●招き猫祭り瀬戸
「第28回 来る福招き猫まつりin瀬戸」
2023 年 9月 23 日(土)・24 日(日)
『歴代日本招き猫大賞受賞作家作品展 』
パルティせと 4階
〒489-0044 愛知県瀬戸市栄町45
午前10時~午後5時
明日です。
よろしく。
●招き猫祭り瀬戸
「第28回 来る福招き猫まつりin瀬戸」
2023 年 9月 23 日(土)・24 日(日)
『歴代日本招き猫大賞受賞作家作品展 』
パルティせと 4階
〒489-0044 愛知県瀬戸市栄町45
午前10時~午後5時
明日です。
よろしく。
●無人種
伊勢の旅では
東京でも名古屋でも大勢の人を見た。
4年間コロナで籠っていたし、
久しぶりにこんなたくさんの人を見た。
けど、動物園に来たようでけっこう面白かった。
もう欧米人もアジア人も中国人も日本人も
多種多様いるけど、もう人種などなく、みんな変わりない。
ワシにとっては見ていてみんな楽しい人々と風景だ。
●成長過程
全てはいつだって成長過程であって止まるものはない。
昔は取材などで「なんで猫なんですか?」とよく聞かれた。
それは脚光を浴びた点であって結果ではない。
ただ人生の途中経過だ。
結果が出てしまうと成長が終わったように思ってしまう。
あとはその安定をしぶとく維持することしか考えなくなる。
たまたまの思考に囚われてしまう。
だから内部では成長しているエネルギーが不完全燃焼になる。
心の奥深くで流れる清浄を滞らせてはいけない。
何事も死ぬまで成長過程なのだ。
死ぬまで呼吸するのだ。
●猫と仏教
コロナ明けて4年ぶりに伊勢の猫祭りに行ってきた。
この4年の間に新しいお客さんが増えたようで
初めての方々から熱烈に声をかけられた。
嬉しいものです。
ところで祭りを体験していて思った。
30年近く開催してきた招き猫祭りは
温かみや正しさがある初期の仏教の要素を含む。
そしてその後、発見したペリペリが『空』で
そこから最近はムガノガに行き着いた。
それは禅の悟りのことだろう。
いい感じに成長しているように感じる。
●島原猫祭り
第26回来る福招き猫まつりin島原~福幸~(長崎県)
しまばら水屋敷
2023年9月16日(土)~10月15日(日)
11:00〜16:00
長崎県島原市万町513-1 しまばら水屋敷
0957-62-8555
こちらもよろしく。
●絵
絵やアートがわからない人は可哀想だ。
現実に生きていない気がするのだ。
アートがわからないなら
3歳児が絵を描いている様子を見ればいい。
自由で楽しく生き生きして幸福真っ只中だ。
3歳児は現実に大人が欲しがるそれらを手にしている。
『三つ子の魂百まで』とは
「自由で生き生きした幸福は生まれてから死ぬまである」
だから後天的な思考でその幸福を覆い埋めることは馬鹿げてる。
*ワシにとって3歳児はウザいから興味ないけどね。
●バーラト
インドの名称を「バーラト」に変更だって。
さすがインド、面白いなぁ。
ワシも名前変更しようかな?
『もり わじん』
『じ(痔)』はイヤだから無くして『わん』。
姓の『もり』は実家のだし
物の名前だから音にする。
で、できたのが
『うー わん』
猫だけど。
●伊勢猫祭り案内
第29回来る福招き猫まつり
日 時/令和5年9月16日(土)~9月29日(金)9:29~17:29
場 所/三重県伊勢市宇治中之切町52番地 おかげ横丁一帯
久しぶりの伊勢、17日に顔出します。
29回目だから、『福』。
今日の絵日記ナンバーが『8291』
8は末広がり、29が福、そして一番!
皆さん縁起担いでよろしく。
●社会
僕らは一人一人が完全無欠だ。
完全無欠の一部が人間社会だ。
社会は優劣・競争などの狭い二元の檻だ。
満たそうと目指すのが社会だから
実際は個人の中の物足りないが描いた幻だ。
だから社会そのものが政治も陰謀論も幻だ。
人は物足りないから貪る。
効率と快適と快楽にガツガツする。
完全無欠なのに。
『星の王子さま』の酔っ払いだね。
●和
最近、屁ばっか出る。
ワシは下品だ。
スケベだしいい加減だし
カッコいいしセンスいいし
金に興味ないけど豊かだし
知恵あるし長閑だし
楽しいし面白いし
けっこう品がいい。
んー、やはり完全無欠だな。
そうだ!
名前が『わじん』、
和(完全無欠)の人だったわ。
だから肖像画も、
『和』が描くので和でしかない。
わかった!(和勝った!)
●完全無欠
この2年近く自画像ばっかり描きまくった。
これは良し悪し超えて抜けた!
ところで他人の肖像画、
これが難しい。
数日、落ち込んで地獄を彷徨っていた。
今日やっとわかった。
他人その人になればいいのだ!
ワシは完全無欠だ!
●中道
昔、猫の目を描く時、
漫画にも仏画にもならない真ん中の線を探した。
今回肖像画を描いていても
マンガやイラストや絵画にならないような
真ん中の画を探している。
そこは右にも左にも上にも下にも
前にも後ろにもない。
そんな妄想の思慮が付いていないところだ。
自分の中の無垢が
自然とその道を通りたがる。
●もりさん本人
昨日の板東さんの肖像画を板東さんが見て一言。
「これ、もりさん本人じゃないの?」
とうとうボケたなぁと思った。
しかしよく考えたら
「もりさんが描いたものは全部もりさん自身ですよ」と解釈。
僕は板東さんの絵を自画像のように気に入っているから、
僕自身を描いたと言っても過言ではない。
板東さんは達観している方だ。
似てるとか似てないとか、
上手いとか下手だとか、
そのような次元にはいない。
深いところから発せられた言葉に思う。
この瞬間、僕だけの肖像画世界が花開いた気がする。