●創造
中道は創造の源だ。既に知れたあっちでもなくこっちでもない。右に傾いても左に傾いても中道は遠い。右も左も上も下も中心も周辺も否定すれば、そのうち中道に立っていることに気付く。そこは透明だ。
中道を身体で説明すると、人間の正中線の生殖器から頭頂まで通じていて、我らは女性の生殖器から生まれてくるから、そことも繋がっている。中道は個人の生命だけでなく、脈々と続く生命そのものの根源からの流れでもある。中道は他の生殖器から自分へ、自分の中を通り自分の頭頂から出てゆく。知性は自分以外の全てを考察する。知性は肉体を離れ生死の概念を超える。これらの中道の道の要所要所、つまり人の正中線の要所には喜びがある。生まれた時、性を感じた時、食を得た時、愛に包まれた時、言葉を放った時、知恵を持った時、我を捨てた時、それぞれで歓喜を得て頭頂から放出され散らばる。歓喜が創造である。しかし一要所の歓喜に捕らわれ流れを寸断すれば澱む。
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