2017年10月31日火曜日

[6152] 女神

『暗』を
『明』確にすれば
あれはイイ(明)
これはダメ(暗)
このような差別がなくなる。
大空駆け巡る
全き自由に
アートの女神に
包まれる。

2017年10月30日月曜日

[6151] 聖地

『暗』を制作していて思う。
気分的に
予想と違って面白い。
いろんな自分の中の
『暗』が表出してくる。
『暗』と言っても、
すごく残酷なことだったり
すごく怖いことだったり
すごく危険なことだったり
そんなことではない。
静謐な地にいるようなものだ。

2017年10月29日日曜日

[6150] デクノボー

この間の個展で
『プラスマイナスゼロ』
シンプルなコンセプトなので
水のようにどこへでも浸透できる。
水はゼロというたぶん中庸を保ちながら
いろんな社会問題を解釈視覚表現する
「アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ」
水は作品を制作する。
今、とりあえず『明』をプラスと位置づけ
マイナスの『暗』を表現。
もともと若い頃から
その類の表現は好きで
制作していたが
「ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ」
でも今は水が流れ広がり探求
正直
「サウイフモノニ
ワタシハナリタイ」
と思っている。

2017年10月28日土曜日

[6149] 明確

『暗』だから
『明』を欲す。
『明』に憧れるから
『暗』が『明』確になる。

2017年10月27日金曜日

[6148] 暗

猫の庭周辺は
日が落ちると真っ暗になる。
最近の作品は
『暗』側を制作している。
今までは『明』側主体だった。
僕にとって
『暗』側はかなり未知の領域だ。
だからすこぶる面白い。

2017年10月25日水曜日

[6146] 香り

猫の家には薪ストーブがある。
世間ではナゼか
『みにくいアヒルの子』
という名で呼ばれている。
四つ足なのに‥
今はこれで暖をとっている。
煙は猫の左耳から空へ向かう。
庭にいると
木の焼けた香りが
無何有の郷
未来
67億8千万年後

2017年10月24日火曜日

[6145] メダカ

猫の庭の池には
100匹ほどのメダカがいる。
ほぼ全部
この池で生まれたメダカだ。
夏の間、
わずか数匹だけ残して
全部消えた。
我が思議が不可な事象だ。

2017年10月23日月曜日

[6144] 好奇心

猫の庭は大雨。
川あっちの中学校の若い女性の国語の先生。
中学生の課外授業で僕を触れさせたい案で
雨にも風にも負けずにやってきた。
まずは僕の人物像知るため
ワガジン全7を手に入れる。
猫仏像のこと、
絵を描いていた時代の自叙伝風小説、
もちろん雨に負けるわけがない、
そして今回名古屋で個展した作品集など
すべてに興味あり。
好奇心と探究心旺盛ないい先生だ。
しかし中学生は
どう考えても妙な生物だ。
僕の何かに共鳴してくれれば幸い。
雨は降り続き、
風は鳴く。

2017年10月22日日曜日

[6143] 渾沌

朝、猫の家の薪ストーブで
目玉焼きを作る。
冷蔵庫の中で
目についた
チーズやトマトやエビの粉やら
辛そうなものなど
いろんなものを入れる。
作品でもそうだ
いろんなものを混ぜたがる。
夜はにごり酒と梅酒と紹興酒と炭酸を
混ぜて飲んでみた。
美味い!
まるで掘り出し物のワインだ。
でも、オカワリはしたくない。

2017年10月21日土曜日

[6142] ロバート・キャパ

猫の家からほど遠くない
歩いて10分程のところに温泉がある。
サウナに入り
水風呂を浴びる。
露店で川を眺めながら
ボーッとする。
ふと思った。
これもプラスマイナスゼロだなぁ。
熱くなってプラス
冷たくなってマイナス
外気に触れながら
身体はニュートラルに戻ろうとする。
それがゼロなんだろうと。
ゼロに戻ろうとすることが
生きているということ‥
だったら
死はゼロでないのか?
言葉がゼロだった
ロバート・キャパ

2017年10月20日金曜日

[6141] 紅葉

猫の庭の池の前
ヤマボウシが二本
紅葉して
雨にぬれ
風に揺れている

2017年10月19日木曜日

[6140] 睡蓮

猫の庭の池では6種類の睡蓮が咲く。
白、黄色、大きな黄色、ピンク、赤紫、薄い大きなピンク。
他にもう2種類あったが無くなってしまった。
一つはブルー。
これは美しい鮮やかな色だったが
熱帯の睡蓮なので、
猫の庭の冬を越せなかった。
あともう一つ、オレンジ。
睡蓮の中では一番早く咲き、
秋の終わりまで長く咲いていた。
植え替えに失敗して
無くなってしまった。
大好きな色だった。

2017年10月18日水曜日

[6139] 金魚

猫の庭には池がある。
池には金魚がいる。
今年3匹の稚魚が生まれた。
早く生まれた1匹だけ、
両親と一緒に餌を食べる。
他の2匹はまだ小さく、
大人たちとは一緒にいない。
大人は子供を食うからだ。
最近見かけない。

2017年10月17日火曜日

[6138] 芹沢くん

そういえば
名古屋の個展に芹沢くんが来た。
芹沢くんとは
僕の小説『自由自在堂』のほぼ主人公だ。
何十年ぶりかに会った。
妙な嬉しさを味わう。
意味ありげな捨て台詞を
僕の脳に
靄として忍ばせ
最終電車で帰っていった。
やっぱり
年月は過ぎても
小説の芹沢くんだった。

2017年10月14日土曜日

[6135] 橋の上

猫祭り系の作品を『猫の内側』とし、
『STOP』系の作品を『猫の外側』という言葉で括った。
とりあえずその方が伝えやすい。
この内側と外側の間には境界がある。
それが『STOP』作品集の中の作品『橋』だろう。
僕らは橋の上にいるのだと悟った作品だ。
だから僕らはこっち側にいるわけでもなく、
あっち側にいるわけでもない、
橋の上にいる。
猫で言えば内側でも外側でもないことになる。
ものは内外の区別をつけることで
いろんな名称が生まれる。
過去の僕にとっての猫とは
猫の内側を意識している時の名称だった。
だから外側へ行くということは
猫が消えてしまうことと思えてしまう。
消えてはいけないから内側にこだわる。
しかし僕らは橋の上だと気付いた時から
内や外の区別は放たれる。
境界という概念は消滅する。
つまり『猫』や『橋』などが
幻想だったことを知る。
我々は永遠に渡れる広大な
表現し難い自由の中に存在する。

2017年10月12日木曜日

[6133] 恐れ

名古屋の個展を振り返って。
幼虫が羽化して
成虫になったような気がする。
幼虫が被っていた殻を脱いだだけで
中身は何も変わっていない。
でも自分がどんな成虫なのかはわからない。
殻というのは恐れや不安から自分を守るために必要だ。
が、反面、自分を縛っているしつこい観念でもある。
そういった意味では
人は誰もが殻の中から見ている。
殻は目をも覆っている。
だから外の本当の姿を見てない。
構築した言葉や活発な行動を駆使しても
なかなか殻の外の真実は見えない。
見るには、、、
例えば写真の作品の目を塞いでいるダルマが
手を外したら
自分の居場所に気付き、
そのリアルさに恐れを感じるだろう。
それでいい。
自分で自分の覆いを外す。
そこから始めるしかない。

2017年10月11日水曜日

2017年10月10日火曜日

[6131] 創造と破壊

創造と破壊。
陽と陰。
プラスとマイナス。
「きれいはきたない きたないはきれい さあ飛んでいこう 霧の中 汚れた空をかいくぐり」by William Shakespeare『Macbeth』
色即是空。

2017年10月9日月曜日

[6130] 破壊

僕の見つけた
破壊行為
ペリとベリ
『ぐりとぐら』ではなく
『ペリとベリ』
『Paris & Bali』でもなく
『Peri & Beri』

2017年10月8日日曜日

[6129] water

水は鏡のように全てを映す。
水は全ての違いも映し出す。
水は体の中だろうと地球上どこでも
流れとどまることをしない。
水は放射能を遮る防御壁だ。
水はいろんな形の器に入れれば
そのような形に変化する。
水は自由自在だ。
水はあらゆるものになりながら
あらゆるものを育てる。
水はどこでも分け隔てなく
その高さは平等だ。
水は誰を映しても
その高さに違いを作らない。
つまり水はあらゆるものが豊かになる
共通の法則を知っている。
誰もがそれを飲んでいる。

2017年10月7日土曜日

[6128] クマ考

クマが恐けりゃ、己がクマになればいい。
クマになってみて、
うわての悪魔(あ!クマ)が恐けりゃ、悪魔になればいい。
戦争もテロも超えて、最大の悪が悪魔だとする。
悪魔より強いものを考えてみる。
神かな。
なら神になればいい。
みんな神になればいい。
もしくは神が造った自然になればいい。

2017年10月6日金曜日

[6127] クマ

山を降りる。
曲がりくねった細い獣道を降りて家に帰る途中、
目の前にクマが、道の脇に座っていた。
こっちを見た。目と目があった。
「森の中、クマさんに出会った」という歌はその後どうなるんだっけと考えた。
確か踊るんだっけ、そんなアホな! 
戦ってクマの鼻に打撃を加える空手家の映像が‥
鈴の音やラジオの音、持ってない。
他にいろんな手が浮かんだが、
そっと後ろを向き、ゆっくり山の中に引き返すことにした。
後ろのクマの気配を気にしながら、
恐る恐る物音たてずに一歩一歩慎重に進む。
しばらく歩いてから、振り返り、
クマがついて来てないことを確証する。
しかしどうやって家に帰ろう。
道はこの道一本。
道から逸れて山の中へ。
クマの村があったりして。
なお恐ろしい。
もしかしたらと思い、携帯を出してみた。
なんと電波が通じている! 
SSに連絡した。
数時間後、遠くからSSがやってきた。
安心に包まれた。
「あれ? 一人?」
「そうだよ」とSSはピクニック気分。
「途中にクマいなかった?」
「見てなーい」
とにかく二人で山を降りる。
クマがいたところが見えた。
なんと数時間前と同じ、いるではないか! 
SSはクマに気づかずに脇を通り過ぎてきたのだ。
クマが動いてこちらを見た。
またまた山にそっと引き返した。
暗くなってきた。
なぜか携帯は通じなくなっていた。
ガーーーーーン
 目が覚めた。なんちゅう夢だ。
 いやいや、これは素晴らしいメッセージだ。
『逃げろ! すべての組織・集団・思想・概念から逃げろ。今までのように自ら捕まるんじゃない。逃げ道は絶対にある』
 アートの話さ。いろんなものに通じるとは思うけど‥

2017年10月5日木曜日

[6126] 労働

腰は股関節体操のおかげか
ややいい感じ。
さて薪割りじゃ。
今朝はチェンソーで玉切り。
薪割りの方が腰が痛いかと思ったが
玉切りの方が腰曲げているのできつい。
まったく、楽しい労働なのになぁ~
 ◎ガンジーが言う「七つの社会的罪」の一つが過った。
『労働なき富  Wealth without Work』

2017年10月4日水曜日

[6125] 視覚と行為

数日前からペリペリ始めている。
個展ではこの手の作品のことは
キラキラ見えるので
『プリズム詩』という名称にしていたが、
人にその制作工程を語ろうとすると
行為として「ペリペリ剥く」になる。
いつの間にかペリペリという名前が定着してしまった。
でもやはり視覚効果はプリズムだ。
もしくは万華鏡。
『視覚』と『行為』が
重要なんだとしみじみ思った。

2017年10月3日火曜日

[6124] 火

寒い。
薪ストーブ初め。
先の個展で
絵が功を奏したので
隙さえあれば絵を描きたい。
そんな自分が
火を見た瞬間に停止してしまった。
なにもかもSTOP 
宇宙の果て
そんな気分が続いた。 
火はとてもいい瞑想アイテムだ。

2017年10月2日月曜日

[6123] 聞く耳

今回の名古屋の個展。
わざわざ東京から多くの人がやって来た
それどころか
山形の人が50人以上来てくれたのだ。
ほぼ僕の個展が目的というからありがたい。
いつもの展示会は猫で『癒し』だけど、
今回のは『自由へ』って感じだから
大空に広がる自分を発見してくれただろうか?
来年も同じ時期にやります。
写真:「大空舞うには、聞く耳、丈夫にするべ」

2017年10月1日日曜日

[6122] ハルカス

年末年始は
大阪の『あべのハルカス』で猫の展示会。
ハルカスとは古語『晴るかす』
「晴らす、晴れ晴れとさせる」らしい。
そのポスター用の粘土をいじる。
これまでいろんな作品がポスターになった。
もはや過去のあんなものでは満足しない
このあいだの個展で
自由になった僕が
ここにいる。
あの寡黙で控えめで礼儀正しい
大阪の方々に
似合った作品でゆこう。
『地球まるごとハルカス』
写真はタコだけど。