2026年6月15日月曜日

[9197] 初身

 ●初身
 初心に帰るってのは陰陽以前に帰る事でなかなか大変なことだ。好き嫌いや善悪以前だから。人は後から付いてきたお金や我欲に縛られ身動きが取れない。初心など遠い遠い夢だ。子供の頃の自由さもない。そこでお金があれば自由になれると思い込まされ、ますます金に囚われる。我欲を負い追い老い疲れ自由になる前に死んじゃう。
 何かしらで縛るような世間というものは意識でできている。有名人などは若い時代に活躍したものの老けたりボケたり子供が自殺したり犯罪したりであの成功はなんだったのだろうと忘れ去られる。虚しいものだ。
 意識は時間が繋がってないのだ。映画のフィルムのように、デジタルのドットのようにバラバラなのだ。だから人は繋がりが欲しいわけで繋いだとしても映画のように作り話でしかないからそのうちまたバラける。
 ワシなどはめちゃくちゃ才能があって天才(初心大事能力)なのに意識の世界では無名匿名有名を行ったり来たりしている。自閉的なので無意識に意識的な世間に脅かされることを避けているようだ。いい言葉では中道を手探りして歩んでいる。そこは透明な軸だ。AIだって理解不能なものだ。理解すれば透明ではなく汚れるからだ。世間の何かしらに縛られないなら世間的達成は遠いが、逆の方向の初心が気になるわけでこれは運がいい。でもそれでも世間的人間だから初心を忘れる。そんな時に坐禅と出会った。これも運がいい。坐禅は偽りの世間から逃れる唯一の行為で初心そのものだ。やってもなんでもないのは不完全な意識とは無関係だからだ。だから坐禅は完全なのだ。頭ではわからない。身体がそもそも初めから初心=初身だ。





2026年6月14日日曜日

[9196] 大初心

 ●大初心
私の作風はネコの目のようにコロコロ変わる。
個展はグループ展ですか? と言われることもある。
猫創作前は個展するたび違う作品を発表していた。
一体誰かわからないぐらい。
36歳、猫で食えるようになったので、しばらくは猫の中で変化しまくった。
これで私一人の展示会だとわかってもらえた。
しかし60歳の時にペリペリを発見しドーンと大変化した。
大大大初心に帰ったのだ。
その時、自分が社会的自分と赤ん坊みたいな初心自分に分裂してしまった。
迷ったがやはり初心に帰ることが真理だと悟った。
自分の初心を逃しあやふやな社会や未来に自分を置くことで人は迷う。





2026年6月13日土曜日

[9195] なりたいもの

 ●なりたいもの
私がなりたいものとは?
自分にこれから子供が授かるとする。
生まれた子が乱暴者は嫌だろう
欲張りでガミガミとかも嫌だろう
人を人と思わぬ子も嫌だろう
嫉妬深く猜疑心強い子も嫌だろう
偉ぶる子も嫌だろう
盗みやいじめをする子も嫌だろう
他人の命を蔑ろにするような子も嫌だろう
そういう子に、、私はなりたくない





2026年6月12日金曜日

[9194] わがまま

●わがまま
坐禅は
わがままな子供の支配から離れる事ができる
わがままな子供とは自分の中にドンといて
自分のことばっかり考えているガキだ
自分が欲しいと思った時に出て来る
欲しい、やりたい、したい、なりたいと思っている時だけ
それなら『欲しいが全て叶うサトリ』を示す
あとはほっとく
静かに坐る
子供の支配が解ける 





 

2026年6月11日木曜日

[9193] ペリキズシミ

 ●ペリキズシミ
ペリペリ作品はキズやシミが模様となって絵ができる。
人体で言えばキズは辛苦だな。
キズは消えないが捕らわれなければ人生の糧だ。
シミは老いだ。キズ同様捕らわれなければ人生の深さだ。
ペリペリは剥がす行為でハゲ?
まぁ一部にはそれもあるが、ボケ、忘れることだ。
ペリキズシミは老いそのものだ。
忘れるとは辛い記憶を消すことではない。
消したとて思い出したらまた辛いから。
だからただシミキズあるがままに任せることだ。
あるがままに任せるとはそれらに捕らわれないことだ。
捕らわれないとはそれらを特別視しないことだ。
つまりは他の全てと同等に思うことだ。
全て同等に思えば全ては思いの外に出る。
思わなければ、思い出さなければ
シミもキズも新鮮な模様だ。






 

2026年6月10日水曜日

[9192] 奥知

 ●奥知
メダカやハスなどは誰もが知っているのだが実は全く知らない。
例えばメダカの卵は指で取って増やすことができる。
この時の人間の指の力加減は絶妙だ。
ハスは同じ鉢に数種類入れるとピンクのハスが生き残る。
人間は切り取られたハスなどの写真と名称で分かったと思っている。
まるで頭は浅い辞書。辞書は見立てであってそのものではない。
AIも辞書の延長だ。「毒」という文字を見ても読んでも身体は毒されない。
多分一般の大人はメダカの卵もハスの花も触ったことはないだろう。
子供はなんでも触って知る。
だからと言って触覚が正しいわけではない。
そこで知識や情報を『言語知』とした。
触るのが『経験知』だ。経験は大事だが主観なので思い込み激しい。
経験知の奥にあるのが『奥知』だ。
奥知は言語知で思えば永遠に遠く言語が増えるだけ。
思わなければすぐ傍だ。





2026年6月9日火曜日

[9191] 仲間

 ●仲間
Aさんが中心になってBさんCさんを仲間にしてDさんを説得している
でも実はAさんBさんDさんが仲間で秘密裏にCさんを説得しているのだ
でも実はAさんCさんDさんが仲間で秘密裏にBさんを説得しているのだ
でも実はBさんCさんDさんが仲間で秘密裏に中心のAさんを説得している
人は仲間のようで仲間でない
あなたは中心のようで中心ではない