●創造
コロナやワクチン考察。
今の社会は分断激しく情報が氾濫していて、自分の居場所を見失いがちになる。こんなモヤに包まれたあやふやな状況では全く落ち着かない。そんな時、人は誰かやその言動に頼る。誰かの言動に従いそれが自分と思い込むのは模倣であり迷いだ。僕は右も左も上も下も吟味する。それは自分を失わないためである。そこでさくらんぼ取りも終えイゴも亡くなり、時間もすぎ、気も落ち着いたので、数日間冷静になって考えた。
去年、僕は『わ』の図を新発見した。これはコロナのおかげと言っても過言ではない。コロナで自分はもしかしたら死ぬかもしれない。ならば死んでも納得ゆくものを創っておきたいと思い、立ち上がり、何にも捕らわれないように余計な情報や過去の知識や既成の思想や世間の期待や己の経済欲望を排除しアート制作を突き進めた。その結果、揺るぎない真理と言える図を発見した。この時これが創造というものだと気づいた。創造とはモヤを消し奥にある光を現す。モヤとは迷いごとである。
さて世間のコロナに対するいろんな情報、これらの言葉に創造となる主体はあるのだろうかと考えた。見えるのは批判、妄想、先入観、絵空事、理想、逃避、劣等感、優越感、反抗など、それぞれ人間社会にとっては必要な素材だが、それらは幻想対幻想であって、やはり僕が僕として存在できる迷いを超えた創造的時空ではない。
そんな中、よくよく考察したらこれは面白いというものがあった。mRNAワクチンだ。これはどんな科学者が創造したのだろう? とても興味深い。これまでこんなものを打つ気はなかったが、創造に値する概念を持っていると思い始めた。若い頃、未知なるアート作品に興味を持ち探り受け入れ血肉にしたように、否定の否定で肯定としてこれを身体に取り込むつもりだ。ある意味、これは僕の創造としての楽しみである。
ところで一つ要望がある。僕は『福猫』を作る仕事をしている、ちょっとだけ麻薬かなんかを入れて副反応ではなく『福』反応にして欲しい。
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