2026年6月17日水曜日

[9199] ポール&ホール

 ●ポール&ホール
タイトル『ポール&ホール』
ペリキズシミによる男女の裸体絵だ。
根元に興味津々なので、やはり男女の根源も描くことにしたのだ。
女性が『ホール』で、男性がもろちん『ポール』だ。
『ホ』に⚪︎が付いているのが『ポ』
なんか妙な感じだ。
デザインして思うのは『ホール』の摩訶不思議さだ。
盲点にしろブラックホールにしろ
ミクロからマクロまで何もかもホール。
疑問は「ホールは有るのに無いのがホール」なんだ。
これで男は『ポ』っとする。




2026年6月16日火曜日

[9198] 苦楽

 ●苦楽
苦などは楽の裏の表情だ。
生ゴミ臭いドリアンだって果物の王様なんだから。





2026年6月15日月曜日

[9197] 初身

 ●初身
 初心に帰るってのは陰陽以前に帰る事でなかなか大変なことだ。好き嫌いや善悪以前だから。人は後から付いてきたお金や我欲に縛られ身動きが取れない。初心など遠い遠い夢だ。子供の頃の自由さもない。そこでお金があれば自由になれると思い込まされ、ますます金に囚われる。我欲を負い追い老い疲れ自由になる前に死んじゃう。
 何かしらで縛るような世間というものは意識でできている。有名人などは若い時代に活躍したものの老けたりボケたり子供が自殺したり犯罪したりであの成功はなんだったのだろうと忘れ去られる。虚しいものだ。
 意識は時間が繋がってないのだ。映画のフィルムのように、デジタルのドットのようにバラバラなのだ。だから人は繋がりが欲しいわけで繋いだとしても映画のように作り話でしかないからそのうちまたバラける。
 ワシなどはめちゃくちゃ才能があって天才(初心大事能力)なのに意識の世界では無名匿名有名を行ったり来たりしている。自閉的なので無意識に意識的な世間に脅かされることを避けているようだ。いい言葉では中道を手探りして歩んでいる。そこは透明な軸だ。AIだって理解不能なものだ。理解すれば透明ではなく汚れるからだ。世間の何かしらに縛られないなら世間的達成は遠いが、逆の方向の初心が気になるわけでこれは運がいい。でもそれでも世間的人間だから初心を忘れる。そんな時に坐禅と出会った。これも運がいい。坐禅は偽りの世間から逃れる唯一の行為で初心そのものだ。やってもなんでもないのは不完全な意識とは無関係だからだ。だから坐禅は完全なのだ。頭ではわからない。身体がそもそも初めから初心=初身だ。





2026年6月14日日曜日

[9196] 大初心

 ●大初心
私の作風はネコの目のようにコロコロ変わる。
個展はグループ展ですか? と言われることもある。
猫創作前は個展するたび違う作品を発表していた。
一体誰かわからないぐらい。
36歳、猫で食えるようになったので、しばらくは猫の中で変化しまくった。
これで私一人の展示会だとわかってもらえた。
しかし60歳の時にペリペリを発見しドーンと大変化した。
大大大初心に帰ったのだ。
その時、自分が社会的自分と赤ん坊みたいな初心自分に分裂してしまった。
迷ったがやはり初心に帰ることが真理だと悟った。
自分の初心を逃しあやふやな社会や未来に自分を置くことで人は迷う。





2026年6月13日土曜日

[9195] なりたいもの

 ●なりたいもの
私がなりたいものとは?
自分にこれから子供が授かるとする。
生まれた子が乱暴者は嫌だろう
欲張りでガミガミとかも嫌だろう
人を人と思わぬ子も嫌だろう
嫉妬深く猜疑心強い子も嫌だろう
偉ぶる子も嫌だろう
盗みやいじめをする子も嫌だろう
他人の命を蔑ろにするような子も嫌だろう
そういう子に、、私はなりたくない





2026年6月12日金曜日

[9194] わがまま

●わがまま
坐禅は
わがままな子供の支配から離れる事ができる
わがままな子供とは自分の中にドンといて
自分のことばっかり考えているガキだ
自分が欲しいと思った時に出て来る
欲しい、やりたい、したい、なりたいと思っている時だけ
それなら『欲しいが全て叶うサトリ』を示す
あとはほっとく
静かに坐る
子供の支配が解ける 





 

2026年6月11日木曜日

[9193] ペリキズシミ

 ●ペリキズシミ
ペリペリ作品はキズやシミが模様となって絵ができる。
人体で言えばキズは辛苦だな。
キズは消えないが捕らわれなければ人生の糧だ。
シミは老いだ。キズ同様捕らわれなければ人生の深さだ。
ペリペリは剥がす行為でハゲ?
まぁ一部にはそれもあるが、ボケ、忘れることだ。
ペリキズシミは老いそのものだ。
忘れるとは辛い記憶を消すことではない。
消したとて思い出したらまた辛いから。
だからただシミキズあるがままに任せることだ。
あるがままに任せるとはそれらに捕らわれないことだ。
捕らわれないとはそれらを特別視しないことだ。
つまりは他の全てと同等に思うことだ。
全て同等に思えば全ては思いの外に出る。
思わなければ、思い出さなければ
シミもキズも新鮮な模様だ。