2020年10月20日火曜日

[7236] 奪う・与える

 ●奪う・与える

昨日は姪夫が薪の玉切りに来てくれて思った以上に捗った。これは感謝だ。しかし嫁と子供二人連れ。嫁もまだまだ子供で子供三人付きという感じだ。ワシの体を気遣って薪割りしてくれるというから頼んだけど、さすが子供らには疲れた。自分で薪割りした方が遥かに楽。だからもう頼まない。

 薪割りだけとか、何か悩みがあったり、話をしたい時に来るのは別に問題ない。でも慣れない子供の世話は体力も精神力も奪われる。姪には大人になれと言いたいね。『奪うで疲れさす』ではなく、『与えるで喜ばす』を身に付けることだ。『奪う』のは子供や自己中心的な人のやること。あとは泥棒がやることだ。それと人間は自然から奪いっぱなしだ。返すことを忘れてないか? それが『与える』だ。『与える』ということは個人の問題だけでない。人類の問題でもあるのだ。でも始まりは内面からだ。それがどんなことなのか深く考えるべきだ。

 親が子に『奪う』ではなく『与える』を見せれば、そこに感謝は自然に芽生えてくる。子は親を真似る。

 30も過ぎ、これから多くの他人に会ってゆくだろう。ある意味、ワシも他人だ。見返りをあまり考えずに些細なことでいいから多くの人に『与える』ような人を目指しなさいな。

 奪って幸せは来ない、来るのは孤立。返せば和になる。与えることこそ幸せへの一歩ですよ。

*写真は楽しそうだけど、いやいや疲れましたよ。ヘトヘト。



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