2021年7月31日土曜日

[7520] 見るそのもの

 ●見るそのもの

 ワクチン2回目接種。

「自分は大丈夫だ、運がいい」なんてのは個人の思い込みに過ぎない。しかし他人が「大丈夫だ」「安心安心」と掛ける言葉は確かに根拠がないけど、メンタルが辛い時、救ってくれるように思う。子供の笑顔とか、猫が頬を擦り寄せるとか、穏やかな風が吹くとか、そういうものと同じで、気休めかもしれないけど大事だと思う。

 問題を解決するには答えがあればいいけど、100%明確な答えを人間は持ってない。答えなんてのは確率だからだ。社会にとっては確率でいいのだが、個人は不安だ。どっちに転んでも明確でないなら、全てを忘れるために敵を作り攻撃したり、モノをぶち壊したり、快楽に逃げ込んだりする。

 さて思考にはどうやっても理解できないことがある。しかしそれを身につけることはできる。それは生死に執着しないことだ。全ての問題は生死と関わっている。だから答えは「執着しない」になる。例えば生死とは目の瞬きのようなもの。瞼を閉じたからと言って目の玉が無くなったわけではない。つまり生死は表面上の瞼のようなもので、奥には『見るそのもの』があるのだ。『見るそのもの』には生死の概念を超えた方向が見えている。しかし我らが持つ思考では生死の概念と繋がっているのでそれを理解できない。これを身につけるには生死に執着しないこと。執着しないから悪いことや差別はしないし慈悲を持つことになる。逆に言えば悪いことも差別もしないで哀れみを持つことで生死が消える。

 子供の頃に持っていた屈託のない笑顔や猫の無邪気さや穏やかな風が元々それだ。生きようが死のうが生死を超えたところにいるからこそ『大丈夫』なのだ。






2021年7月30日金曜日

[7519] 裏ばかり

 ●裏ばかり

暑いですね。

外国のオリンピック関係の方々は

日本のジメジメした暑さに

「騙された、謝れ!」と言ってるらしいね。

しかし騙してはいない。

「おもてなし」=「表無し」=「裏ばかり」

最初から裏工作だらけのオリンピック。

この競技が裏にまみれていることは

地球人なら誰でも知っている。

だから関係者みんなが悪い。

ちゃんとみんなで協議して、

もっと選手の力を発揮できる

時期と場所を選ぶべきなのです。




2021年7月29日木曜日

[7518] ハラハラ

 ●ハラハラ

スポーツ見てて思う。

ハラハラドキドキはダメですね。

感じた瞬間にチャンネルを変えてしまう。

だからほとんど見てない。

これから歳取ると、

また別の何かがやってくるんだろうか?

ワクワクウキウキならいいのかもしれないな。

とりあえず、今はハラハラドキドキはダメだ。



2021年7月27日火曜日

[7516] 未来

●未来

未来とは

「老い、病気、介護、死」

人の精神を孤立させるような不幸な言葉。

ふざけるな、くだらん。

不幸など偽りだ。

不幸のために今を生きているわけではない。

ただの不愉快な呪いだ。

不幸な言葉で呪うのはやめなさい!

僕は呪いの言葉と縁を切る!

「静寂、春風、清流、青空」

と書き換える。



 

2021年7月25日日曜日

[7514] 間愛

 ●間愛

人と人の間には間合いが必要だ。

『間合い』から『間愛』という造語を考えた。

間合いというのは

人と人の距離だけでなく、

言葉の距離にも言える。

ドラマ『北の国から』のような

あの言葉の間は風景を生かす。

夏目漱石の「月が綺麗ですね」も

空間を生かす。

言葉の間合いは言葉の意味だけでなく

空間に充満している慈しみに包まれる感じがする。

だから『間愛』とした。

新しい作品ができるように、

こうやって言葉も新しく生まれる。

 写真:おいおい、ワシはおまるじゃないぞ!




2021年7月24日土曜日

[7513] 人間

 ●人間

『人間』という文字には『間』があるのが面白い。

『時間』にも『空間』にも『間』がある。

時間も空間もここからあそこまでの間を言う。

ならば人間もそうなんだろう。

私からあなたまでの間を人間と言う。



2021年7月23日金曜日

[7512] 創造

 ●創造

 中道は創造の源だ。既に知れたあっちでもなくこっちでもない。右に傾いても左に傾いても中道は遠い。右も左も上も下も中心も周辺も否定すれば、そのうち中道に立っていることに気付く。そこは透明だ。

 中道を身体で説明すると、人間の正中線の生殖器から頭頂まで通じていて、我らは女性の生殖器から生まれてくるから、そことも繋がっている。中道は個人の生命だけでなく、脈々と続く生命そのものの根源からの流れでもある。中道は他の生殖器から自分へ、自分の中を通り自分の頭頂から出てゆく。知性は自分以外の全てを考察する。知性は肉体を離れ生死の概念を超える。これらの中道の道の要所要所、つまり人の正中線の要所には喜びがある。生まれた時、性を感じた時、食を得た時、愛に包まれた時、言葉を放った時、知恵を持った時、我を捨てた時、それぞれで歓喜を得て頭頂から放出され散らばる。歓喜が創造である。しかし一要所の歓喜に捕らわれ流れを寸断すれば澱む。




2021年7月22日木曜日

[7511] 不足

 ●不足

 忙しい時は「猫の手も借りたい」と言う。手が不足しているのだ。

 人は不足しているから満足へと向かいたがる。しかし水が高い所から低いところに流れるように『高い感じの満足』から『低い感じの不足』に向かって流れるのが道理。不足が満足になればまた別の不足に流れる。自然とは不足を満たす大きな循環の仕事をしている。均しているのだ。だから不足を無理に満足にしようとはせず、そのような仕事は自然の道理に任せておけば、そのうち自然に満足になる。だから足りないぐらいがちょうどよく、自然の道理が通じやすくなる。嬉しいことがあればそれは満足なので、周りの不足に分けてやるのがいい。それで体の中の濁りは消えて、水は澄む。

 水が澄めば観客が集まる。濁っていれば無観客。



2021年7月21日水曜日

[7510] 集団

 ●集団

 ハキリアリはキノコ栽培をして暮らす群れだ。

 今年5月、多摩動物園のハキリアリの女王が死んだ。集団はそのままいつも通りなのだが、働きアリを産む女王がいないのでアリは増えない。これから徐々に滅びてゆく事になるらしい。

 人はいっぱい群れるとなんとか団体になったりなんとか派になったり団体主義や全体主義になる。そういうところでは個人の考えは重要でない。集団は集団を維持するために嘘をつくし人を騙したりもする。個人的な考えを持ってそこから出ようにも出ることが困難になる。そんな集団の考えを自己の中心に置けば、孤高の考えは排除され、大衆向きの思考や固定した概念を己の中心に据える事になる。いわゆる内省や瞑想は遠のきアリのように右倣えや左倣えになって行動するようになる。幅広くいろんな意見を知るのはいいが、内から湧き出る創造のためにも、頭はあらゆる思考から距離を置いてほしいものだとつくづく思う。

 なぜか心のとても奥深くで、死んだ女王や残されたハキリアリたちを想う自分がいた。まるで巣から落ちたスズメの雛を数日飼って、元気になったと思っていたのに、前触れもなく死なれた時のような全ての意味が無意味になったようなこの地上に誰もいなくなってしまったような心のざわめきが消えるこの静けさが妙である。

 写真:定位置のトノサマカエルとスイレン8種類目オレンジ系です。それとピニャモと入道雲。




2021年7月20日火曜日

[7509] 畏敬の念

 ●畏敬の念

 自然を舐めてはいけない。

 昔、高尾山をハイヒールやつっかけで登ってる若い女性を見たことがある。マメ作って不貞腐れていたような。大した困難な山ではないので、どんな格好しようと構わないが、その格好のその子の内面はと言えば、山にゴミを捨てる輩とそれほど変わりない。動植物を無意味に殺す輩と変わりない。経済だけの理由で闇雲にメガソーラーなどの開発によって自然破壊しても何も感じない輩と変わりない。なぜならそれは自己中心的な偏った思考であって、あなたを生かしている環境である大自然の偉大さを感じ取る感性や知性が欠如しているからだ。自然に対する『畏敬の念』を思い出すべきだろう。自然と言えば言葉から遠い存在の無垢な子らの魂は自然そのものだ。ならばその子らも実はあなたを生かしているのだ。

 写真:私に喜びを与えてくれる今朝のスイレンとトノサマカエル、それに羽を乾かすバッドマンのようなカワウ。カワウは羽に油がないので潜りやすいが濡れやすい。魚を取ったらこうやって羽を乾かすのだ。





2021年7月19日月曜日

[7508] 相対音感

 ●相対音感

クラリネット奏者の先生が

制作依頼していた『クラリネット猫』を

いただきにやってきた。

彼女は好奇心旺盛だけでなく

音楽の審査員などもやっているだけあって

とても聞き上手。

会話がはずんだので、『わ』の図の説明。

大感動していただき、感謝。

ところで彼女の話で面白いと感じたことがある。

音感には絶対音感というものがあるけど、

絶対じゃないみたい。

まあ思考的にも絶対は融通が効かないからね。

大切なのは相対音感だという。

『人の話は絶対信じない音感』のワシも

初めて聞く言葉『相対音感』に興味津々。



2021年7月18日日曜日

[7507] 注目

 ●注目

月刊Wendyの『この人に注目』で紹介されました。

新発見の『わ』の前身にあたる『和』について記しました。

読んでください。

ネットは下記です。

https://wendy-net.com/series/person/?fbclid=IwAR26BogaYBJ5SMnsZJAAwMj_8Vysx9UA6OC2OwZmvT7pGBE0V3V-0cyTjRw



2021年7月17日土曜日

[7506] 猛暑

 ●猛暑

暑い! 

トノサマカエルは親分カエルの下で涼んでます。

10年間

暑い日は裸で暮らしていたが

去年熱中症になり

もう野人ではないと知り、

文明を取り入れました。

昨晩、クーラー初始動しました。

いまいち慣れないけど涼しいです。

あいも変わらず裸だけど

文明に感謝。



2021年7月16日金曜日

[7505] 真言

 ●真言

 いきなり我が画法のペリペリ画をやり始めている。

 ここ最近、絵など全く興味なかった。多分いくら引きこもり性格とはいえ、自分の意思ではなく、コロナ社会から閉じ込められるのはゲンナリ。この不自由さに縛られ、将来に絶望し、やや小うつ気味だったのかもしれない。ところが別にこれといったきっかけもなくやる気が出てきた。

 なぜ?

 もしかして昨日の絵日記に『なるようになるさ』なんて唱えたものだから、内なる自己が目を覚ましたのだろうか。それともワクチン打った『福』反応だろうか。それともコロナ終わった?

 なんにしろやはり『なるようになる』ようだ。





2021年7月15日木曜日

[7504] なるようになるさ

 ●なるようになるさ

 何がどうなろうと己の責任。誰かのせいではなく己のせいだ。この社会がオカシイならそれは己のせいだ。この社会が可笑しいならそれは己のおかげだ。どっちにしろ己の想像だ。

 己が感じていることは己の脳で作った映像に過ぎない。少しマトモな夜の夢と同じ。どれもこれも本当のことではない。愛があれば世界は地獄に仏、それも己の夢。

 『なるようになるさ』、これは夢ではない。映像がないから目を覚ましたのだ。

 一日に一回は目を覚まそう。

写真:ネムノキ。上が下。




2021年7月14日水曜日

[7503] ギフテッド

 ●ギフテッド

 イラストレーターやっている友達の子が『孫正義の高い志と異能を持つ国内外の若手人材支援』に選ばれた。13歳だ。プログラミングコンテストで受賞などしていた少年で、僕の絵日記をよく読んでいると少年の母親が言っていた。今度はゲーム制作や新しいアルゴリズムを生み出す研究に挑戦するらしい。

 昨今はコロナ禍で鬱陶しい情報ばかりでうんざりしていた。そんな折にこのような突き抜けた朗らかな情報は喜ばしい。こういう子らのためにも新発見の『わ』をちゃんと底辺に置いて絵日記を書いてゆこうと思う。

 ところで少年の母親なんだけど、過去がぶっ飛ぶほど面白い! 笑ってはいけないような内容だけど、思い出すたび大笑いしてる。

 写真:新入りのトノサマガエルが親分カエルに挨拶してました。




2021年7月13日火曜日

[7502] 自己

 ●自己

 もったいないことがある。自らの原石を磨かず他人の言葉を鵜呑みにする。他人の言動に便乗し我が物のようにしていては他人の褌で相撲を取ってるようなもの。他人の褌に真実などない。使い古されたものだ。不愉快な顔がその証拠だ。自分の大事なものは他所にはない。どんなに本当らしい言動でも他人は主人ではない。




2021年7月12日月曜日

[7501] 極み

 ●極み

 銀メダカがまた1匹いなくなった。これで残ったのはオスとメス、2匹だけ。もしかしたらギンギラギンで目立つので金魚に食われているのかもしれない。他の鉢の銀稚魚の生存率も悪い。

 少し稚魚を増やそうと思うのだが、水鉢は全てハスが伸びているので卵取りが困難。

 そこでパーティなどで缶ビールなどを冷やすバケツがあったのでこれに移す。鑑賞だけなら新しいメダカを買えばいいのかもしれないが、やはり観察育成することに大きな楽しみがある。

 そうか、アートもそうだね。鑑賞するだけなら美術館に行けばいいが、ワシなどはお客さんに30年近く観察され育てられている。珍しいメダカのようなもんだ。自分としては我がアートの成長を追ってもらいたいし、いつかアートの極みを示したい。




2021年7月11日日曜日

[7500] 前人未到

 ●前人未到

 人体実験といえば、素晴らしい青年がいる。僕が企画した一昨年の『最上川芸術祭』にアーティストでもないのに、たまたま珈琲屋で出会い話したらすこぶる面白いので参加してもらった青年だ。

 彼は仕事先のボリビアでコロナに感染し高熱。イベルメクチンと血栓予防の薬を服用し、その後喉の痛みから水を飲むのも困難になり入院。強ステロイド服用。軽度の肺炎。16日目に帰宅。

 そしてこれから、彼の抗体を検証するために人体実験をやるらしい。まずは今の抗体をチェック。次にシノファーム2回摂取して抗体の伸びを検証。半年空けてファイザーもしくは別のワクチンを接種する。

 僕には彼が冒険者に思えた。彼は登山が好きだから、この実験も人類未踏の地へ向かう冒険なのだろう。自分はそんな冒険者ではないが、やはりアートの分野では未踏の地に到達したいので、できうる限りのあらゆる実験をしてきた。わかっていることよりわからないことへの興味だ。そしてその探究心がようやく『わ』の新発見に繋がった。

 人はなぜこういう冒険に興味が湧くのか? ブルーハーツの歌『チャンス』にあった。「空前絶後 前人未到 そんなふうな生き方は楽しいだろうな」だね。冒険者はいい意味で地上のこの世に未練もなく執着もなく儚んでいるわけでもなく恨みもつらみもなく、この社会に恩を売るわけでもなく抵抗するわけでもなく、未来の金や生や死に振り回される事もない。この世の濁った我を振り切るためにただただ真っ直ぐに向かう純粋な魂があるように思う。何はともあれ僕らが頼る医術や薬は他の人間や動物による実験検証が行われ今にあることを忘れてはならないと思った。

 写真:少し冒険していた20代前半。インドでダンスと世田谷に壁画。





2021年7月10日土曜日

[7499] 宇宙人

 ●宇宙人

 人体実験イベントに行ってきました。ワクチン接種です。

 会場にはスタッフ含め100人ぐらいいた。接種する人は地元でワシと同年齢近辺なんだけど、誰一人知らない。小さな村なのにこんなにたくさん知らない人がいるってことが妙だった。接種はなんてことはなく終え、昔ハチに連続刺されてアナキラフィシーになったことがあるので30分待機。

 美術館のような大きな会場にじーっと動かず椅子に座って人々を眺める。

 ふと過った。子供の頃、世間のことなど全く分からず敵がいなかったから親が味方というものでもなかった頃、ただポツンと自分がいて、どこに連れて行かれても初めて見る世間をただ眺めていた。あの感覚が蘇りとても新鮮だった。捕まった宇宙人の写真を見たことあるが、普通ならあれを見る時、自分は捕まえた側の人間として見る。けど今回は捕まった宇宙人の視点で人間社会を観察できた。それが初体験で面白かった。だからいいイベントだった。



2021年7月9日金曜日

[7498] 目

 ●目

 5匹いた銀メダカは3匹になってしまった。数が多い黒メダカがときどき水鉢の底に死んでいるから、銀2匹は死んだのだろう。ここで生まれた銀稚魚は50匹以上いる。しかし今は20数匹。知らないうちにこれらも死んでいるようだ。しかし最初の黒メダカ(新潟産)から20年ぐらい途切れなくいるから、生死を循環しながらメダカは子々孫々繋がっている。

 ヤクルトさっちゃんが友人にメダカを貰ったらしく「メダカをもらったら卵がくっついていたけど、卵はどうやって育てるの?」と尋ねてきたので、いろいろ教えて水藻をあげた。ついでにメダカの卵も数個あげた。数時間後「稚魚が孵ったぁ!」と連絡があった。人が喜ぶのはいい。

 ところで人間の目の色センサーは赤・緑・青の3つ。メダカは赤2タイプ・緑3タイプ・青2タイプそれに紫外線、こんないっぱいセンサーがあるんだって! メダカに比べたら人間は世界を地味に見ているってこと。もしくはセンサーによって見え方が違うのだから、これが正しいという見え方はないということだ。



2021年7月8日木曜日

[7497] 脳

 ●脳

『アメリカンユートピア』の最初のシーンでデビッド・バーンが人間の脳みそ模型を持って「脳の研究で、赤ん坊の時は神経細胞の繋がりが多かったが、大人になるに連れて繋がりを失ってゆく」と話す。大人になるに従って愚かになっているようなものだ。しかしその後「いらない繋がりがなくなって、大人になって他者と繋がることによって人間が形成される」と。



2021年7月7日水曜日

[7496] 中道

 ●中道

 前の前の車が中央線を跨いで時速40k以下で走っている。多分その後ろの車となんかあって嫌がらせをしているのだろう。

 日本では、車は道の左側を走り、キープレフトが大事だ。右に偏りすぎると対向車と衝突する恐れがある。また左に寄り過ぎると道から外れる。そこは歩道だから危ない。

 十字路で曲がる場合、左に曲がる時は横断歩道を注意しなければならない。右に曲がる時は対向車だけでなく左右から来る車や横断歩道にも気をつけなければならない。たまには追い越すことだってある。その時は左ではなく右に入る。このように右は左より気をつけなければならない点が多い。こういった意味でもキープレフトが大事だ。ちなみに世界のほとんどの国は右側通行、キープライトなのだ。だからキープレフトは希少価値だ。思想的に『中道』とはキープレフトのことかもしれない。

 今の社会は車社会だから、この車道の喩えは存外間違いでは無さそうな気がする。



2021年7月6日火曜日

[7495] 映画

 映画

 猫を作るようになってから、10年間玄米食だったし免疫力しっかりの食事だし漢方やってるし、まあやや自負できる健康生活者である。しかし若い頃は食い物以外でも珍しいもの解らないもの変なもの刺激になるものは何でも試した。これらに加えて今度は新型の薬も試そうとしている。好奇心旺盛な性格なのだ。たぶん中道を探しながら歩いているのだ。中道はあっちでもこっちでもない創造が湧くところだ。

 気持ちが改めて創造に向き始めたせいで、昨晩は庭から出ないワシが山形に来て初めて自発的に映画館に出向いた。それもいつもはぐっすり寝ている夜の部、デビッド・バーンの『アメリカンユートピア』を見てきた。デビッド・バーンは僕より5つ上。彼の率いていた「トーキング・ヘッズ」は僕が二十代の頃からずっと意識の中にいて多大な影響を与えてくれたバンドだ。いまだに尊敬の対象だ。今回の映画はコンセプトも何もかも素晴らしい、そして楽しい中道だ。こういう美しい世界観を提出している人がいることが勇気づけられる。いい刺激勉強になりました。久しぶりに大画面の大音響で全身ド疲れしたけど。



2021年7月5日月曜日

[7494] 必死

 ●必死

 死ぬ気でアートをやっているとか無我夢中になることをやっているとなればワクチンを打ってしまった方が余計な情報に惑わされずに済む。まあ必死なわけだから死んでもいいわけだ。どうせいつかは間違いなく死ぬ。死への恐れや不安から人を疑ったり勘繰るのは性に合わないし、社会のいざこざは創造をモヤで覆う。死よりも優る題材を探究する方が面白いし性に合う。これまでもそうやってきた。

 僕の興味は例えば人間や宇宙の真理とか根源とかだ。生きている間、このような問いに己を全部注ぎ込んでいたいのだ。これで恐れはなくなる。爆発するかもしれないロケットに乗って未知の宇宙に行こうと命をかける宇宙飛行士や過去に若くして燃え尽きたミュージシャンやアーティストのその精神が僕の中にもほんのちょっとあると信じている。

 写真:ロダンの『考える人』より、尻尾に集中して必死なので考えてないかもしれない猫。




2021年7月4日日曜日

[7493] 創造

 ●創造

 コロナやワクチン考察。

 今の社会は分断激しく情報が氾濫していて、自分の居場所を見失いがちになる。こんなモヤに包まれたあやふやな状況では全く落ち着かない。そんな時、人は誰かやその言動に頼る。誰かの言動に従いそれが自分と思い込むのは模倣であり迷いだ。僕は右も左も上も下も吟味する。それは自分を失わないためである。そこでさくらんぼ取りも終えイゴも亡くなり、時間もすぎ、気も落ち着いたので、数日間冷静になって考えた。

 去年、僕は『わ』の図を新発見した。これはコロナのおかげと言っても過言ではない。コロナで自分はもしかしたら死ぬかもしれない。ならば死んでも納得ゆくものを創っておきたいと思い、立ち上がり、何にも捕らわれないように余計な情報や過去の知識や既成の思想や世間の期待や己の経済欲望を排除しアート制作を突き進めた。その結果、揺るぎない真理と言える図を発見した。この時これが創造というものだと気づいた。創造とはモヤを消し奥にある光を現す。モヤとは迷いごとである。

 さて世間のコロナに対するいろんな情報、これらの言葉に創造となる主体はあるのだろうかと考えた。見えるのは批判、妄想、先入観、絵空事、理想、逃避、劣等感、優越感、反抗など、それぞれ人間社会にとっては必要な素材だが、それらは幻想対幻想であって、やはり僕が僕として存在できる迷いを超えた創造的時空ではない。

 そんな中、よくよく考察したらこれは面白いというものがあった。mRNAワクチンだ。これはどんな科学者が創造したのだろう? とても興味深い。これまでこんなものを打つ気はなかったが、創造に値する概念を持っていると思い始めた。若い頃、未知なるアート作品に興味を持ち探り受け入れ血肉にしたように、否定の否定で肯定としてこれを身体に取り込むつもりだ。ある意味、これは僕の創造としての楽しみである。

 ところで一つ要望がある。僕は『福猫』を作る仕事をしている、ちょっとだけ麻薬かなんかを入れて副反応ではなく『福』反応にして欲しい。




2021年7月3日土曜日

[7492] 笑顔

 ●笑顔

アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真

朗らかになるようでいい写真だな。



2021年7月2日金曜日

[7491] カツラ

 ●カツラ

温泉でカツラ被った親父が湯船にいた。

蒸れないのかな? 

見せたくないものがあるのかも。

まあ大した理由がないなら、

頭は外も中も

すっきりがいい。




2021年7月1日木曜日

[7490] 『わ』の図

 ●『わ』の図

 先月、二十代半ばの女性ディレクターがテレビ出演依頼にやってきた。昨今はテレビに出ても期待以下なので全て断っている。とりあえず彼女に作品を見せてみた。なんと新発見の『わ』の図の説明に好奇心と探究心を示した。かなり感動している。

 数日後、彼女からメールが届いた。今回のテレビは無し、やっても無意味、もっとしっかり伝わるようなところで発信したいとのこと。僕の思いが通じたことは嬉しい。それにもまして一番嬉しかったのは、『わ』の図の内容を忘れないように書き留め、その感動を友達と話し合ったということだ。