2021年3月8日月曜日

[7375] 自然治癒力

 ●自然治癒力

 漢方をやってから体も精神もすこぶる良く、苦でしかなかった雪掻きが楽しい。少々癖になっているようだけど。

 たまたま友人がアーユルヴェーダーをやっているというので調べてみたら、いつの間にか自分の生活に取り入れていたようだ。これまでホメオパシー、アロマ、鍼灸、カイロプラクティックなども試した。もちろん現代医学も。

 世界には大きく分けると二つの療法があるようだ。自然治癒力を促す漢方やアーユルヴェーダなど。それと自然治癒力を抑える現代医学の薬物対処療法だ。これは熱が出たら解熱剤、痛みが出たら鎮痛剤など、自然治癒力を抑える。自然治癒力などは妄想だという意見まである。まるで反対の療法だ。

 今の人はほとんどが現代医学に頼る。つまり過去にいろんな療法があったのだが現代医学だけが大きくなって、他にあった多様な療法を信じられない田舎信仰の民間療法として排除した。現代医学が独占するためもあるし、民間のいんちき療法を排除するためでもあったろう。しかしこれはある意味、世界を一色に染めてしまい画一化してしまう考えである。ここにも自然と文明の分断が窺われる。一つの療法だけが正しいことはない。『わ』ならば、やはり多方向が必要だ。だから未病という考え方は大事だ。基本、怪我や病気が治るのは己の持っている自然治癒力だろう。

写真:薪ストーブで一時間、コトコト煮出しているスペシャルブレンド。

『枳殻、陳皮・女貞子・杜仲・黄耆・莢服子・旱蓮草』

だんだんお湯に色がついてゆく。

待つ時間が実に心地よい。



2021年3月7日日曜日

[7374] 顔

 ●顔

弟が白鷹町に行って

『あけがらし』というご飯のお供を

土産に持ってきた。

これが美味いのだ。

優しい弟だ。

お返しに猫の皿をあげた。

ところで

「白鷹町ってどこ?」って聞いたら、

自分の左の頬あたりを指さした。

なるほどそこか! 

そう山形県の地図は

人の横顔なので指一本でわかるのだ。

ちなみにワシの住んでいるところは

左のこめかみあたり。

*写真の矢印は最上川美術館(うちの近所)

2年前の最上川芸術祭のポスター用に

描いた山形県の絵です。



2021年3月6日土曜日

[7373] 和風

 ●和風

連日の雪掻きで

疲れて死にそうなので、

今日は雪掻きヤメて、

昼寝。

目が覚めたら

雪掻きしたくなった。

ペリバの前の雪掻き

雪囲いを完全に取り去る。

東側の雪の壁がなくなった。

強い新鮮な風が通った。

冷たいが心地いい。

宮沢賢治の詩

『和風は河谷いっぱいに吹く』

まるで

そのままだ。



2021年3月5日金曜日

[7372] 開放

 ●開放

冬の間 

屋根から落ちた雪の山で

ずっと朝日が入らなかった

アトリエ『ペリバ』。

今日は雪掻きして

雪囲いを外す。

囲いの壁がなくなって

ふと思った。

「こ、こんなに開放的だっけ!」

慣れとは恐ろしいものだと思った。

壁や狭いところに慣れちゃダメだね。

これで明るく仕事ができる。



2021年3月4日木曜日

[7371] 一つ一つ

 ●一つ一つ

この間は道を

昨日は池を

今日は広場です。

世の中は滅び、

本当に必要なものを

一から

一つずつ作っています。



2021年3月3日水曜日

[7370] 池

 ●池

雪に埋もれていた池を出した。

冬の雪掻きと違って、

この時期の雪掻きは

春が顔を出す

ニコニコ爽快感だ。

インディアンは言う。

「蛙は自分の棲む池の水を飲み干さない」

それなのに人間は地球を

食い尽くそうとしている。

『幸福感』に包まれるとは、

『池が枯れる方向に向かない』こと。

そこから始めよう。



2021年3月2日火曜日

[7369] 排除

 ●排除

コロナのワクチンについて。

 最近は日本のいいものの情報がある。ノーベル賞の大村智さんが発見したイベルメクチン。腐植土壌有機物から抽出されたフルボ酸。柿渋から作ったタブレットなどが効くってさ。地産地消、これでいいのでは。

 これらから思うのは、やはり自然は大事。文明は自然を嫌い分断し排除したのがそもそもの間違い。例えば腸内の善玉菌と同じように自然のいろんな微生物が身を守ってくれていた。それなのに自然を嫌い、太陽を嫌い、土を嫌い、悪玉菌と一緒に自然を排除した。これでもちろん善玉菌も排除される。その結果人工美容に人工清潔、人工化粧、人工整形となり自然美や自然体がなくなった。見るだけの腐らない顔こそ死顔とは気づいてない。薬だらけの透明な川も見るだけのもので写りはいいが死んでいる。心身を守る自然バリアが無くなったから、隙を見て感染症が身体に入ってくる。ついでに子供から泥んこ遊びや砂場遊びを排除した。



2021年3月1日月曜日

[7368] 答え

 ●答え

『答えを生きなさい』

美しい言葉を習った。

これは真理だね。

自然農をしている川口由一さんの言葉だ。

裏を返せば

「問題を生きてはいけない」と思った。

答えを生きている人には問題がないからね。






2021年2月28日日曜日

[7367] 道

 ●道

雲一つない青空。

しかし冷えている。

雪が凍って硬い。

やっと車の幅になったが

ギリギリだ。

もう少し広げないといけない。

地面まで雪はまだ50センチはある。

これでは車は通れない。

夕方5時寒くなってきたのでヤメ。

13000歩

道半ば

白鳥が渡ってゆく空を見る。



2021年2月27日土曜日

[7366] 爽快感と虚無感

 ●爽快感と虚無感

  今日も雪掻き一時間。車が通れる道にすることにしたのだ。その方があとあと何かと便利だ。

 1つ気付いたのだが、雪掻きは苦しいマイナスなイメージがある。これは実際行っていないからあくまでイメージである。そのマイナスを実際に身体でやることでいつの間にかハイになり頭のマイナスイメージが消える。つまりマイナスをこなすことによって、マイナスイメージが解き放たれ、頭がゼロになる。空っぽになるということである。これでマイナスからゼロになるから爽快感を得る。

 反対に楽しいことをやるというのはイメージがプラスである。これをこなせばマイナスイメージと同じようにプラスイメージが解き放たれる。結果は同じように頭がゼロ、空っぽになる。これは爽快感ではない。満足感があって、すぐ後にプラスからゼロになることによる虚無感がやってくる。

 爽快感を得ようと無理をすると身体を壊し、頭がマイナスになる。反対の虚無感の方は辛いので、それを避けようと欲が度を越す。欲とは足りない感覚だから、頭がマイナスになる。双方ともにマイナスになる。ほどほどにして諦めることが大切なのだろう。

 ところで人は一生の中、これら爽快感と虚無感を何度も経験する。するとそのうち大それたマイナスや過度なプラスの行為がなくても、日常は些細なプラスとマイナスの集合体だから、マイナスはゼロへ、プラスはゼロへと解き放たれ、現実のあれこれが至る所でゼロになる。これが幸福感に繋がるように思う。幸福感は現実の中の爽快感ではないし、虚無感から逃避としての快楽でもない。イメージを離れて、リアルで高い次元にあるものだろう。だから日頃からゼロに向かうような経験を多くすることが重要である。



2021年2月26日金曜日

[7365] 冬半分春半分

 ●冬半分春半分

最近は雪掻きしてないせいか

調子が悪い。

身体は鈍るし、

頭も気分の悪いことがよぎる。

そこで道を作ることにした。

とことんやってしまった。

雪掻きハイ。

気分爽快! 

至福じゃ!

雪国に生まれたことを

初めて

良かったと心から思った!

今日の天気が

冬半分春半分だからだろうか。



2021年2月25日木曜日

[7364] 四季

 ●四季

もう雪は降らないだろう。

青空で月が美しい。

春は四季の一つだ。

たくさんの幸福感が

降ってくる季節だ。

幸福感には太陽の役割が大きい。

太陽は全てを育み

四季だけでなく

電気にもなる。

そういや

原発も電気を与えてくれるが、

四季と死期を勘違いしている気がする。



2021年2月24日水曜日

[7363] 朝

 ●朝

朝の風景が好きだ。

朝の目覚めは

とても大事だ。

朝は幸福感で

満たされている。

一日は一生かもしれない。

朝が爽快なら

一生爽快だ。

もし朝が気不味ければ

一生気不味い。

もし朝を嫌うなら

一生を嫌うことになる。



2021年2月23日火曜日

[7362] ひなの湯

 ●ひなの湯

もう直ぐひな祭りだ。

近所に『ひなの湯』っていう

温泉があるんだけど、

作品のような温泉じゃないよ。



2021年2月22日月曜日

[7361] 上位

 ●上位

 情報や知識が上位に立つと問題だ。なぜなら情報や知識にその人が飲み込まれてしまう。自分で選んだ知識という檻の中に自分で自分を閉じ込めてしまうからだ。

 情報や知識に実体はない。不安で迷っている時に夜中に出る幽霊のようなものだ。この幽霊の意のままになることで思い込んでしまう。「目を覚せ」とはこういうことに繋がる。だからどんな情報も上位に立たせないようにすべきなのだ。どこぞの誰かが言い放った情報にマウントさせないことだ。

 それと情報や知識には必ず反対がある。右と左のようなものだ。右は左によって成り立ち、左は右によって成り立っている。それなのに右は左を攻撃し、左は右を攻撃する。一人の人の身体が左右ギクシャクしているようなもので、それでは力いっぱい走れない。転んでしまう。つまり風を切って風に乗って爽快に進めないのだ。エネルギーの無駄遣いだ。

 ではなぜに思考が分離して反対の左右になるのか。これは反抗して戦って勝って自己満足するためではない。競争しての発展ということもあるが、それは些細な面だ。真実は左右をそれぞれ上位でなく見ることで、左右ではない未知の広大な領域に跳ぶ勇気と知恵を得させるためだ。人はその一歩手前の左右であいも変わらず溺れる。



2021年2月21日日曜日

[7360] オレ

 ●オレ

ここのところ雪解けで雪掻きもない、オレ。

東京の倉庫から戻ってきた作品、オレ。

整理に追われている、オレ。

整理整頓は雪掻きよりも大変、オレ。

いろんな作品作っていたんだなぁ、オレ。

疲れた! オレ。

久しぶりに温泉でゆったり、オレ。

今朝、飲んだのはインドのカフェ、オレ。



2021年2月20日土曜日

[7359] 砂漠のバラ

 ●砂漠のバラ

雪山バックに咲いた砂漠のバラ(アデニウム)。

雪のことを白い砂だと思っているかも。

これが咲けば雪解け、

春はもう直ぐだ。



2021年2月19日金曜日

[7358] 宣言

 ●宣言

日本文化の招き猫を守りまーす。

世界中に招き猫を広げまーす。

なんとなくこんな風に思えてきた。

今更だけど。



2021年2月18日木曜日

[7357] 金

 ●金

 資本主義社会は大量生産に大量消費、そして何もかもがお金になってしまった。この星は『地球』ではなく『金球』である。キンタマ、つまり下ネタで覆われてしまったのだ。

 地球の時は雨も土も暖かさも冷たさも食べ物もほとんど全てが只で地球が施してくれていた。キンタマになってからは只のものを独占する下衆が現れ、人々はお金がないと何も得られないようになってしまった。ここに貧富の差が出てきた。

 不平等を感じた貧側は反抗する。この反抗はお金の分配のこと、もっといっぱいくれというもの。つまり革命とは言ってもお金から気持ちが離れていない。お金の虜になっている富裕層と同じである。同じ方向を向いている。だからそれは反抗ではない。誰もがお金に媚び諂っている。

 どうせ反抗するなら反対方向を見るべきである。生産者は生きるに大切ないいものを作るがお金ぶら下げた消費者に売らないくらいのプライドを持ち、奴隷のように働かないことである。そうすれば解決すると思う。



2021年2月17日水曜日

[7356] 幸福感

 ●幸福感

 この間の絵日記に「雪掻きで知ったのは、金で買える快楽ではなく、金で買えない幸福感だ」と書いた。この『幸福感』についてもう少し考察してみた。

 僕は時々、幸福感に包まれる体験をする。二十代の頃から始まり、どういった時に包まれるのかを考察するようになった。そのうちそれが子供の頃からあったことがわかった。誰もが幸福感に包まれているのだが、現実の忙しなさに忘れているのだろう。呼び戻したいものだと思った。

 例えば都会の誰もいない公園のベンチに座って、遠くで車のクラクションの音がすると幸福感に包まれる。肌寒い時に、斜め上から左頬に暖かい日差しが当たると幸福感に包まれる。夕方5時ごろ銭湯にでも行こうかなと思い商店街に出た時に幸福感に包まれる。山形では酒屋さんで夕刻になって、オレンジ色の電球の色が目立ってきて子供達が学校から帰って来るのを見ていると幸福感に包まれる。最近では薪を取りに小屋に入って、薪に触った瞬間に幸福感に包まれる。このようなことが結構頻繁に起こるが予想はできない。

 さて幸福感とは何だろう?

 今いる社会での幸福とは『食欲、性欲、金欲』などの快楽とつながっている。あと家庭でも職場でも人間関係が潤滑なら幸福である。しかし僕が体験した幸福感はこれら3大欲望や人間関係とは縁がない。幸福感に包まれた時、3大欲望などどうでもいいものになるからである。また円満な人間関係の幸福とは違った感覚だからである。3大欲望や人間関係を超えているのである。昔の人はこれを至福と言ったのだと思う。3大欲望は適当にした方がいい。どうせ人間は欲深いから黙っていても欲からは離れられない。その程度でずいぶん楽しめる。

 3大欲望は度を越せば快楽の裏にある苦痛が出てきて本体を悩ます。3大欲望が度を越すとは麻薬のようなもので、麻薬に支配されてしまうようなことなのだ。支配されると言うことは檻の中に入れられるようなものだ。それが苦痛になる。恐怖になる。

 快楽と苦痛は前と後ろのようなもの。前・後は切っても切れない関係だ。だから後ろの苦痛を避け前の快楽に向かって欲するようになる。「都会を向かない」と言ったのは都会とは3大欲望の仮の名だからだ。そこを向かないとは、前後で言えば前を向かないことになる。前を向かなければ自ずと後ろも向いてない。この意識の時に幸福感に包まれるように思う。ところで後ろがないせいか、幸福感には苦痛も恐れもない。だから快楽とは異にするものだ。また快楽と違って幸福感に学力も努力もいらない。

 それから幸福感に包まれる時は一人である。親や恋人や子供など他人が与えるようなものではない。他人がいても他人も自分も風景に溶け込んでいて居ないのだ。包まれているわけだから、その包みからエゴを剥き出していない状態なのだろう。エゴを剥き出すとは心ここに在らずに、どこかにベクトルが向いていて、包まれておらず、そのベクトルの先にある欲望の結果に支配されているということだ。時間で言えば未来に支配されて、今を生きていないようなもの。だから好きなことをやれとか言うが、それで得られるのは幸福感ではなく快楽だ。「都会を向かない」、つまりここから逃避しないことなのだ。人間の間違いは3大欲望が幸福感を与えるものと思って、3大欲望を満たそうと躍起になる。そこには幸福感はない。もう一度言う。

 『幸福感は3大欲望を超えたもの、二の次が3大欲望なのだ』

 だれもが味わえるこの幸福感を知って、それを過去や今や至る所から呼び戻し、包まれてくれればいい。包まれていればどんな苦労も問題も大したものではない。なぜなら幸福なのだから。



2021年2月16日火曜日

[7355] ヤマセミ

 ●ヤマセミ

毎年2月に

必ずやってきていたヤマセミ。

去年は見かけなかった。

ヤマセミの寿命が

7年ぐらいらしいから

命尽きたかなと思って

少し寂しかった。

ところが今年

やってきた!

嬉しいもんですね。

去年は雪がなく暖かったから

来なかったのだろう。

来年も来てね。

●写真とイラスト

写真はくるみの木の左下の枝に

こっち向いている白いやつね。

大きさはハトぐらいあって

頭デカイ2頭身




2021年2月15日月曜日

[7354] 生涯学習課

 ●生涯学習課

 市役所の方がやってきた。もう一昨年になるのか、最上川美術館の改革に先頭切って走り回った。あの時は館長のハバミ行為に苦労した。その時に自分の立場を顧みずにハバミ崩しをしてくれた方だ。話が通じる人なので、いろいろ村発展アイデアが出た。

 大事なのは都会を向かないで山や土を見ること。ワシなども若い頃は都会や外国を向いていたが、今頃になってだけど、都会の豊かさは自然破壊が土台だ。いわゆる自殺行為だ。目の前にそんなのとは全く違った豊かさがあることに気付いた。

 都会に媚びる必要はない。ここは豊かなのだ。山を向けば、水も川も海も空気もきれいになる。自分が漢方で元気になったので思うのは、漢方になるような草やその他を育てるとか。病院の漢方先生を呼んで、市民教室を開くとか。山菜やキノコなどに詳しい年寄りの知恵を知る若者を育てるなどなど山ほどやることはある。

 雪掻きで知ったのは、金で買える快楽ではなく、金で買えない幸福感だ。



2021年2月14日日曜日

[7353] 治療

 ●治療

 真丸目玉のイゴは去年から毎日下痢。少しふらつきながら歩いてトイレに入った矢先、トイレの外にしてしまうから大変。もう歳だからややボケているのだろう。

 これには困って、トイレの位置を変えたり、トイレの周りにトイレシートを置いたりと工夫に工夫を重ねていた。同時に下痢を止めるためにいろいろ試した。人間の下痢止め錠剤を少なくしてしばらく試した、けどダメ。民間療法のセンブリを煎じてスポイトで飲ませるがダメ。杜仲茶で試してもダメ。そしてとうとうたどり着きました!

 ゲンショウコです!

 漢字では『現の証拠』という字だから「証拠が現われる」というもの。これには期待が大きかった。何しろ日本だけの療法らしい。しかしクソまずいみたいで飲ますのに苦労。でもなんとか飲ませて4日目。下痢が軟便に、そしてやや普通のも出るようになった。不思議なことに下痢が止まると歩き方もしっかりしてきた。トイレもちゃんとできるようになった。ボケではなかったのだ。これには驚いた。

 やはりどこかが具合悪いからこそ、身体全体の機能が崩れる。ワシの歯痛や夏の吐き気も、国際中医師曰く「胃を温めること」と指摘した。そこ関係ないだろうと思ったが、スペシャル漢方薬と腹巻をすることにした。スペシャル漢方と言っても難しいものではなく、畑で育つようなものばかりだ。そしたらほぼ全身の不具合が改善されただけでなく、雪掻きなどの疲労も昔ほどではない。朝方の憂鬱もない。

 人間も環境もどこかに悪い症状があれば、悪いところを取り除くというピンポイント思考ではダメだと思った。問題はそこではなく、周囲とそことの関係を見つけ出し、総合的な考察による根本的治療が必要なのだ。やはりそのような意味においてもアトリエという畑から取れた新発見の完全な『わ』は人間と環境に対する治療に重要だと改めて思った。



2021年2月13日土曜日

[7352] スキヤキ

 ●スキヤキ

東京から戻ってきた作品の整理。

作品写真について

『猫の親子

コタツに入って

スキヤキの準備。

牛はコタツで

洟垂らして

気持ちよさそうに

寝ている』



2021年2月12日金曜日

[7351] スペイン

 ●スペイン

 いつも行くコーヒー豆屋さんが「スペインバル美味しい」と写真をアップしていた。それって何だろうと気になったので聞いたら、なんと、近所の人がやっている! 試しに頼む。美味い! 料理上手だね。自宅で食えるのがいい。

 スペインは僕にとって大きな意識転換になった旅だった。

 22歳の時、ヨーロッパを2ヶ月ほど一人旅した。その当時、スペインは乱れていたのだろう。ホテルで銃を突きつけられたり、僕が電車乗った後に駅が爆破されたり、いろいろ事件があった。

 スペインで初めて見た絵、ブリューゲルに大感動。この影響で自分は絵描きを目指した気がする。彼の絵には『イカロスの墜落』や『大きな魚は小さな魚を食う』など寓意的表現が多い。

 ワシ、寓意が好きみたい。ワシの猫作品も寓意的表現が多いからね。



2021年2月11日木曜日

[7350] 差別

 ●差別

差別とは偏った考えだ。

全体ではない。

一部が固定し

全体の流れを遮る。

考えに固定などない。

空で言えば

考えとは雲のようなものだ。

雲が固定したら快晴がない。

凝固し蓄積したら

いつも雨である。

全てを腐らせるだろう。

思考が固定し

融通が効かなくならないよう、

考えぐらいは

快晴になるよう

工夫することが

創造である。



2021年2月10日水曜日

[7349] 肩こり

 ●肩こり

昨日の雪掻きで

相当疲れたのか、

今日の雪掻きは

8000歩でヘトヘト。

それでもいいアイデアが

降ってきたからいいけど

もう死んだね。

生まれて初めて肩凝ってる。

眼精疲労でもある。

明日は晴れらしいから

温泉でも行こうっと。



2021年2月9日火曜日

[7348] 諦め

 ●諦め

今日は昼過ぎ

打ち合わせがあった

その前に雪掻き

そして打ち合わせ中も雪は止まず

打ち合わせ後に再び雪掻き

12000歩

脚はふらつき

限界を超えたような

何かを捨てたような

目指す方向を諦めた

そんな感じだ

風呂に入り

窓を開け

止まぬ雪景色を眺める

向こうの雪山から

スーッと『わ』の新考察が入ってきた

おっ!

なるほど!

これがあるから雪掻きはいい。

思い出した。

名声を諦めたときに

猫の道が開かれた。

経済を諦めたときに

完全な『わ』が生まれた。

全ての

新しい世界への幕開けには

諦めが必要なのだと思った。

(ただし真実への探究だけは諦めていない)



2021年2月8日月曜日

[7347] 認知症

 ●認知症

 朝食の準備にはいつもバタフライテーブルを広げて拭く。ところが今朝はテーブルを見たらもう広げてある。SSがやったと思って聞いたら、やってないと言う。ワシがやったと言うのだ。ここで犯人探しをする気はない。もしかしてワシは認知症で、やったことも忘れているのかもしれない。もしかして覚えていないが暴力とかして暴れているかもしれない。それはないらしいからややニコニコ老人なのだろう。

 SS「一昨日はディサービスに行ったのよ」と言う。ワシは『もちやかた』に行って、最近分かった『わ』の考察を語ったつもりでいたが、ワシの歴史的発見の『わ』って、妄想! SSが言うには『酒屋源八』も老人の施設らしいのだ。ガーーーン!



2021年2月7日日曜日

[7346] 施す

 ●施す

サルの群れに

饅頭をいっぱいばら撒くと

我先にと奪い合う。

口に食べ切れないほど頰張り、

両手にも落とすほど持つ。

そんな映像を見た。

この欲張り、

その振る舞い

間違いなく人間の先祖です。

主に先進国の人間の先祖です。

問題は『奪い合い』

『知足』を知ればいいのだが、

残念なことに

サルに言っても通じない。

そこで『奪う』の反対の

『施す』だ。

我々は自然界から

あらゆるものを施されている。

頂いたらお返しをするだろう。

昨今はこの行為を忘れている。

『知足』もしくは『施す』

これで持続する。



2021年2月6日土曜日

[7345] ジャズ

 ●ジャズ

雪掻き6000歩。

 風呂入り、そのあと『もちやかた』に行く。ここではおこわを売っている。結構美味い。それを手に入れ、自分が最近勉強したことや新しく知った知識や新発見や考察したことなどを話す。この会話が目的。こういうサロン的空間でのひとときは、二十代のプー太郎時代から変わりない。二十代は画材屋だった。小説『自由自在堂』の舞台になったところだ。今はここ『もちやかた』と『酒屋源八』だ。月に一度はこういう会話を楽しんでいる。

 コロナで人と人の接触がない今、話していて思ったのは籠って本を読んだりネット情報を得たりばかりは、心身によろしくない。なぜなら人は情報に左右されやすい、騙されやすい、信じやすい。つまり知識や情報が自分よりも上位に立つ。これが問題だ。それはどんな情報にしろ同じだ。

 会話とはお互いの考えを提出できるし、解放できるし、解体できる。真面目な自己主張もそれほど大事なものではない。抑揚・色・リズム・様々なもので彩り、自らで音楽を奏でることが大事だ。フリージャズだね。

 今日もいいジャズィな日だった。

 写真:吹雪に包まれた椅子。



2021年2月5日金曜日

[7344] 地獄

 ●地獄

村の防火水槽の雪掻き当番。行くまでの歩道がすごい(写真)。昨日は猛吹雪だったからね。

 近所のおばちゃんが「田舎はいいなんてとんでもない、地獄だ」と言っていた。

 まあわからんでもない。しかしここが地獄なら、この地球上どこに行っても地獄だ。都市は通勤電車地獄、近隣不審地獄、コロナ禍社会麻痺地獄、道路交通渋滞地獄、死不安老後地獄、追い越せ追いかけラットレース地獄、空気は放射能地獄、海はプラスチックゴミ地獄。食べている魚はマイクロプラスチックのたまり場地獄。老後の南の島は退屈地獄。ついでに温暖化で気候変動、大型台風にハリケーンに洪水地獄、山火事地獄。金金金地獄。先進国の豊かさは発展途上国からの収奪だから、何億人の心を貧困にする。人の不幸を土台に自分が楽しんでも心全体が心地いいわけではない。山の木を伐採すれば海が汚染するのと同じように、どこかを汚染すればその汚染は必ず自分に返ってくる。空気も水も同じものを身体に取り入れていて、皆繋がっているからだ。不安を金で買い、それでも不安はなくなることはなく、NYではドアの鍵を3つ以上はつける。それでも安心して眠れず石油で作った薬に頼る。革命だテロだ陰謀だ、脳に安心が訪れることない脳地獄。

 さて、そんな地獄の中でも雪掻きは救われている。誰にも迷惑はかけない。少々の忍耐が必要だが他所への逃避はないので現実への集中ができる。これで数々の迷いは失せる。

 今日は快晴、雪掻きハイ。1万歩。大汗の後の心の静寂。空の青さの実に美しいこと。風呂の心地いいこと。お茶の美味しいこと。干し柿の美味いこと。薪ストーブの暖かいこと。イゴがひどい下痢散らばした床は下痢地獄、それはゆるそう。

 さあ、深呼吸、春一番が、ワシの心に吹いたぜ!



2021年2月4日木曜日

[7343] 吹雪

 ●吹雪

午後、とんでもない吹雪。

車は大変だったろうな。

屋根の雪は風で吹き飛ばされ

それほど積もらないが

壁があるところに吹き溜まる。

だから玄関がすごい!

写真は玄関前。

ワシの身長が

188センチぐらいかな?

それは優に超えたね。



2021年2月3日水曜日

[7342] 立春

 ●立春

一日中小雪。

今日は立春。

立春とは冬至と春分の真ん中

つまり春の始まりなんだ。

これからは雪も減るだろう。

雪国には心地よい響きがある日だ。

この日が季節的には1年の始まりだ。

今日が1月1日のような気がするんだけど?

調べたら、

1月1日って

天体とは関係ないんだって!

どこかの誰かが

決めたことがまかり通って

季節と関係ない日が

1月1日になってしまったのだ!

納得いかねぇな!

季節を大事にしない人間中心主義だな。

だから自然を蔑ろにして

気候が壊れるんだよ!

まったく!

そういう奴にはお灸だね。



2021年2月2日火曜日

[7341] 子供

 ●子供

 ”完全な『わ』”について、新しい気づきがあり、原稿を直すことに。

 ”完全な『わ』”は生まれたばかりだから、言葉を知らない赤ん坊のようなものである。もう既に生活しているこちら側から見たらポコッと生まれ出てきた唯の新しいだけの形である。

 しかし赤ん坊をこれまでのこちら側の知識で決め付けてはいけない。この赤ん坊こそ現在の人間社会の誤謬を質す存在なのである。パラダイムシフトとしては決定的なものである。

 例えば家族に子供が生まれたからといって、街の人口が一人増えたとかではなく、子供ができたことで、家に安心や幸福や希望や未来が生まれ、家が新しく成長し始めるのである。

 このような視点でこの図を考えなければならないし、このような視点こそがこの『わ』の言わんとすることである。



2021年2月1日月曜日

[7340] 雪掻き

 ●雪掻き

今日は快晴。雪掻きも屋根から落ちてきた分だけ。

 自分が小中学生の頃、雪掻きをやった記憶がない。高校の頃に数度やったぐらい。今より雪も多かったから大変だったはずだ。全部、親がやっていたのだろう。それだけでなく高校の時は雪で自転車が使えないので、車で高校まで送ってもらっていた。なんと! 役にも立たず、やる気のない、内に籠もった僕を! 今頃になって、ありがたいと雪掻きしながら思った。

 生きてゆく活動には経済と経済でない部分があって、雪掻きなどは経済でない部分だ。こっちの方が受け身としてはありがたい。なんでも金で買える時代になったからだろう。身の回りの水だって電気だってなんだって、これらは金で解決しているので、誰かがこれらを考え準備し作って整えてくれていることを忘れている。雪掻きにこのような中間の金段階はない。だから直接ありがたいが身に突き刺さる。しかし経済があってもそれに捕われない感覚を忘れないようにしなければと思った。



2021年1月31日日曜日

[7339] 大工さん

 ●大工さん

 雪掻き後、温泉に行く。日曜だから混んでいた。おじいさんに声をかけられた。誰ですか? と聞いたら、僕が18か19歳の時に父親に言われて茶室の設計をした。その時の大工さんだった。あの頃の大工さんは髪の毛が黒々でがたいのいい兄さんだった。それ以来会ってないから40年以上経っている。今は頭髪もパラパラで白髪、わかるわけがない。よく、僕がわかったものだ。

 当時、僕は東京の大学で建築を学んでいたが、まだ入ったばっかりだし、建築の勉強などまったくしてない。それに建築に興味もなかった。実は大学にも興味がなかった。実家の前の家の一つ年上の先輩がそこの大学に行ったから、就職はしたくなかったので自分もその大学を受けただけなのだ。思い返せば、まったく何にも興味のない子だったのだ。多分父親はこのやる気の全くない子に喝を入れたかったのかもしれない。しかし建築などどうでもいいのだから、しょうがない適当な茶室設計だった。

 大工さんに歳を聞いたら74歳、僕より11歳上だった。ということは当時、大工さんは30歳ぐらいだ。話ぶりから今の僕のことを11歳下とは思ってなく、大工さんにとっての僕はあの当時からそれほど年取ってない若者のようだ。

 大学卒業後、建築家になるのはやめて、絵描きの方が自由そうなので絵描きを目指した。東京のアパートにはどんどん絵が増えて置けなくなった絵を山形にたくさん送った。その絵の中の一つを父親が大工さんにあげたようだ。すごく大事にしていると言っていた。死ぬまで大事にするとも言っていた。自分の絵を探求していた頃の絵でたいした絵ではない。でも嬉しかった。

 ふと思った。絵ってこういうものでもあるんだなと、社会での絵の役割の新しい一面を垣間見た気がした。非常に清々しい気分になった。

写真:昔を見返る猫



2021年1月30日土曜日

[7338] 転換

 ●転換

いろんな意味での転換。

東京にあった作品の引越し。

生憎の雪で

トラックが

近くまで入れない。

道の途中から

軽トラに積んで

三往復も荷積み荷卸し。

いい汗かいた

ついでに雪掻き

6000歩。

このぐらいの運動が

ちょうどいい。

気分爽快。



2021年1月29日金曜日

[7337] 宮沢賢治

 ●宮沢賢治

宮沢賢治は昨日のゴッホと

似ていると思う。

二人ともキリストと日蓮だけど、

意識が宗教的で、

37歳で亡くなっている。

ついでにお釈迦様は

38歳あたりで悟っている。

このことは我が小説

『自由自在堂』に詳しく書いた。

まあ興味のある方は

読んでくだされ。

写真:宮沢賢治猫



2021年1月28日木曜日

[7336] 当たり前

 ●当たり前

 最上川を見ていたら、やけに小さな白鳥がいる? よく見たら鳥の形をした雪の塊だった。鳥のフリして下流に流れていった。そのうち川とともになって消えるだろう。

 自分もこの雪鳥のように歳と共に変化し流れている。猫のマッピョは洟垂れになった。これが当たり前になって日常になった。イゴは痩せて背骨がゴジラになった。これが日常になった。母親が入院した。これが日常になった。こうやってなかったことが現れて日常になる。これからもまた違う変化がやってきて日常になる。

 しかしその新しい日常も流れていって日常でなくなる。当たり前だったことが当たり前でなくなるのだ。やはり何もかも変化しながら流れる。これで常がない無常であることは分かった。当たり前がないのが当たり前なのだ。だから日常が変わったぐらいで思い悩むことはないはずなのに、人間は日常を常だと思い込んで無常を思い煩う。

 ふと思う。当たり前などないのに、わざわざ当たり前のように助けてくれている人に対して感謝するのは当たり前だ。でも最も感謝すべきは、過去の当たり前にしてくれていた人や環境に対してだろう。例えばこの世にいなくなった親や知人、会わなくなった友人、来なくなったお客さんなど。亡くなった親やペットには手を合わせるぐらいしかできないが、生きている友人・知人・風景・環境、それらは当たり前でない日常を当たり前のように大変楽しくしてくれたり、何事もないように周りを整えてくれたり、いい刺激を与えてくれたり、退屈や苦しみを取り除いてくれたりしたのだ。

 今は、自分から離れた当たり前にしてくれていた人やあらゆることに、どうにかして感謝を示したい。ここに幸福とかなんやらのヒントがあるように思う。

写真:ゴッホ猫





2021年1月27日水曜日

[7335] テルミ

 ●テルミ

「小島さん、元気かなぁ」

と思いながら

木工作家小島伸さんから頂いた

秘伝のテルミ行



2021年1月26日火曜日

[7334] 明日の天気

 ●明日の天気

思考は固定化しやすい。

人はそれに気づかない。

自分の固定した

思考を膨らますために

ネットから言葉をいくら集めても

その人の成長には

おおよそ無関係だと思う。

それにネットの言葉は真理からほど遠い。

まずは

話し相手に悪意がない限り

どんな人の

どんな意見にも

対応できるくらいの

柔軟性のある

融和を育てることだろう。

思考の固定や停止を避け

日々子供のように

学ぶことだと思う。

あなたの明日の天気さえ

あなた自身では決められないのだから。



2021年1月25日月曜日

[7333] 木

 ●木

 人は社会や環境が変われば、自分は変われると思っている。でもこれを自ら実行するのは自分が自分の今を変えるという決意が初めにある。だから変えるのは外面の社会より自分の内面が先である。

 この社会に不満を持ち、社会変革とか革命とかを考える。人の思考というものは自分の劣等感や趣向が底辺にあるから、自分の好き嫌い、または自分の立場を守るような自分に都合のいいような情報を集める。よく直感的にと言うが、ほとんどの人の直感そのものは自分に都合がいいようにできている。だから偏っている。

 そもそも根本的な間違いは自分が社会を二つに分けて考えていることだ。あっちとこっちに。つまり問題は自分の内面が分断している。外面ではなく自分の内面に問題があることに気づいていない。分断した考えでは、その結果も分断する。葛藤しているのである。葛藤はエネルギーが湧き上がるモチベーションになり得るがエネルギーの浪費である。全面的に一つのことに集中したほうがエネルギーの使い方としては無駄がなく創造が増す。

 社会を二分する考えが季節の夏と冬なら、その分け方は表面上だけで、夏と冬は二分されておらず美しく繋がっているのが真実だ。木々はそれを知って成長する。季節だけでなく、根である暗い地下も花開く明るい地上も知っている。

 思うのは、人間は一人一人、できることなら一本の木を育てることから始めることだ。あなたより命が短い犬や猫と同時に、あなたより長生きする木を育ててみることだ。希望とは木望だと思う。



2021年1月24日日曜日

[7332] ゲーム

 ●ゲーム

ゲームの目的がお金であれば

子供らはそれを人生の目的にする。

今の子供らの喜ぶものを目的に

作っても面白くはないだろう。

その目的では子供らに媚びている。

その目的が金持ちや強い者では一般的だ。

そんな目的では子供らのいい成長にはならない。

それら以外のものを考えたほうが面白い。

などと雪掻きの目的を考えながら思った。



2021年1月23日土曜日

[7331] 捻挫

 ●捻挫

雪掻きしていて

手首捻挫です。

まったくなぁ〜

写真:雪ではありません、粘土です。



2021年1月22日金曜日

[7330] 晴

 ●晴

ここ数日、雪が降らない。

雪掻きがないせいだろうか

体の調子が悪い。

体力ないくせに

妙な体になったものだ。

明日は

どこかに道でも作ろうか!

写真:雪による被害。

結構いい樹形をしていた紅葉の木だったのに。



2021年1月21日木曜日

[7329] 縮図

 ●縮図

晴れたので、

イゴが庭の見回り。

問題はなかったようで、

数分後戻ってきた。

イゴはもう直ぐ18歳。

何度も死にそうになっては復活し

今はガリガリに痩せて

背骨がゴジラの背中のよう。

ビオフェルミンを与えているが

下痢が治らない。

多少ボケてきている。

猫も人間も

年寄りは似ている。

ときどきワシの母親のように見える。

猫は人間の年齢の縮図を

表現しているのかもしれない。