2026年3月18日水曜日

[9108] 不二

 ●不ニ
人は善悪や好悪などの二元の中にいる
絵を真剣に描くとそこから出られる
絵でも文でも音でも自己表現は全てそれだ
例えば
「ダサさが格好つけた絵を描く」
「うぬぼれが上手に描く」
「わざとらしさが下手に描く」
「自己のなさが他を盗む」
「醜さが美を求める」
「貧しさが売れようとする」
「虚しさが嘘をつく」などなど
左側が隠された己の本質だ
絵はそれを知らせる
二元は不二になる





2026年3月17日火曜日

[9107] 草刈り

 ●草刈り
草刈り
草の香りが心地いい
まるで聞香杯
人間は動物だから
本能的に餌探しに奔走する
でも時々坐禅すれば
動物無しになって木になる
何も探すことはないことを知る
静かに呼吸
風になる
今はまだ風が冷たい





2026年3月16日月曜日

[9106] 長生き

 ●長生き
元気いいと思って
自分を買い被らない
調子こかない
我を張らない
無理をしない
暴走しない
ほどほどに
腹八分
引き際肝心
せっかく元気なら
快楽ではなく
心地良さを見つけて
長生きしよう




2026年3月15日日曜日

[9105] 逆さま

 ●逆さま
悪いのに頭を下げられない人は
頭が体の一番低いところにあるからだと思う
それでは世の中逆さまにしか見えない
そのまた逆さまのこと考えればいい





2026年3月14日土曜日

[9104] 前後裁断

 ●前後裁断
『鶏が先か卵が先か』では「どっち?」
幸か不幸かとか
『啐啄同時』では「同時」
愛とか量子の重ね合わせとか
で最も深いのが
道元さんの正法眼蔵
『前後裁断』だ
どっち?でも同時でもない
「切れている」
哲学でも科学でもない
ただ坐るだけの坐禅




2026年3月13日金曜日

[9103] 同時

●同時
『鶏が先か卵が先か』で思い出すのは、禅語の『啐啄同時(そったくどうじ)』だ。「雛が卵から出る時は雛が内側から殻を突く(啐)、同時に親鳥が外側から殻を突く(啄)。これで産まれる。タイミングなのだ」というもの。『啐啄同時』は卵の中の雛の話だけど言葉は「どっちが先か?」ではなく「同時」だ。ここが深い。科学は客観だからそこに自分はいない。立派なことを語る人は大抵そこにいない。自分は蚊帳の外。内外・主客が分断している、どっちが先か、ってね。その点、禅の考察は深い。坐っているのは誰でもない自分だ。
 





2026年3月12日木曜日

[9102] 方向

 ●方向
科学が発達したけど
『鶏が先か卵が先か』は解らない
AIも解らない
人間は鶏のように動き回ったり
卵のように閉じて
温めてくれるエネルギーを必要としたり
けどあいも変わらず解らない
人間の知能は真実から遠ざかり
間違った方向を見ているのかも