2025年1月20日月曜日

[8686] 老人と赤子

 ●老人と赤子
歳をとるといろいろ忘れる。
ボケたなぁとか年取ったなぁとか思うのは
若い脳をベストとして考えているせいだ。
ボケるのは上っ面の知識がぺりぺり剥がされ、
忘れることによって元々を思い出しているだ。
年齢とともに余計な汚れが落ちているのよ。
老人が赤子に還る謂れもこれですね。





 

2025年1月19日日曜日

[8685] 花粉症

 ●花粉症
 花粉症対策には『フキノトウを食べる』&『毎朝の部屋の掃除』だ。
 これでSSは花粉症を治した。
 原理は『人は自然に生かされている』ってこと。自然には暗い夜があるけど明るい朝は訪れる。寒い冬はあるが暑い夏もある。自然は二元のバランスがいい。動物を困らす植物の花粉があれば癒す植物だってある筈だ。それが雪が消え春の初めに出てくるフキノトウだ。クマは冬眠から覚めて最初に食うのがフキノトウらしい。フキノトウは春に決起盛んになる植物のエネルギーを動物がまともに受けても大丈夫なように出てくる植物なのだろう。植物にとって動物がいることが大事だから動植物同士のバランスだと思う。
 次は毎朝の部屋の掃除ね。これは花粉を掃除するという意味ではない。『飛ぶ鳥跡を濁さず』という諺がある。鳥を見習うこと。つまり自分のいた形跡を残さない。これは己の命を守るためだ。自然は厳しいのだ。だから毎日自分の形跡を消す、これが掃除。この掃除がルーティンになって苦にならなくなってきたら身体が整う。どうぞ掃除して花粉症など治してくださいな。





 

2025年1月18日土曜日

[8684] 恩恵

 ●恩恵
昨晩は今季最高の雪が降った。
雪掻きが面倒な気持ちの人からすれば、そりゃあ面倒な作業だ。
しかしこんなのは自然からいただいた恩恵からみれば、ほんの些細なことだ。
ここがAI未来都市になろうが、みんな自然から生まれ自然に還る。
自然に生かされていない人間は一人もいない。
少しぐらいは汗水流して恩を返しておかないとバチが当たる。





2025年1月17日金曜日

[8683] 多数

 ●多数
 人は数が多い方を好む。多数決とか大金持ちとかフォロアー数とか。多いところに身を置くと安心なのだろう。
 さて生物を見ると、1番多いのが昆虫だ。哺乳類などほんの僅かだ。こっちの方が安心だと『手塚治虫』は自分の名前に虫を入れたのかも。
 人間は自分らを生物の中の勝者のように勝手に思い込んで虫を蔑み虫けらと呼んでいるがそれは僻みだね。手塚さんのように小さい狭い人間中心から離れてみることが大事だ。中心など妄想なのだから。
 手塚治虫は漫画『ブッダ』を描いてくれた。だから私たちは身近にブッダを知ることができる。大昔、東京の東松原の喫茶店でコーヒー一杯で全巻読んだ。後日、コーヒー一杯で長時間いたお客として店内に指名手配された。
 私が初めて仏教に触れたのは小学生でお寺での花祭りだ。そこで地獄絵図を見て、これは何? と興味津々。だから私は好き嫌いで何かをやるというよりは内から湧いてくる興味が勝る。好き嫌いなんて二つに分けたものより興味の方が多数なのだ。





 

2025年1月16日木曜日

[8682]  SNSと無常観

 ●SNSと無常観
 SNSでは事実かフェイクかもわからぬ情報が怒涛のように流されてゆく。
 ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。澱みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まるためしなし。
 方丈記の書き出しだけどまるで今のSNSだね。情報はうたかただ。ちなみに方丈記初版は1212年だってさ。
 世界中が無常観を知りたがっているんじゃないかしら。無常感は寂しい印象があるが、深いよ。また裏腹に春の桜、新緑、夏の深緑、秋の紅葉、雪景色、温泉、四季折々の食など、日本人の日常に染み込んでいる心地よい自然への親しみもまた無常観からできた美だと思う。





 

2025年1月15日水曜日

[8681] ズレ

 ●ズレ
坐禅をするということは自分がするのではない自然から分けられた小さな自分ではなく大きな自然たる自己が坐禅をする自然が自然を自然することになるその自然は草木などの自然のことではなく太陽が東から上り西に沈む当然のことそこにズレはないあらゆるものが自然そのものなのだからズレなどあるわけがない空間的にも時間的にもズレがない私たちが思っている時空は時間的には過去や未来があり空間的にはここからあそこへの距離があるがズレがないとはそのような時間空間概念がない知覚や感情における差別や分別もなくいわゆる言語時空のズレもない個々の名称は消え自然の動植物やら水やら空気やらも全てが坐禅するつまり一切合切が坐禅の姿勢のように自然に自然のバランスが取れてしまうなら自然と善を施しわざわざ悪をすることがなくどこにもズレがない敢えて言葉を使うなら無垢で透明で至福であろうこのズレがないから坐禅を妨げるものもないズレがないから全てに隈なく染み渡っている自分と他人のズレもなく坐禅をする人だけでなくそれを見た人や気になった人もズレがないので知らず知らずのうちに坐禅を呼吸することになるそれは心地よい風を頬で感じているようなものだがそれは風と自分にズレがあるそこであなたも坐禅すればことごとく福に至る





2025年1月14日火曜日

[8680] 30代

 ●30代
 デンマークをメインにアイスランドとインドなどを1年間一人旅してきた女性がやってきた。お店のシャッターをガラガラ上げ下げするようなパワフルな声の持ち主で、一年前に初めて会ったとき、その声の素晴らしさにジャズボーカルになれと適当なことを言った。
 彼女の友達もあとでやってきた。山形住んでいるのに偶然にもみんな神奈川出身。彼女らは私が猫を作り始めた年齢に近い。30代は人生の捻りの年齢だと思う。アトリエで絵から坐禅を発見するまでの流れを話した。彼女らは坐禅の発見までの30年間を感動的に吸収したと思う。坐禅しなはれ。何もかもそこから始まるのだから。