る』のはプラスなんだ。ある意味生きている証拠だからね。腐らない石のようでは死んだも同然。生きているのに死んだも同然では息苦しいだろう。
 この間『雪かき』はプラスだと発見した。結構僕らは感覚的に物事のプラス・マイナスを勘違いしているような気がする。だから『逆転の発想』が明るい閃きに見える。多分当たり前のことに気付いた瞬間なんだろうと思う。
 そんなことに気づき、改めて勘違いから脱してみると意外と心地いいことがわかる。
「コノハナノサクヤヒメとイワナガヒメの姉妹でプラスマイナスゼロだよ、ニニギ」

2018年2月2日金曜日

[6246] ワイエス

●壁
これぞと思う一枚の絵ができるたびに
似たような百の絵が思い浮かぶ。
これぞと思う考えに心奪われるたびに
似たような百の言葉で身を守る。
それが頑丈な城壁になる
未来の安心が手に入る
でも
壁で先が見えなくなる
だから
壁に窓や扉を作る
たまに外に出て
外から城壁を見てみる
それが個展だ
その後、壁を背に
前に進む
ぐぐぐぐっと

2018年2月1日木曜日

[6245] 暴く

●暴く
 雪景色を眺めていて、雪が降るのがプラスで、雪かきがマイナスだなぁとそんな風に思っていた。
 ふと、これって逆じゃないか! 
 ペリペリ画法のコンセプト『プラスマイナスゼロ』は紙に絵の具を『塗る』・『剥がす』という行為から発見したコンセプトだ。『塗る』がプラスで『剥がす』がマイナスだ。別に問題は感じなかった。
 しかし雪が降るのは庭を雪で覆うようなもの。雪かきがその覆い隠された庭を暴き出すこと。同じように『塗る』という行為は何かを絵の具で覆う。『剥がす』という行為は覆われたものを暴く。暴き出す方がプラス行為に感じる。つまり雪かきや『剥がす』ほうがプラス行為、オープン感覚なのだ。
 ペリペリ画法は剥がし暴いてオープンマイマインドスッキリゼロの肯定的行為なのだ。
 例えば既成概念でガチガチになった不自由や嘘を暴き自由になるような感覚。
 僕の根っこにはそういう暴きたい願望や方向性があるんだろうと思った。
 『覆う』より『暴く』方向性の絵を見慣れることの方が自由が身につくように思った。