●偶然
自分はなんでこの色合いに美を感じるのか? 何かあるんだろうね、このような出会いは理屈の先の先にあるから。ペリペリも毎朝やっている坐禅も絵から偶然発見したもので、他所の知識から得たものではない。自分の道を歩いていて、道端で思わず発見したさまざまだ。こういう偶然の拾い物は感動を与えてくれる。でっち上げや作り話から離れ自分の道を歩く。
もりわじん絵日記
2026年3月20日金曜日
[9110] 偶然
2026年3月19日木曜日
[9109] 新しい美術
●新しい美術
とうとうペリペリ自体が既成の概念や技術を超えて『美』になったと思う。他の技法では出せない色合いに到達したのだ。結構嬉しい。ペリペリはこれまで既成の技法に一つ加わった新しい技法みたいなスタンスだった。それでは価値がない。そこでメインにする。すると抽象になって己の技術に溺れている感じになる。これではつまらん。それが新色を持ったのだ。電気のない時代に電気を発明したような。新しい美術の誕生だもんね。
2026年3月18日水曜日
[9108] 不二
●不ニ
人は善悪や好悪などの二元の中にいる
絵を真剣に描くとそこから出られる
絵でも文でも音でも自己表現は全てそれだ
例えば
「ダサさが格好つけた絵を描く」
「うぬぼれが上手に描く」
「わざとらしさが下手に描く」
「自己のなさが他を盗む」
「醜さが美を求める」
「貧しさが売れようとする」
「虚しさが嘘をつく」などなど
左側が隠された己の本質だ
絵はそれを知らせる
二元は不二になる
2026年3月17日火曜日
2026年3月16日月曜日
2026年3月15日日曜日
2026年3月14日土曜日
[9104] 前後裁断
●前後裁断
『鶏が先か卵が先か』では「どっち?」
幸か不幸かとか
『啐啄同時』では「同時」
愛とか量子の重ね合わせとか
で最も深いのが
道元さんの正法眼蔵
『前後裁断』だ
どっち?でも同時でもない
「切れている」
哲学でも科学でもない
ただ坐るだけの坐禅
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