●悪人正機説
『善人なをもて往生をとぐいわんや悪人をや』by 親鸞
現代語:「善人でさえ浄土へ生まれることができる、ましてや悪人はなおさらである」
これって善人と悪人が反対なのではないかと思われる。一般善人なら「善人は浄土に生まれる。悪人は生まれない」となる。ここで反対意見「悪人が浄土に生まれないなら、一般善人だって生まれない。なぜなら誰もが何かしらの悪をやっていて完全な善人などいない」となる。
さてこの親鸞の悪人正機説は一般善人の思考もちょい悪な思考も全てを超えている。
一般人は多分自分で自分を善人だと思っている。ならば他の誰かを悪人と思っているわけだ。これが一般人の思考だ。だから自称善人は善悪二元の中にいる。悪くいえばいい人ぶった偽善者だ。
反対に悪人とは心が迷妄・葛藤している人だ(実はみんなそうだ)。そんな悪人が本当に反省して自分ではどうしようもないと阿弥陀さんに声を出して呼び掛け救いを求める。この瞬間、迷妄・葛藤、善悪はない。二元を超越した清らかな心だ。だから浄土なのだ。ところで自称善人は反省も悪人ほど真剣ではない。だから親鸞曰く「自称善人が浄土に生まれるなら、悪人はなおさらだ」となる。
この説は善人も悪人も分け隔てなく救おうとしている心の広い尊い言葉なのだ。瞑想は三段階に進む。まずは世の中の一般偽善思考のウソに気づき、その囚われから脱出する。そうなると上記の反対意見の思考になるが、これは世の中に対する憤りだ。あいも変わらず二元分別の中にいる。分別するのはゴミで心はゴミの中、穢土にいる事になる。そこでゴミを捨てる。他力本願。他力というのは他人のことではなく、自分の心臓を動かしているのは自分ではない、それだ。
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