2018年12月27日木曜日

[6574] 平等

平等
ペリペリという塗って剥ぐというバランス感覚が自分の性質にフィットした時点からこれを重要視して探求育成が始まった。あらゆるものが二進法や二項対立で表現できる世界にいるのなら、ペリペリはシンプルにそれを視覚化したもので、その組み合わせによって、あらゆるものの表現が可能であると思う。これは自分にとって未知なる領域でもあり、平等で自由なスタイルだ。この作業のプロセスがモノとなって提出される。例えば気になるのは互いに平等の方向性を持っているのに、そのモノを何かと比較してさも自分が正しいと主張することは他人を見下すことであり、不平等の考えを当たり前だと思っている思考となんら変わりなく矛盾していることになる。一見、平等を主張していることそのもの裏に、不平等があることに気づくべきだ。不平等とはエゴイスティックであり平等でありえず、自然界の動物がそのように見えるが動物は人間のように城を築くことも国を作ることもない。個と全体の自然が一体化した自然界の運動の中にある。人間は自然から分離しているので平等を維持する知性を学び続けねば、自然に守られていない不平等に陥る。その個は全体と断絶する。個の内部では脳と各部位や意識と無意識、時間にも壁を作りお先真っ暗になる。平等がときに気づかず不平等に入信してしまった時の状態だ。もしこれまでの全ての思考の先に真っ暗でない可能性があるならあらゆる転倒している思考をペリッと剥ぎ取ることにある。それが平等だろう。ペタとペリを比較せずに観察する視点を身につければいい。猫と猫でないを同じ呼吸で見る。他人の全く反対の意見が静かに聞けるときかもしれない。
 とまあこのような話をペリバにやってきた若いアーティストに語ったのであった。

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