2024年7月23日火曜日

[8505] 朝仕事

 ●朝仕事

坐禅後、普段なら絵描きペリペリをする。
今朝は草をペリペリした。
まだ6時なのに
もう日の当たっているところは
30℃を超えている。
昔早朝、父親が、私がまだ寝ているところにきて
「いつまで寝てんだ! もう朝仕事、終わったぞ」と。
今思う、
朝仕事は1日をスッキリさせる。
なぜなら目的も夢も初めに叶うからだ。





2024年7月22日月曜日

[8504] 猛暑

 ●猛暑

草刈りしようと思ったが、
 庭は36℃!
こりゃぁ、やってられないわ。
明朝、坐禅の後かな。


2024年7月21日日曜日

[8503] 勿体無い

●勿体無い

メガネのテンプルが折れた。
もったいないから直す。
おかげで思わぬものができたりする。
ペリペリなんかは
まさにもったいないからの発見だ。
いらなくなった筆の筆菅を裂いて
テンプルにくっつけた。
意外といい。
(しかし筆管とかテンプルとか初めて聞く名称だ)
 




2024年7月20日土曜日

[8502] 最高

 ●最高

待望のオレンジの睡蓮がやっと咲いた。
さて、今日も薪割り円形薪積み。
「全部最も」ってのが最高だ。
英語に直せばAll(全部)Most(最も)。
これを足せば Almost=もうちょっと。
足りないを満たすのではなく、
少し「足りない」に留まるのが最高なのだ。
日本語では「吾唯足知」だ。
これで円満。





2024年7月19日金曜日

[8501] 色

 ●色

3種目のピンクのハスが咲いた。

色というのは

この場合

ピンク以外を吸収して

ピンクを外に出している。

あなたはあなた以外を吸収して

あなたを外に出している。

あなたの言っていること以外が

あなたの内なのだ。




2024年7月18日木曜日

[8500] やり直し

 ●やり直し

円形薪棚、やり方間違ってた。

まったく、やり直し。

ネット見てちゃんと調べりゃいいんだけど、

いつだってなんだって自己流してしまう。

だから繰り返しや無駄が多い。

でもだからこそ新発見や発明がある。

昔、油絵も自己流だったから

どこにもない変なの出来た。

でも今はボロボロ。

今の仕事の陶芸も自己流。

*紅紫のムクゲの中に白無垢発見。


 


 



2024年7月17日水曜日

[8499] イモムシ

 ●イモムシ

ツタの葉を食うイモムシ。
よく見るとキレイ。
白のグラデーションが絶妙。
赤い「=」は
意識的には思いつかない色だと感じる。
素晴らしい!
もう一つの写真は
ツタの落花で覆われたテーブル。
ポタポタパラパラという音を聞いているチョコ。



2024年7月16日火曜日

[8498] 円形薪棚

 ●円形薪棚

薪を円形に積む。

草が生えるとか雪が積もるとか

今後の課題がある。

試行錯誤しながら

薪を積む。

大汗かいてへたばって

翌日早朝、

坐禅で生き返る。



 


2024年7月15日月曜日

[8497] 最上川ペンギン

 ●最上川ペンギン

 写真は『最上川ペンギン』。一般的な名称はカワウなのだが、潜って魚獲るし、体つきもペンギンが痩せればそっくりなのだ。多分川に住んだペンギンだと思う。

 最上川ペンギンが今朝も翼を乾かしていた。この姿がカッコいい。スマホと双眼鏡を組み合わせて写真を撮っているのだがなかなかピントが難しい。乾かしている瞬間は見逃してしまった。

 この間、村では最上川ペンギンを大量に撃ち殺した。理由は鮎を食べるから。しかし最近の研究では、バケツでの稚魚の放流が、返って鮎の量を減らしているらしいのだ。放流でなければ別の原因。鮎が減っているのは最上川ペンギンのせいではないかもしれない。自分らで鮎を減らして最上川ペンギンに罪をなすりつけているような。

 人間の善意や決め事は時に思っていたのとは逆の効果をもたらす。

 関係ない話だけど、ゴルゴ13が毎日笑ったらおかしいだろう。



 


2024年7月14日日曜日

[8496] 旗と風

 ●旗と風

 昨日の田口さんは20年以上前に私の個展に現れた。東大医学部を出て心臓内科医、今は六本木ミッドタウン内の病院の総合医長かなんか偉い方だ。面白い方で買った私の作品は自分で持たず人にあげてしまう。なぜ私の作品を好むのか聞いたら一言「sacred」と答えた。身も心も引き締まる言葉だ。

 写真のこの絵も田口さんが買ってくれたもの。ペリペリ初期作品で名古屋の個展(2017年)に展示、画集の裏表紙にしたものだ。タイトル『旗と風』。

 禅の公案に『非風非』というのがある。小説『自由自在堂』の中でも20ページ程の話にしている。要約すればこんな話だ。

『非風非

が風に揺れているのを見た二人の僧が議論を始めた。

A僧「が揺れている」

B僧「風が揺れている」

 二人は自分の意見をゆずらず、喧々諤々、もはや殴り合いになりそう。

そこに偉い禅僧が通りかかった。

「風が揺れているのではない。が揺れているのでもない。お前らの心が揺れているのだ」






2024年7月13日土曜日

[8495] 田口さん

 ●田口さん

預かっていた作品を取りに田口さんがやってきた。

東京の六本木から来たので庭で焚き火でもして

自然を満喫してもらおうと思っていたが、

生憎のクソ暑さ、火はやめた。

涼しい風が入る蔦のパーゴラでスイカを食べた。

川の音が心地いいと言っていた。





2024年7月12日金曜日

[8494] 大気圏

 ●大気圏

 彼は雲の上にいるので、もはや夢がない。退屈でつまらない。落ちそうで生きた心地がしない。とにかく幸せと羨ましがられるんだから、幸せなフリしてよう。知ったかぶりしてよう。

 彼は地べたで働いている。上にはいろんな凄いものがある。上しかないのでいくらでも上に上れる生きがいがある。とにかく下は大したことないと言われるんだから、幸せでないフリしよう。知らんかぶりしよう。

 コンパスで半径10センチの円を描く。これを地球だとすると、この細い鉛筆線が人間が暮らしている大気圏だ。




2024年7月11日木曜日

[8493] 時間軸

●時間軸


早朝、薄暗いアトリエ、坐禅の前。

ゆっくり白湯を飲む、呼吸が調う。

Aloneが白湯を飲んでいる。

AloneはAll+one

日本語で『全一』、またはワンネス、全自、悟り。 

そして坐禅に入る。

さて時間は過去・現在・未来へ動いていると誰もが思う。

しかし未来が現在にやってきて、現在が過去になる。

時間軸が反対だが真実だ。

だから坐禅したら悟るのではなく坐禅前に悟る。

坐禅をしようとすることが悟りなのだ。

さて晴れたし草刈りAll+one






2024年7月10日水曜日

[8492] だらだら

 ●だらだら

自由とはだらだらだと思っている人がいる。

よく考えてみれば

だらだらは不自由だからそうしたいのだ。

だからだらだらは不自由なのだ。





2024年7月9日火曜日

[8491] 全自

 ●全自

 自分というのはこの単体オンリーで生きてない。自分以外の空気や水や食べ物が必要だ。それらも自分の生命の延長だ。空気や水や植物があるためには、地面、地球が必要だ。それらも自分の生命の延長だ。重力や物理法則も自分の生命の延長だ。微生物や動植物、鉱物やあらゆるものが自分の生命の延長だ。これら知識になったもの以外に未知なる分からないものが無尽蔵にある。それら全ても自分の生命の延長だ。結局あらゆるものが自分の生命の延長なのだ。もちろん他人も自分の生命の延長なのだがエゴがあるから理解できない。だから愛とか友達とか仲間とか繋がるなんて言葉が必要になるが、これらがあるということがエゴがあることの証明になる。しかし片方が無ければ無いようなものは双方とも不在である。

 とにかく全てが自分の生命、これを『全自』と名付けた。全自はエゴに思えるがエゴではない。どちらかと言えばノンエゴ、無我だ。ノンエゴや無我は否定系なので、肯定系として全自を提案したのだ。

 全自から分かれたホンの小さな部分が私たちが思っている『自分』という仮の塊だ。自分が全自なら人も猫も鳥も虫も草も山も川も全自だ。全自が全自なのだから、そこに差別や分別はない。全自だからこそ自分が差別や分別を無化する実践を行い続けることができる。全ての自分を否定し全自にゆく。これが生命として持って生まれた智慧だ。






2024年7月8日月曜日

[8490] 中心

 ●中心

大雨、梅雨ですね。

ところで太陽は太陽系の中心ではない。

ちょいとズレているらしい。

太陽系は銀河系の端だし、

ビッグバーンだって宇宙の中心では無いのだろう。

人間は中心を求めるので中心があると思い込む。

無いから求める。

どこにも中心は無い。

無いが中心。

もちろん自己中なんて無い。





2024年7月7日日曜日

[8489] 青

 ●青

 見事にハスの花が大きく咲きました。春先に植え替えして毎日水底を眺める。植え替えの時期とか土がまずかったかなぁとか気になることが多い。土からポコっと葉芽が出ているのを発見したときは嬉しい。それから次々と葉芽が出る。

 そしてある時、花芽が水面からポコっと出ているの発見する。これも葉ばかり出て花芽がつかない時があるからかなり嬉しい。花芽は徐々に伸びて葉の上に出る。つぼみが最大限に膨らみパッと開花する。

 ハスは勝手に成長している。私はそれを見守りながら水を足したり腐った葉を取り除いたり手入れし観察している。

 こういうのは絵に似ている。絵は自分でやっている頃は目的や既成概念に縛られ不自由だった。絵も鉢植えのハスと同じで勝手に成長していることがわかってくると楽しい。私は絵を見守り手入れ観察する。ペリペリ以降、毎日、小さなポコや軽いハッとした気づきがあり、それらしい絵の花が咲く。

 『初めに言葉ありき』という文言があるが、いやいや、言葉ができる前が実に楽しい。手入れ作業があって、そのあとで感覚が喜び、最後に頭が知識にする。この知識になる前の頭が空っぽな最初の手入れ作業にリアルがある。

 最近、絵は女性が出てきて青になっている。キレイだと感じ、空に出たのかしら? ペリペリから青い花でも咲いたのだろうか? 『井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る』ってことかしら。