●パーフェクトデイズ
ヴェム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』を観た。トイレ清掃員の話。とても清浄な感覚を味わえた。これはまさしく坐禅ですね。トイレで過ったのがデュシャンの便器、逆さに展示してタイトルが『泉』だから、これも清浄だ。汚物と清浄。坐禅がパーフェクトデイズ。
2024年12月31日火曜日
[8666] パーフェクトデイズ
2024年12月30日月曜日
[8665] 米粉ビル
●米粉ビル
米粉ビルが建つほどのパンのアイデアがあったので近所の米粉パン屋に教えた。今年の春頃の話だ。
私にとって猫神様のアイデアは六本木に猫ビルが建つぐらいすごいものだった。六本木など忙しないところは避けて山形のここに猫の家を建てたからまんざら嘘でもないだろ。ところが米粉おめこめ、半年以上過ぎても全くやろうとしない。なぜやらないのか? これが疑問だった。
ふと昔を思い出した。私が20代後半、アートですっごいアイデアがないかと模索していた。そこに父親がやってきて「このアイデアはどうだ?」と。聞いて少しびっくりした。父親はアートなど全く無縁なのに当時のアメリカの新人アーティストに近いものだったのだ。しかしそれがなんであれ父親のネタなどに興味はない。そのネタで成功しても父親に「オレのおかげだ、バカが」と何かあるたびいつも自慢されそうでイヤだ。
そうか、これか! 米粉にとって私は私の父親みたいなものなのだ。ガーーーン!
2024年12月29日日曜日
2024年12月28日土曜日
2024年12月27日金曜日
[8662] 剪定
●剪定
クヌギの強剪定をした。
去年も茶色の葉だったが、今年は立派に育った。
ダメになる前に元気になると聞く。
今年の元気はその予兆かもしれない。
前にもう一本のクヌギが雪で折れてヤバくなった時、
強剪定して生き返り、今はすごく立派に育っている。
今回のは弱っていたからどうなるかわからないが、
生き返って欲しいものだ。
木があれば砂漠だって潤う。
2024年12月26日木曜日
2024年12月25日水曜日
[8660] 絵と額縁
●絵と額縁
額縁を作っていてこんなことを思った。
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社会は私たちの中心ではありません。
私たちは社会のための道具や歯車ではありません。
『私と社会』とは『絵と額縁』のようなものです。
絵が自分で額縁が社会なのです。
社会などを絵の中心に置くべきではありません。
社会とは言葉でできてます。
それらの言葉は絵ではなく額縁です。
人は自分を描きながらその中心で生きます。
絵はまだ出来上がっていません。
上手く描くことはありません。
売れる絵を描くこともありません。
目的は額縁が要望するものです。
絵が額縁に合わなくても構いません。
絵が額縁から飛び出しても構いません。
私の額縁は穴あき(アナーキー)です。
アナーキーなどと過激な言葉で括ってますが
これはスースーしていてあんまり締め付けません。
2024年12月24日火曜日
[8659] クヌギ
●クヌギ
クヌギの木が雪で折れた。不思議なのがこのクヌギの葉だ。冬には来年の新芽が既に準備され古い葉を落とすはず。なのに冬になっても茶色くなった葉がついている。そこに雪が溜まれば重いから折れる。枯葉を落とす力がないのかも。弱っているから折れたのかも。
2024年12月23日月曜日
2024年12月22日日曜日
[8657] スペインバル
●スペインバル
コロナ禍の時、1週間に1度スペイン料理をデリバリーしてもらっていた。その女性シェフが仮店舗から出て神町に自分のお店『スペインバル El Patio』を開いた。
ここでSSらの女子会があるというので、もしかしたら個展ができる空間かなと思って、内面女子として参加させてもらった。
2024年12月21日土曜日
2024年12月20日金曜日
[8655] 自己肯定感
●自己肯定感
昨日は村山市にゲストハウス三件目の経営に取り掛かったヒカル君とそれを大工するヒロト君がやってきた。二人は山大の建築科を出て現在26歳。ヒロト君には初めて会った。久しぶりにピュアで清々しい勘のいい人物だ。
昨今『自己肯定感』なる言葉を聞くが自信がないんだろうね。ヒロト君と話ししているとまさしく自己肯定感の手本だ。自己肯定感は頭でやってはダメだね、頭でやるとそれはただの自己中心、ワガママなガキに育つだけ。ヒロト君の大工仕事のように身体を使うことだと思った。身体はやっただけ筋肉や知恵や達成感や喜びや自信や勘が、あとではなくその場で身につく。過ちや間違いも経験するから慎重であり危険の何たるかも身体で知る。
2024年12月19日木曜日
2024年12月18日水曜日
[8653] 木を植えた男
●『木を植えた男』
庭木繋がりで『木を植えた男』を読む。中村哲さんが過った。『無私』という文字があった。いい言葉だ。私がこの文字を初めて知ったのは二十代、確か夏目漱石の『草枕』だったと思う。そこから老荘思想に触れることになる。
数十年前、テレビで日本好きなアメリカの著名人が日本に来るとき友達から寄せ書きをもらった。その中に『無私の私』という文字があった。彼は「変なこと書く奴がいた」と言って無私ではなく無知を露わにしていた。日本文化の深さなんだからその言葉から奥を学べばイイのにバカだなと思ったのを思い出した。この人は木を植えた男に感動はしないだろうな。