2021年3月27日土曜日

[7394] 雨にまけるわけがない

 ●雨にまけるわけがない

 コロナで自粛か経済かと言ったようなことを聞く。自粛は人命を守るためである。しかし経済がダメになれば人命問題が出てくる。二つとも人命に関わる。つまり基本、人命が第一なのだ。

 コロナのように自粛しなければいけないことが今後も起こるだろう。ならば自粛を念頭に入れた経済活動を考えておくべきである。転ばぬ先の杖だ。

 人命問題は衣食住である。衣食住があれば、病気や事故がない限り、命は大丈夫だ。ところで感染症危機やそれ以上の危機の場合、衣食住はお金で解決できない。大金があればよさそうに見えるが、大きく社会が麻痺しているのだからお金は通用しない。ネットも交通も流通も電気も水道もダメになってしまうことが起きないこともない。食料としては缶詰があるが、他人に取られないために隠して、そっと地下で食う。経済の金は超ふんだんにあるのにさもしい超自粛。完全な分裂ですな。

 そこでお金から独立し10年ぐらいはさもしくもなく大らかに暮らせる衣食住を考える。必要なのは寒さを凌げる服、発酵食品、川水、薪などが豊富にある林の中の畑がある一軒家だ。どこかで聞いたことのある風景だ。

 そう! 宮沢賢治の『雨ニモマケズ』なのだ。彼の危機感は修羅を春に転化している。だから彼の詩集のタイトルが『春と修羅』なのだ。

 こういう危機がこれから先いくらでもやってくる。その時のためにも経済を超えたこの詩が重要だ。この詩はカタカナで書かれている。カタカナは字面通りの意味以上の深いものが含まれている。それは喩えれば、あなたは『橋』を渡らずこちらの岸にいるとする。彼はあなたの見ている『橋』のことを語っているのだが、『橋』を渡って向こう岸にいて『橋』を語っているのだ。二つの視点を持った言葉なのだ。

 僭越ながら私が現代日本語に翻訳解説いたしました。『雨にまけるわけがない』です。読んでみてください。心に春が来ると思います。



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