●ゼロ
今回の個展に出かけた寡黙な大ちゃん。聞けばサトリ画にラメが施されている細部まで見ていた。実にじっくり観察している。彼は益子の城内坂通りの焼き物のお店をたくさん見て回った。そして自分の中に特別な感性が芽生えたことに気づいた。器や陶芸品などの価格がほぼわかってしまうらしい。ヘェ〜、ちょっと考えてみた。それはサトリ部屋のサトリ、つまり『ゼロ』を知ったからではなかろうか。2つの比較ではなく、ゼロがわかれば、どんなものでもそこからの距離が見えるからだ。
8年前、初めてペリペリを発表した時、猫神様を所蔵している瑠璃寺の住職さんが来て「わじんさん、売る気ないでしょ」と言った。そうではない。昔、個展に来たお婆ちゃんが「これは売っているんですか?」と言うから「非売です」と答えたら、お婆ちゃん「見せびらかしですか」と言った。それ以降、非売はイヤらしいのでやめて、欲しい人には売ることにした。だから住職さんには売る気満々だ。問題は買う気がないと言うことだ。人は自分の興味のあるモノをコレクションする。テーマを決める。僕自身猫というテーマに定めないとなんでも作りまくって混沌としてしまう。社会生活のためにはテーマが必要なのだろう。しかし自分で決めたテーマなどは保身思考停止であって、自分を縛っているのだ。そこで還暦の時、僕は自分の殻を破る未知の冒険に出た。そこで偶然どこにもない感動的なペリペリ画法を発見した。だから思う。幾つになっても自分の殻を破る冒険に出て欲しいと。それはゼロを知ることなのだ。




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