2025年1月7日火曜日

[8673] イノシシ

 ●イノシシ
 午前、イノシシ肉を持ってサム君がストーブの灰をもらいに来た。灰は皮を鞣すのに使うそうだ。単独で雪山に入っての忍び猟なので恐怖とか孤独、死に目などいろんな話を聞いた。動物を殺すことをどう思っているのか尋ねた。その答えは狩猟について深く考察した言葉だった。サム君の言葉で良かったのが「自然だから不自然ではないと思う」だった。
 午後、イノシシ肉と日本蜜蜂の蜂蜜を持って小川さんがやってきた。彼は罠猟をする。彼にも同じ質問をした。街で見る野生の動物と同じ動物でも山で見る動物はまるで違う。畏敬の念を覚えるそうだ。
 二人の坐禅を見せてもらった気がする。





2025年1月6日月曜日

[8672] 猫の手伝い

 ●猫の手伝い
 招き猫で飯食い始めた頃、雑誌などの取材で「猫が好きなんですか?」と聞かれ「嫌いです」と答えていた。実はその頃、嫌なことやっているせいか自律神経がおかしくなって1年間下痢、食ったものがそのままマリネのようになって出てくる。こんな猫作りなどやりたくないけど腹減るから仕方なくやるしかない。そこで紙に『これがお前の天職だ』と文字を書いてトイレに貼った。用を足す度、これを見て自分に言い聞かせていたのだ。そのうち取材に対して「猫から選ばれたのです」と答えるようになった。好き嫌いの範疇から出た感じだ。そして去年『招き猫とは、私たちを福である仏のところに猫が招いている』とわかった。
 今朝、坐禅のタイマーをセットするのを忘れて1時間以上も坐ってしまった。そして『猫の手も借りたい』ではなく『私は招く猫の仕事のお手伝いをしている』とわかったのだ。個人や社会の枠を完全に超えた感じだね。
 やはり坐禅いいよ、ただ坐るだけでなんでもない。なんでもあることしかないこの氷山の一角の社会でなんでもないことだからスゴイのだ。



2025年1月5日日曜日

[8671] 若いうち

●若いうち
坐禅は若いうちにやった方がいい。
ただボーっとするような瞑想じゃなく
坐禅の勉強も学んだ方がいい。
若いときは栄養や筋肉と同じで
勝手に坐禅の無限や清浄が身に付く。
こういうのを身に付けないと
社会の中でいずれ溺れ死ぬ。
年取ると筋肉もつかないし覚えも悪い。
「チュートリアル」って何だっけ?
何度調べても忘れる。




2025年1月4日土曜日

[8670] 犬展

 ●犬展
伊勢おかげ横丁関係で『おかげ犬展』です。
私、子供の頃、白い犬を飼ってたのよ。
2025年1月11日(ワンワンワン)~1月26日まで
時間10時から20時まで
場所:三重テラス
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町2-4-1 YUITO ANNEX 1F・2F
よろしく。





2025年1月3日金曜日

[8669] 年頭所感

 ●年頭所感
私はりっぱな年寄りになろうと思う。
歳を取ると説教や自慢話が多くなる。
そこで誰よりもりっぱな美しい説教と
他で味わえない自慢話をしようと思う。
へこたれず何度でも。




2025年1月2日木曜日

[8668] 日々是好日

 ●日々是好日 PERFECT DAYS
 PERFECT DAYSを日本語に訳せば「完璧な日々」だ。それではちょいと堅苦しいので言葉を反対にすると『日々是好日』になっていい感じだ。日々是好日とは毎日楽しくうまいもの食って過ごすことではない。あの映画の主人公の平山の朝の空模様を見る顔だ。
 坐禅するアーティストとして考察。デュシャンの便器は視覚的アーティストとしては机上の哲学空論を物で現実化したものだ。とりあえずデュシャンはこれまでの美術から目覚めた。世間での目覚めは成功や名声や報酬だ。これを手に入れることが勝ち(≈目覚め)という狭いルールだ。デュシャンはその後も捻りのきいたアンチな作品を提出している。このようなアート界隈では感覚的に豊かなアーティストなら必ずデュシャンが壁になる。私にNYでハッとした作品を見せつけた杉本博司も若手では毛利悠子もデュシャンに挑戦している。しかしその姿勢は禅問答に挑戦し悟りを得るようなもの。悟りは世間での報酬の一つ、子供へのご褒美のようなものだ。一瞬答えを得たと陶酔するがそれは妄想だ。妄想があいも変わらずの壁なのだ。
 映画の平山は成功も名声も報酬にも捉われず毎朝目覚め一日中寝るまで目覚めを実証している(夢の中でも)。彼と生活は分離しておらず彼と仕事は分離していない。だから壁はない。日々是好日。つまり坐禅だ。





2025年1月1日水曜日

[8667] 新年

 ●新年
明けましておめでとうございます。
初雪かき。
雪かきは庭造りの一部です。
今年もよろしく。