2021年3月28日日曜日

[7395] 黙浴

 ●黙浴

毎日の庭いじりで

疲れを癒しに温泉へ行く。

湯場のドアのガラスの前に

『黙浴』の文字があった。

コロナだから

沐浴のダジャレで

「お喋りしないで風呂に入ってください」

なのだが、

『静寂を浴びる』と解釈したら

とても気分が良く、

湯に使っている老人たちが

絵画に見えた。

静寂こそ

あらゆるリズムの基本だ。

これを浴びていれば

そのうちアンバランスは

元に戻る。


2021年3月27日土曜日

[7394] 雨にまけるわけがない

 ●雨にまけるわけがない

 コロナで自粛か経済かと言ったようなことを聞く。自粛は人命を守るためである。しかし経済がダメになれば人命問題が出てくる。二つとも人命に関わる。つまり基本、人命が第一なのだ。

 コロナのように自粛しなければいけないことが今後も起こるだろう。ならば自粛を念頭に入れた経済活動を考えておくべきである。転ばぬ先の杖だ。

 人命問題は衣食住である。衣食住があれば、病気や事故がない限り、命は大丈夫だ。ところで感染症危機やそれ以上の危機の場合、衣食住はお金で解決できない。大金があればよさそうに見えるが、大きく社会が麻痺しているのだからお金は通用しない。ネットも交通も流通も電気も水道もダメになってしまうことが起きないこともない。食料としては缶詰があるが、他人に取られないために隠して、そっと地下で食う。経済の金は超ふんだんにあるのにさもしい超自粛。完全な分裂ですな。

 そこでお金から独立し10年ぐらいはさもしくもなく大らかに暮らせる衣食住を考える。必要なのは寒さを凌げる服、発酵食品、川水、薪などが豊富にある林の中の畑がある一軒家だ。どこかで聞いたことのある風景だ。

 そう! 宮沢賢治の『雨ニモマケズ』なのだ。彼の危機感は修羅を春に転化している。だから彼の詩集のタイトルが『春と修羅』なのだ。

 こういう危機がこれから先いくらでもやってくる。その時のためにも経済を超えたこの詩が重要だ。この詩はカタカナで書かれている。カタカナは字面通りの意味以上の深いものが含まれている。それは喩えれば、あなたは『橋』を渡らずこちらの岸にいるとする。彼はあなたの見ている『橋』のことを語っているのだが、『橋』を渡って向こう岸にいて『橋』を語っているのだ。二つの視点を持った言葉なのだ。

 僭越ながら私が現代日本語に翻訳解説いたしました。『雨にまけるわけがない』です。読んでみてください。心に春が来ると思います。



2021年3月26日金曜日

[7393] 北欧

北欧

今朝の靄。肌寒い、北欧には行ったことないけど、北欧にいるような心地よさ。北日本。


2021年3月25日木曜日

[7392] 雲

 ●雲

昨日の日記で

「なぜわざわざ雲を探すのか?」と書いた。

雲というのは現れては流れ消えてゆくものだ。

自分の中に完全な快晴を求めているのだが、

わざわざ自分の中から雲を探す。

過去や世間の嫌な思いを探して、

流れ消えゆくものを引き止める。

なんと!

無駄なエネルギーだ!

なんかオリンピックも原発も

雲みたいになってないか!

そんなものに

いつまでもこだわってないで

さらっと流せば

すぐにもいい天気になるのに。



2021年3月24日水曜日

[7391] ベンチ

 ●ベンチ

雲ひとつない快晴。

(なぜにわざわざ雲を探す必要があるのだろう?)

今日はやることないと思いながらも

ベンチを組み立て設置し、

拾ってきた椅子を直し、

雪で押しつぶされたコンポストを直し、

雪で壊れた畑の柵を直し、

スイレン用の土を確保した。

春に向かってます。

歩数1万歩。

写真:デッキ下にあるのが板のベンチです。



2021年3月23日火曜日

[7390] 剪定

 ●剪定

玄関側の雪災害木々の剪定。

モミジ、桜、ナンキンハゼ、カツラなど。

ついでに隣の公園の折れた桜の木も剪定した。

自分の庭以外は手入れすることはないが、

あまりに折れがひどく気になったのだ。

写真の真ん中:

雪で折れたサンシュユ

十日前に水差ししておいた。

花咲いた。



2021年3月22日月曜日

[7389] 不変

 ●不変

玄関側の雪掻き。

家の中に春を入れた。

時代はどんどん変わって

新しいものがどんどん出てくる。

取り残されまいと

追いかけたら息切れがする。

そんな目まぐるしく変化する

良し悪しや執着の奥深くに

全く不変のところがある。

そここそ永遠

幸福とつながっている。

冷たい雪に覆われ

見えないだけだ。

雪を退ければ

春がくる。