2025年1月2日木曜日

[8668] 日々是好日

 ●日々是好日 PERFECT DAYS
 PERFECT DAYSを日本語に訳せば「完璧な日々」だ。それではちょいと堅苦しいので言葉を反対にすると『日々是好日』になっていい感じだ。日々是好日とは毎日楽しくうまいもの食って過ごすことではない。あの映画の主人公の平山の朝の空模様を見る顔だ。
 坐禅するアーティストとして考察。デュシャンの便器は視覚的アーティストとしては机上の哲学空論を物で現実化したものだ。とりあえずデュシャンはこれまでの美術から目覚めた。世間での目覚めは成功や名声や報酬だ。これを手に入れることが勝ち(≈目覚め)という狭いルールだ。デュシャンはその後も捻りのきいたアンチな作品を提出している。このようなアート界隈では感覚的に豊かなアーティストなら必ずデュシャンが壁になる。私にNYでハッとした作品を見せつけた杉本博司も若手では毛利悠子もデュシャンに挑戦している。しかしその姿勢は禅問答に挑戦し悟りを得るようなもの。悟りは世間での報酬の一つ、子供へのご褒美のようなものだ。一瞬答えを得たと陶酔するがそれは妄想だ。妄想があいも変わらずの壁なのだ。
 映画の平山は成功も名声も報酬にも捉われず毎朝目覚め一日中寝るまで目覚めを実証している(夢の中でも)。彼と生活は分離しておらず彼と仕事は分離していない。だから壁はない。日々是好日。つまり坐禅だ。





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