2024年10月21日月曜日

[8595] 三毒

 ●三毒
貪:好きな晴れだけでいい
瞋:嫌いな雨などいらない
痴:雨降らす奴らがゆるせない
悟:日々是好日



2024年10月20日日曜日

[8594] 新しい

[8594] 新しい

過去は古い。

未来が新しいかといえば

歳をとるので未来は古い。

つまり過去も未来も古い。

頭の中のこんな思考が基だから

世間はあっちこっちと迷うのだ。

さてあらゆる全ての姿は

いつだって今が新しい。

世の中はいつも片時も休まず

新しい細胞が生まれているからだ。

枯葉だってこの今の風景が新しい。

身体だっていつも

『今が新しい』でできている。






2024年10月19日土曜日

[8593] 庭

 ●庭
人は一生ほとんどの時間を
部屋の中にいる。
家、車、仕事場などなど
それらは六面が壁だ。
頭はこの六面の壁から
世界を知ろうと思考を巡らす。
さて私は庭によく居る。
庭には川があり海につながる。
地面があり山々につながる。
空があり地球を覆っている。
太陽があり果てなき宇宙につながる。
海・山・空・果てなきが庭。






2024年10月18日金曜日

[8592] おこさま

 ●おこさま
ふと思ったんだけど、
なにかっつーとすぐ怒る人、
ワガママな『怒様』だ。





2024年10月17日木曜日

[8591] 茶道

 ●茶道
 庭で打ち合わせ。昨日、仕事の打ち合わせではるばる伊勢から幸田さんがやってきた。チョコの小さい頃を知っているというから8年ぶり。前と同じで『蔵民宿あおやぎ』に泊まる。ここは1日一組しか泊まれない宿で夕食がすこぶるうまい。無理言って私ら二人分も作ってもらった。ありがたや。
 幸田さんは茶道の師範クラスらしい。そういや昔、茶室で茶道の偉い先生方と個展をした。その時の今は亡き大先生のお婆ちゃんが悟った方で素晴らしかったことを話した。
 茶道は坐禅にも通じる。話は弾んだ。弾めばノリが良くなり思わぬアイデアがガンガン降ってくる。もはや世界はお茶の子さいさい掌握したね。なんてね。





2024年10月16日水曜日

[8590] 自


 ●自
絵を描いている時は何も考えてない。
うまく描こうとか褒めてもらおうとか。
『自ら』描きながら
『自ずから』描かれる。





2024年10月15日火曜日

[8589] なんでもない

 ●なんでもない
 坐禅は誰が見てもやってもわかると思うが、ただ坐っているだけで『なんでもない・なんてことはない』。社会で起こっている親分たちの陣地争いや対する陰謀論、それを思い煩う苦、AIや宇宙へのスペースXなどの目紛しい科学発展への希望と不安、これら全てが『なんでもない・なんてことはない』ってことがわかる。







2024年10月14日月曜日

[8588] 囲いと自由

 ●囲いと自由
 家とか学校とか地域とか会社とか組織とか国とか、それから人間関係では家族とか仲間とか。人はこういう囲いの中にいる。悪く言えば人の一生はこれらに縛られている。
 この世は無限に広い。人は囲いに息苦しさを感じ、または好奇心や探究心で外に出ようとする。しかし囲いの外には差別がある。家に対しては宿無し。学無し、無職、仲間外れ、他所もんなど。囲いからの脱出は大変な気苦労がある。
 さて坐禅だけど、あの結跏趺坐の姿勢、完全に身動きできない囲いで縛り、不自由極まりない。そこにわざわざ自分から入り自分から出る。心身が内外超えて宇宙的自由になるのは当然だ。





2024年10月13日日曜日

[8587] あっという間

 ●あっという間

薪割りや運びでど疲れだったせいだろうか。
ちょいと寝坊して
日の出に坐禅を始めた。
タイマーが鳴った。
え! もう?
時間を間違えてセットしたのか? 
いや間違えてない。
5分もやってなかったような。
あっという間。
清々しい坐禅だったわ。
寝てたのかしら?
それとも気絶?





 



2024年10月12日土曜日

[8586] STOP

 ●STOP
30歳の時、アメリカで2度絵画展をした。
その後は猫作家。
そして60歳の時、やり残した絵画を再び。
偶然にもどこにもないペリペリを発見。
この年父親が亡くなる。車で一時停止違反。
死、停止、『STOP』。
悪はもちろん『STOP』。
反対も悪影響を受けているので『STOP』。
そこで個展のタイトルを『STOP』にした。
形は交通標識。
そして今、全て『STOP』の坐禅をしている。





2024年10月11日金曜日

[8585] 基本動作

 ●基本動作
 秋ですね。薪割りです。
 庭にばっかりいると、これでいいのかなとふと思う。周りのみんなは多分すごいことをしているんだ。自分は世の中から取り残されるー。でも街にいる人を見ても映像で人の姿を見ても、人は坐っている、立っている、動いている。あとは寝ている。全員これに当て嵌まる。車に乗ってようが宇宙船に乗ろうがやはり身体はこれしかやってない。喋ったり考えたり喜怒哀楽しているのはほんの表面であって、結局本体の身体はこれしかやってない。これが基本なんだ。猫はこの基本を頭と身体分裂なくやっているからスッキリしている。それに大ちゃんも分裂がない。だからトイレに入って、たった5秒で大量のうんこ、スッキリ帰ってくる。





2024年10月10日木曜日

[8584]  出会い

 ●出会い
 最初の猫祭りを開催し、その後の猫祭りは板東さんに委ねた。
 板東さんは7歳上でこの間74歳になった。彼は会った当時、古今東西の消えそうな民芸招き猫を万点近くコレクションしていた。それだけに留まらずアーティストとして芽が出ず腐ってる私を拾って、他のモノづくりの人たちまで集めて、全国に招き猫文化を産業としても定着させた。東京の私専門ギャラリーも彼が作ってくれた。文化とか歴史とか一回り大きな範囲が見えている人だ。この人との出会いは大きい。おかげで道をとことん追求探究できた。




2024年10月9日水曜日

[8583] 弥勒

 ●弥勒
 母親が「あそこのお兄ちゃんは結婚しようにも弥勒がない」と言っていた。
 なんのことだろう?
 弥勒菩薩は慈しみの菩薩。お釈迦さんの入滅後56億7千万年後に、この世界に現われ多くの人々を救済する。それまでは瞑想修行中だ。お兄ちゃんに弥勒がないということは慈悲心がないということなのか? 母親が言ったのは「男としての魅力がないんだよ」だった。
 ところで弥勒菩薩で気になったのは56億7千万年と言う、途切れない遥か彼方の未来だ。人間のやることはどんなに素晴らしいことでも、どんなに偉大なことでも、どんなに美しいことでも全て儚い。全てあっという間に忘れ去られる。途切れてしまう。寂しいものなのだ。ワシなんか自慢だがこの世に招き猫のブームを作った立役者なのに、今ではただの猫作っている変なおじさん、否、偏屈なお爺さんだ。ガーーーン!
 よし弥勒菩薩のように永遠に親しまれよう! それには弥勒のように寂しい心を慈悲心に転換する。それは弥勒菩薩像のあの姿がそれを表している。ただ坐って待つ。慈悲に途切れはない。だから56億7千万年なのだ。これでワシはいつまでも魅力的だ。