2018年12月31日月曜日

[6578] 時間の上

●時間の上
北海道からアーティストがやってきた。
作為と無作為が気になるらしく
しきりにその言葉を吐いていた。
目を閉じている作品を見て
「ゾワっとした」と感想。
開眼したようだ
二十年以上構想していたものだ。
ペリバの空間がものを見るのに最適なので
ゴミ捨て場の便器を持つように
ふと手にして置いてみたら
空間が引き締まり
二日前
いきなりの完成となった。
グイッと十年二十年前進した気分だ。
赤ちゃんが初めて立った時の親の感動。
これで来年は時間の上を
自由自在に歩ける。
まだヨチヨチだけど。

2018年12月30日日曜日

[6577] 魂

雪掻きしながら、いいことに気づいた。
 来年五月に雅叙園の展示があるので、猫作品に精を出している。ところでとりあえず『猫作家』といえば『もりわじん』と多くの方が知ってくれている。社会的にはこれで飯が食っていけるのでありがたいことだけど、僕には猫以外のいろんな時代があった。どの時代も大切な時空間だ。その時代時代の作品が違うから、それぞれの時代の僕の考えも違う。
 作家というのは自分のオリジナリティを見つけ、その作風で生涯を過ごすのがシンプルだ。会社ではないがナニナニ作家という名刺を手に入れたようなもので他人が安心できる。僕の名刺には『縁起物猫作家』と書いてあるわけだ。これで僕という人間は民芸縁起物が生活の奥まで入り込んでいる日本人に安心して認められる存在となった。
 ところで問題なのは僕は猫作家なので猫以外の前時代についての作品は猫のためにあった時代と考えてしまう。ペリペリをやってからその考えは違うことがわかった。僕には多くの時代があり、それぞれが独立したものとしてあったのだ、と考える方が面白いし己が開かれる事に気づいたのだ。ひとりの人間だからどれも繋がってはいるが、どれかが一番ではないのだ。前思考的には経済を満たした猫時代に長くどっぷり浸かっていたので、他の時代も猫のためにあったように思い込み、猫の中に組み込んでしまっていた。そんなふうに考えてゆけば未来までも猫に組み込みたくなって、猫牢屋の中に未来の僕を入牢させてしまう。この閉じたような思考が誤っていたのだ!
 しかし考えたらこれでは僕は個人史的にバラバラだ。まるで多重人格だ。そこで発見しなければならないのが全ての僕に共通の『三つ子の魂百まで』というような『魂』だ。あらゆる思考には反対の思考があり、どちらかに傾けば、感覚がそれに気づくはずだから、そういう思考を剥ぎ取ってゆくことが魂の発露だと思う。それほど困難なことではない。そのためのペリペリ発見だったと思う。政治や経済なども剥いだペリペリの果てに、全ての他人にも共通の千年万年永遠の『魂』を観ることだろう。

2018年12月29日土曜日

[6576] ジム

ジム
今日はジムの日だ。
頑張ってエクササイズ。
なんのことはない雪掻きの事です。
軽く一万歩は超えました。

2018年12月28日金曜日

[6575] ペリカン

ペリカン
ペリペリペリカン。
ペリペリのシンボルアニマルになりそう。
猫の次はペリカンって
ワシは宅配便で世界を繋ぐつもりか?

2018年12月27日木曜日

[6574] 平等

平等
ペリペリという塗って剥ぐというバランス感覚が自分の性質にフィットした時点からこれを重要視して探求育成が始まった。あらゆるものが二進法や二項対立で表現できる世界にいるのなら、ペリペリはシンプルにそれを視覚化したもので、その組み合わせによって、あらゆるものの表現が可能であると思う。これは自分にとって未知なる領域でもあり、平等で自由なスタイルだ。この作業のプロセスがモノとなって提出される。例えば気になるのは互いに平等の方向性を持っているのに、そのモノを何かと比較してさも自分が正しいと主張することは他人を見下すことであり、不平等の考えを当たり前だと思っている思考となんら変わりなく矛盾していることになる。一見、平等を主張していることそのもの裏に、不平等があることに気づくべきだ。不平等とはエゴイスティックであり平等でありえず、自然界の動物がそのように見えるが動物は人間のように城を築くことも国を作ることもない。個と全体の自然が一体化した自然界の運動の中にある。人間は自然から分離しているので平等を維持する知性を学び続けねば、自然に守られていない不平等に陥る。その個は全体と断絶する。個の内部では脳と各部位や意識と無意識、時間にも壁を作りお先真っ暗になる。平等がときに気づかず不平等に入信してしまった時の状態だ。もしこれまでの全ての思考の先に真っ暗でない可能性があるならあらゆる転倒している思考をペリッと剥ぎ取ることにある。それが平等だろう。ペタとペリを比較せずに観察する視点を身につければいい。猫と猫でないを同じ呼吸で見る。他人の全く反対の意見が静かに聞けるときかもしれない。
 とまあこのような話をペリバにやってきた若いアーティストに語ったのであった。

2018年12月26日水曜日

[6573] 温もり

●温もり
冬なのに、雪も降らず、薪を覆っていた雪が溶けて薪が顔を出した。
ここぞとばかりに薪割りをすることに。
だいたい四日分の薪ができた。
乾燥に一年以上要するから、来年か再来年の真冬用だ。
これで僕と猫の未来は僅かだが暖かく明るい。



2018年12月25日火曜日

[6572] 呼吸

呼吸
 人はオギャーと泣いて呼吸をしてから生き始める。呼吸は最重要だ。いろんな運動があるけど、共通して大事なのが呼吸だ。アートは心や脳や手の為せる技だがやはり呼吸が大事だ。
 脳死か心臓死かと言う問題があるけど、脳が死んだら能無しだし、心臓が死んだら心無しでどちらもお終いだ。呼吸は肺で行なうが、脳や心臓のように固定された物体に重きを置かず、吸って吐くという反対方向があるエネルギーのようなもの、つまり対立する二つの概念が共存しているところに重きを置く。塗って剥ぐペリペリと同じだ。
 この詩を思い出した。
『人や銀河や修羅や海胆は宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら‥』 by 宮沢賢治 [春と修羅]より

2018年12月24日月曜日

[6571] クリスマス

クリスマス
ずいぶん昔
ペリコプターのような黒い船に乗った
ペリーダンスができると噂された
ペリーくんが来航して一言。
「ペリークリスマス」
対して洒落好きな日本人は
「ペリっしゃい」と答えた。

2018年12月23日日曜日

[6570] チェス盤

チェス盤
 市松模様といえばチェス盤がある。元々はインドのチャトランガというゲームで、戦争好きの王に戦争をやめさせるため、高僧がこのゲームを作って王に献上したのが始まりだと言う。このゲームがヨーロッパにはチェスとして、日本には将棋として伝わったらしい。
 そういやペリペリは社会の情勢をきな臭く感じた時、勝負とか左右とか上下とか中央・周辺とか、喧々諤々、さまざまな対立する概念がいたるところに浮上し、ウザくなって、あたしゃどこでもない次元に向かおうと、内なる戦争を回避するために止揚として発見したメタ視点の技法なのだ。
 ペリペリで王も大衆も戦争をやめたくなれば幸いじゃ!

2018年12月22日土曜日

[6569] 市松模様

市松模様
 最近のペリペリは市松模様化している。剥いた部分と剥いてない部分がある程よく並んだ方が心地よいのだ。
 ところで市松模様とは江戸時代の歌舞伎役者の佐野川市松が着ていた袴からその名称になった。その昔には『石畳文様』と言われ、細かいのは『霰(あられ)』と言われる。そのもっと昔には古墳時代の埴輪にその模様があるから日本古来の伝統模様と言われるらしい。
 ペリペリしていて古墳を発掘した気分だわ!

2018年12月21日金曜日

[6568] 淡々

●淡々
ペリバにもようやく慣れ
いい感じに散らかり
毎日ペリペリ
凹むこともあり
歓喜もある
目的はない
誰も行ったことのない
知らない土地を
面白いものを発見した
方向に
淡々と歩いている
気分は穏やか
未開人のオレ
どこへゆくのだろう

2018年12月20日木曜日

[6567] 橋

ハシカラハシマデゼンブハシ
カベツクルヨリハシワタソウ

2018年12月19日水曜日

2018年12月18日火曜日

[6565] 妊婦

妊婦
温泉に行ったら受付の女子のお腹が大きい。
おめでただ。
「妊娠中の絵を描きたい。裸でモデルにどう?」
「ヤダ!」
こんな珍しい雅美な姿は今だけなのに。
しょうがないので想像で描いて
妊娠祝いに素描をプレゼントした。

2018年12月17日月曜日

[6564] マチス

マチス
ペリペリは塗って剥ぐ行為。
剥ぐ前にナイフでカットが入る。
カッティングといえばマチス晩年の作品。
何かヒントがあるような気がした。
マチスの作品をペリペリした。
思った以上に面白い。
次なるヒントが見つかった!
温故知新。
さすがマチス。
いいかも!

2018年12月16日日曜日

[6563] イヌシシ

イヌシシ
 イノシシを作ったんだけど、現物はイノシシなのに、写真を見るとイヌがウッシッシと笑っているような『イヌシシ』だわ。
 今年の干支はイヌで来年の干支はイノシシだ。イヌだって大晦日まではイヌを満喫したい。おいそれとイノシシに席を譲りたくはない。だから今はまだ今年だからこそイヌの要素がイノシシに混入したのかも知れない。
 そこで思った。
 来年はイノシシとネズミの合体『イネ』。再来年はネズミとウシの合体『ネウシ』というような中間動物を作ろうかと思う。
 まあ、来年再来年などの遠い未来のこと言うと鬼どころか妖怪みんな笑ってうざいけどね。
 https://www.moriwajin.com/news/福を呼ぶ-創作招き猫-福亥-横浜市

2018年12月15日土曜日

[6562] ポチくん

ポチくん
 16年前の話。ある日の早朝、犬を遊ばせるドッグランのオーナーがやってきて「子猫いらないか?」と言う。その子猫はドッグランが気に入ったらしく他所に捨てても捨ててもドッグランに戻って来るらしい。見に行ったら子猫がデカイ犬どもに囲まれ因縁つけられていた。子猫は猫なのに犬っぽい長い顔を持ったせいか、自分では犬と思っているようで、ワンワン吠える奴らが仲間に違いないとドッグランに来たのはいいが、どうも言葉がニャンニャンとワンワンでは2と1でまるで通じない。何かがおかしい。子猫はやってきた僕を見つめて「ここ違うみたい。頼む、もらってくれ!」と懇願顔。全然可愛くないがちょうど白っぽいのが欲しいと思っていたので連れて帰った。大抵の人がこの子猫を見て「犬?」と言うので、名前はポチくんになった。ポチくんは食い意地が張っている。自分の目の前の餌皿を無視して隣の猫の餌皿に隣の猫を押しのけて食いに行く。隣の方が美味いに違いないと思い込む性格なのだ、同じ餌なのに。もしかしてドッグランにいたのも、猫の隣の種である犬がいいに違いないと思ったのかもしれない。
 今、ポチくんはうちで一番歳取っている猫で16歳7キロ。飯食う時とウンコする時以外はほぼ一日中寝ている。うんこはワシのより太い。遊ぶとか戯れるとか何かに興味を示すとか、なんもない。たまに目を覚まして大声で「あー面倒臭い」「なんだろうね、人生って」などとマイナス思考っぽい音色で喋る。このまま徐々に衰えてゆくだけなんだろうけど、一体なんのために生きているんだろうと思う。そうやって考えりゃ、人間もそれほど変わりない。僕などは起きて飯食ってうんこして仕事して酒飲んで寝る。ほぼ毎日同じことを繰り返している。多分新しいアートのペリペリやったり、ペリバを建築したりしたのは、前向きな活力のある人間として日常的マンネリに抵抗、退屈打破もあるだろうが、この場からもう一段高い広いステージに飛び出し、あの世や天に近い境界が霧散するようなところで奏でられている音楽を観てみたいのだろう。

2018年12月14日金曜日

[6561] 上一段活用

上一段活用
ペリない、ペリます、ペリる、ペリる時、ペリれば、ペリれ。



2018年12月13日木曜日

[6560] 亥亥寝

いいね、亥亥寝
 展示会案内です。
会場:横浜髙島屋 7階 クリエイティブ工房
220-8601横浜市西区南幸1丁目631号 
【問合せ先】045- 311-5111
20181219日(水)→25日(火)
午前10時~午後8時 最終日は午後5時閉場

2018年12月12日水曜日

[6559] 猫人間

猫人間
 猫は『働かない』。
 猫はあるがままにいることで自然の中で充足を得られるが、人間は年がら年中、何かと不満が多く充足などない。そこで猫のように楽するため『働かない』を願う。大金があれば『働かない』ができると人は安易に考えがちだが、うまい話には裏がある。多分そっちの方が難儀しそうな気がする。
 そこで僕は『働かない』くせに優雅で日向ぼっこの上手な猫を観察した。ところで猫らは『働かない』わけではなくそれなりにネズミやモグラなどを捕まえるのに大変だ。しかしその行為は飯を食ったらうんこするように自然の流れのままなのだ。だから働いているという姿に見えない。つまり『働かない』というのは自分では働いているように感じないということだろう。そこで僕は自然と文化の融合生活、働いているんだけど働いていない生活、作品の中に住む生活、猫人間を創造した。夏目漱石という先達がいたことでこの創造がスムーズにいったことは否めない。
 その後ペリペリによってこの猫人間の猫も人間も消え、基本構造の陰と陽の二元が明確になってきた。例えば上や下があって、どちらかにベクトルが向かなければならない。大抵の人は上へのベクトルだろう。それが双方向へのベクトルが消えて、上と下の二元だけが明確になった。かといって静止したわけではなく、ベクトルは上と下の次元ではなく、これまで知らなかった別の高次元に移行したと言える。

2018年12月11日火曜日

[6558] 生活

生活
 会社で働く人は仕事は仕事、家に仕事を持ち込まないが一番。仕事と生活は分離している。
 ところで僕が創造した建築物や庭は仕事であると同時に生活だ。近所のお百姓さんみたいなものだな。でかい小屋が必要だし、庭も畑もある。最近畑を拡大して新種の野菜を始めたらしい。
 僕が作っているのは米じゃなくアート物。文化に従事しているから家も庭もそれらしく作っている。最近新種のペリペリを始めたので小屋を拡大したのさ・・・みたいな。

2018年12月10日月曜日

[6557] 実践

実践
ペリバに去年のペリペリ作品を展示し眺めながら思う。
 住居とアトリエから広がって、小屋、薪棚二つ、パーゴラ、そしてとうとうペリバができた。これで自分の建築が完成したように思う。大学で建築を学んだことへの、いい成果が出せた。
 ところでこれらの建物はすべて僕の飼い猫がモデルになっている。自分の猫作品が単なる商売道具に収まってしまうだけではつまらないし不甲斐ない。そこで考えたのが田舎暮らしをすることで、社会にある中心と周辺の二元に対しての自分の考えを提出し、住む家を猫のデザインにし、猫から学んだ居心地の要素などを建築に盛り込む。中に住む僕が長い年月それらを体感実験する。
 自分のアート観を自らの生活として実践しているわけですね。
 これらの生活の底辺には剥ぐという行為のペリペリが重要な役割を果たしている。



2018年12月9日日曜日

[6556] 大雪

大雪
まあ!
一晩で
とてつもなく降ったこと。
朝も早よから、
大地を覆った雪を
ペリペリ剥がして
世界に繋がる道を作りました。

2018年12月8日土曜日

[6555] 雪

雪化粧。
まあ美しいおウチだこと!
雪はそれほど積もってないので薪割りを決行。
節が多くて斧ではダメなので手動の機械でやる。
なんか雪の中でやるのも風情があっていいなと思った。
半分ほど終わった。
頑張ってやったので昼飯が美味い! 

2018年12月7日金曜日

[6554] 裏表紙

裏表紙
ペリバでの仕事も少し調子がついてきて、ここにいるのが楽しい。
 午前は薪割りをやったが、雨で中止。今夜から雪が降るという。積もったら薪割りはできなくなる。マ、来年でいいか。
 今度の小説の裏表紙を制作中に、外でチョコが異常な声で鳴く。何事だろうと思って急いで戸を開けたら、この雪の降りそうな寒い外、テラスのコンクリの上でゴロニャンしていた。なんで異常な声を出す! これまで猫でペリバに入ったのはチョコだけ「自分は特別なのだ。外は寒いではないか、バカ、さっさと入れろ」と言いたいのだ。ペリバを一周して当然のように僕の椅子に座って寛いでタバコを一服し、言った「灰皿!」。

2018年12月6日木曜日

[6553] ペリバの唄

ペリバの唄
ペリバ完成祝いに最高最大の喜びの讃歌
土建屋さんがきてユンちんぼーで鉄柵を
移動んこたれブリっとバンバン固めてさ
ペリバ側の新しい柵がやっとできんたま
デッキに立って川眺めホッと一息写真ぺ
これでペリバの内も外も完成不完全変態
待ちに待った真面目人間剥げカタツムリ
雨雪降れ降れクダラねぇ絵描けオレ被り
ペリバペリバペリペリペリペリペリバー

2018年12月4日火曜日

[6551] 対極

対極
土建屋さんがきてユンボで柵の鉄柱を移動。そこに網を張ってペリバ側の新しい延長柵ができた。これでペリバの内も外も完成した。ペリバのデッキから川を眺め悦に浸る。
 そこで不完全なものやくだらないものが作りたくなっている自分に気づいた。ペリバが必要になり、これができるまでは完成された作品のイメージが湧いていた。でもペリバが完成した途端、反対が、やはり対極も大事なようだ。中心は一つではない。そもそもペリペリが創造と破壊の要素を持つもの。人間の本質は、いや、世の中の本質はこのような概念でできているのだろう。
写真:オレ被り、タイトル『オレ華々しい』

2018年12月3日月曜日

[6550] サステナビリティ

サステナビリティ
ペリバでペリペリ制作だと思ったけど、薪割りをしてないことに気づいた。やるか! とチェンソーにガソリン入れたが、まだ足が痛い。ムリは禁物。
 そこで萩の剪定をやる。なぜか15株程あった萩は5株だけ、10株枯れてしまっていた。まぁおかげで簡単に終えたのはいいが、萩は枯れた土地にいち早くやってくるパイオニア植物なのに、なんで枯れたんだろう? それに萩は薪ストーブの焚き付け用にちょうど良かったのに、残念だ。サステナビリティが一つ途絶えた感じだ。

2018年12月2日日曜日

[6549] ポスト構造主義

ポスト構造主義
晴れ。
 早速ユキヤナギの雪囲い。あと網戸外し。これで冬支度はほぼ完成で残りは片手間でできること数点。よし明日からペリバに籠もって制作だと思ったところに、六本木で『HOME』展をやった藤原くんが久しぶりにやって来た。色々アートについて語る。話の端々にレヴェ=ストロースの構造主義が出てくるのが面白い。(彼の著書:『野生の思考』は名著だ)。
 また彼と組んで展覧会したいものだ。なぜなら彼のおかげで現代美術の分野にペリペリを発表でき、生意気だけど、もはや現代美術は手中に収めた気分だからね。これまで民芸では招き猫で村興ししたし、宗教美術も猫神様でお寺さんに喜ばれたし、さてペリバで次なる世界に足を踏み出すべ。ポスト構造主義かしら。
 写真:オレ被り、タイトル『オレタコ』(意味:オレが多幸)。ちなみに『あなたタコ』はあなたの写真があれば注文制作いたします・・・似てないかもしれないけど。

2018年12月1日土曜日

[6548] ペリバ

ペリバ
傷だらけの堕天使、安全靴は重いので長靴はいて過ごしている。
 今日は一日中雨なので、雪囲いは明日にして、アート場の倉庫の片付け。そうそうこのアート場って名称なんだけど、どうもしっくり馴染まない。アートっていう高慢そうな名称が気にくわないのだと思う。ペリペリはそういう高慢なアートをペリッと剥ぐっていう意味合いもあるからな。剥いだ後もどうせ何かに巻き込まれちゃうかもしれないけど、そこもペリッと剥いじゃう運動体としての名称。そうね、やっぱり新しい名称がいい、シンプルに『ペリバ』(ペリペリ作業場の略)でいこう。
 写真:ペリバの角スペース。右にチョコ、初探検。

2018年11月30日金曜日

[6547] 初仕事

初仕事
アート場での初ペインティング。
 と言っても道に置く駐禁と進入禁止の看板ね。これやっておかないと、とんでもない奴がいるんだ。隣の公園には広い駐車場があって、そこに車を止めればいいのに、たまにバカタレがわざわざ人ん地の駐車場前に止めて、どっか出かける。ワシの車が出られないじゃないか!
 あっ! 変なの思い出した。
 震災の時だけど、ガソリン買うため車がスタンドからうちの前まで1キロ以上も並んでいた。もよおしてきたんだろうね、うちの駐車場前にウンコ、犬? いやいや上にテッシュのってたからもちろん犬ではない。犬や猫のは別に汚ないと思わないけど、人間のって妙にヤダな~。自分のをよく感じるために、他人のを悪く感じるようにしているのだろうか。誰かや何かを嫌悪する時って自分擁護が裏にあるね。

2018年11月29日木曜日

[6546] ケガ

ケガ
 尻の穴が治ったと思ったら腱鞘炎、その痛みがなくなったと思ったら、今度は左足第2指の先っちょに荷物を落として痛い。それ程でもなかったので作業していたら、なんと下駄が赤い。靴下も赤い、ゲッ!! バンドエイドして仕事。夜、そこに椅子を落としてしまった。ギャー! ものすごく痛い。寝てても痛く、ブルブル悪寒がしてきた。なんじゃこりゃ? 指が潰れて骨が砕けているのか? ずっと痛い。今度はすごい汗、シャツも枕もビショビショ。
「今晩が峠ですね」と医者は言う。
 エーーーーー
 朝、痛みが引いた。峠を越したようだ。
 痛みが引いてよかったが起きてベッドにそこをぶつけた。朝、玄関のドアを開け、またぶつけた。コーヒー飲んでて、テーブルの脚にぶつけた。昨日の最初の怪我で平気だったのに、なんでまた何度も何度もピンポイントで同じとこぶつけるかね、今はもはや歩き難い。包帯巻いて家の中も安全靴履いて過ごしている。

2018年11月28日水曜日

[6545] 逃亡

逃亡
朝、チョコを庭に出したら、いない!
また逃亡した。すぐ見つけたけど、いったいどこから?
ちょっと隠れて監視しないといけないな。
 それにしても、面白くない。
何が面白くないって、せっかく建てたアート場だよ。それに柵もアート場に併せて広くなっている。こっちの思いとして、普通ならチョコは「あれっ? いつもの柵がない! 広くなっている。あああぁっ! こんなところに建物が! 何だろうこの建物、カッコイイな。ここに入りたいな~。テラスで昼寝したいな~」とアート場を見て感心する。それを見た僕が「あっそーぉ、やっぱりカッコイイ。まあまあ、中に入ってゆっくりお茶でもどう?」ってのが筋だろう。まったく。
 写真はバナナ亥。

2018年11月27日火曜日

[6544] 柵

半分仮止めと、崖は本番の猫逃亡の柵ができた。
写真は崖側。
昨日から外へ出てないチョコを庭に出した。
夕飯の時間になっても帰ってこない。
なんと! 逃亡していた。
夕方、懐中電灯つけて逃亡箇所を発見。
いやいや、さすがチョコ。
よくこんな穴見つけたもんだ。
しかしここは仮止めだ。
本番の崖っぷちでは無かったので安堵。

2018年11月26日月曜日

[6543] アート場完成

アート場
アート場が完成。しかし中身は空っぽ。
 ここ数日、絵描き準備のためテーブルやら椅子、画材道具、壁板、柱、梱包材、イーゼル、棚、絵諸々運んでは配置する。それと並行して冬支度と猫逃亡防止のための新しい柵造り。これが難儀。まだまだ全く落ち着かない。アート制作にはまだ数日かかるだろう。まあこれがアートみたいなもんだけどね。ところで毎日、一万歩以上歩いているわ。ど疲れ、全身筋肉痛っす。

2018年11月25日日曜日

[6542] 調味料

調味料
うちのチョコは
味噌みたいな茶トラ柄で
砂糖のように甘えて
酢ばしっこく
塩らしく寝る。
醤油う猫だ。

2018年11月24日土曜日

[6541] 進歩

進歩
 さて雪が降ったし、手をぐるぐるテーピングして固めて、家の雪囲いと除雪車目印杭を打った。
 除雪車目印はデカハンマーを使わないやり方を初めてやった。労力三分の一で手も傷めず上手くできた。前からやっておけばよかったのに、なんでこのアイデアに気づかなかったのだろう。 
 10年前にここに引っ越して初めての大雪。雪国生活なんかド素人の僕は近所の年寄りたちのやり方を見て、真似して9年やっていた。ところが今回、初めて自己流の簡単で綺麗なやり方があることを知ったわけだ。
 そこで思った。もしかしたら他の分野や作業でも既成概念や伝統に縛られ、無理して苦しむことが当たり前だと思い込んでやっている事があるかもしれない。そういう苦しい場やイラつく場に出会ったら、シンプルで美しい新たなやり方を探ろうと思う。なんか腱鞘炎のおかげで、少し進歩したようだ。

2018年11月23日金曜日

[6540] 自立

●自立
 ここ数日間、手が使えないので本を読んだりしている。まあ面白いんだけど、創作に勝る感動ではないな。
 これを機に手のためにも手を無理しなくてできる作品制作を考えてみようと思った。建築家やファッションデザイナーのようにラフスケッチして、それを他人に図面にしてもらって、職人さんに造形してもらう。またはコンセプトだけ考えて、あとは AI 機械や他人に作らせる。または経営者のようになる。どう考えてもワシはそういうテッペンのタイプではない。プライドと金と成功が餌ではイマイチもの足りない。やはり創造が一番の餌だ。ペリペリを発見した時なんかもうすごかったもの。だから底辺でチマチマ考え、ブリコラージュのように作業することの方が快感、深い体験ができる。
 さて今まさに手が使えない。それではと、チンポに筆を縛って、壁に和紙を貼り、『自立』という字を書すぞ! 無理か! 床に和紙を置くだな。
 写真はタイトル『自立:コタツに立つタツ』

2018年11月22日木曜日

[6539] 自己中

自己中
『こんな手いやだ』なんて、昨日はとんでもない発言だ。
 ワシはこの手のおかげで生活できてるし、ここまで豊かになったし、ちやほやもされている。ちょっと手が怪我して不具合だからってその言い草はないだろう。ちゃんと感謝して大事にしなければならない。
手「そうだそうだ! 自己中だ!」
 昨日ステロイド注射してきた。手首に初めて注射を打つので少し緊張したがチクリともしないで終わった。麻酔で手がモワっ~として心地いい。
 一日経って今日恐る恐る曲げてみた。やや痛くない。まだ安静だな。でも掃除機を持ったら痛い。なんと『祈り』のポーズが痛くてできない。自分のことばっかりで人様のことを祈らなかったからだろう。
 よし祈ろう。オレの手のために、みんな、幸せになってくれ! 頼む。

2018年11月21日水曜日

[6538] 注射

注射
筆持てねぇ、土いじれねぇ、自動車のハンドル右に曲げられねぇ
尻拭けねぇ、薪割れねぇ、いつやるんだ冬支度
オラこんな手いやだ、オラこんな手いやだ
注射打つだ 注射打ったら
手を振り回し アート場でペリするだー
 病院へ よし行くぞー

2018年11月20日火曜日

[6537] お裾分け

お裾分け
 腱鞘炎でしばらく手が使えないので、頭は新しいペリペリアイデアでいっぱいだ。ペリペリの重要性が明確になっている気がする。既成を剥いで新鮮になるという精神が生まれ変わるような豊かな行為や概念だから当然だ。
 しかしその頭の中のイメージ、それは厄介だ。
 頭は物事を分けて判断するので明確を装っていることに気づかない場合が多い。自分が利口と振る舞いたいのでバイアスがかかる。それとは対極の身体は利口ぶる頭がない代わりに、出来る出来ないや身体ならではの創造があり快感を知っている。その快感を頭にお裾分けもできる。喜びで言うなら、頭のアイデアでは身体が喜ぶかどうか不確かだ。身体が頭の手下や奴隷としての抑圧された喜びならば、その喜びは他との関係を作れないから閉じている。身体が頭から解放された開いた関係性の中での喜びなら、お裾分けによって頭も身体も心地よい。
 アート場ができて、いざ制作に取り掛かった時、頭はリーダーとして最初だけ参加してもらい、その後の作業は身体がメインだが頭と身体のコミュニケーションが始まる。これまでの経験上、意外な展開になり全く思いもしなかったものを発見するだろう。
 ところでお裾分け、裾そのものは足の近くにあるものだから身体の下、そこから一番上に位置する頭へのお裾分けは頭のプライドが許さないだろう。そこで科学や文化が必要になる。
 だからこそ物事を進めるのは困難に思えるが、作品制作においては、個人の頭と身体の相互作用に気づき展開することで、閉じて強張ったものが溶解する喜びを味わう。
 それを人間社会へお裾分けする。

2018年11月19日月曜日

[6536] 杭

●杭
もう10日ぐらい腱鞘炎が続いている。
それにしても今週末には雪が降るという。除雪車のための目印用杭打ちをせねばならない。この仕事は鬼が持つような特大ハンマーを両手で持って、薪割り斧を振り下ろすように、全身で杭を打つ。腱鞘炎のこの手でできるわけがない。手が千切れるよ! 
痛め止め注射という手がある。ところで薬で痛みを止めたとして、普段の仕事に支障はないだろうが、炎症は治ってないのだから、特大ハンマーなどを使えば、痛みがないとは言え、内部の炎症がひどくなるだろう。やはりこんな酷な杭打ちはできない。
杭は打てない。
杭を打たない。
杭を打たずに・・・
簡単に杭を立てる方法を考えればいいのだ!
なるほど。
ぐふふ、方法が見つかったもんね。
諦めてはいけない、必ず道はあるのだ。

2018年11月18日日曜日

[6535] 案内

展示会案内
来年の干支、イノシシ出してます。
時:11月17日~2019年1月14日まで
(火曜日と12月29日から1月4日まで休廊)
所:愛知県瀬戸市薬師町
招き猫ミュージアム1階 スペース29
よろしくです。

2018年11月17日土曜日

[6534] 電気

電気
 住んでいる家からアート場に電気を引く。
 家は木造壁でアート場は金属のサイディングの壁。木壁に穴やプラスチックはカッコ悪いので禁止だ。ところが庭から見える木壁になんと穴が! そこから電線が出ていた。今から電線をプラスチックで覆うらしい。ゲゲッ! 自分は美術に携わっているせいか自分の関わった作品で気に入らないところがあるとやるせなくなって胸が苦しくなる。職業不安神経症って病かしら。
 誰だってあの木壁からプラは出さないだろうと思っていたが、人の美意識が違うことを知らされた瞬間だ。もうしょうがないなーと半分諦め、ため息ついていたら、SSが「やり直し!」と決定を下した。す、すげぇ!!
 写真:『ポールダンス』、電気の碍子(ガイシ)と合体。

2018年11月16日金曜日

[6533] 下水道

下水道
アート場の建築工事も終盤に入った。
 日本にもいろんな部族がいるかのように、いろんな専門職の方々がやってくる。家を建てるってのはすごいことなんだなぁと思った。
 アート場にトイレはなく水道があるだけ。下水はどうなるんだろうとふと思って、聞いてみたら、家の浄化槽につなぐらしい。で浄化槽を開けたら満杯。ゲゲゲ、焦って汲み取りの予約をした。

2018年11月15日木曜日

[6532] ネック

ネック
身体の痛い箇所を上から順に挙げてみる。
『右下奥歯、右手首、右側腰、肛門、左膝』
並べてみて分かったのは、
一般的に神経は首で交叉して、左右ひっくり返る。
僕の場合、お尻で交叉して、左右がひっくり返るようだ。
 尻がネックだね!

2018年11月14日水曜日

[6531] 腱鞘炎

腱鞘炎
アート場。 
 ワシだけでなく猫の遊び場を増やしてあげたいので、これまでの柵の位置をアート場の端まで広げたい。
 先週土曜日、広げるところの崖の草刈りをした。無理してしまったのだろうヤケに右手首が痛い。すぐに治るだろうと思ったが、痛くて、柵工事も冬支度もやらねばならない時期なのに、ここ数日何もできない状態だ。この間は肛門だし、実はその前は左膝がおかしくなっていた。膝も肛門もよくなっているが、このいろんな身体の各部の不調は身体の部品が老年を無事超えるために変身し、仕事や運動の仕方の新しい注意事項を示している気がする。今日整骨病院へ。腱鞘炎らしい。しばし休んで注意事項を身に沁みらせよう。

2018年11月13日火曜日

[6530] アート場

アート場
昨日の名前は却下。
 名前負けしないように、なんでもない感じがいい。空き家アトリエの時は「絵描きルームにいるからね」で会話がまったりスムーズだった。今回はルームなどより大きい作業場。
 絵描き場、絵画場、ペリ場、餌場、束でかかってこい!、ここヤバ、叔父叔母乳母、うーーサンバ、川のそば、美場(ビバ)。
 ところで最近は絵を描くというより、ペリペリのような剥ぐ行為のアートが主、それをする場所。
シンプルに『アート場』にしよう。 
「アート場にいるからね」