2020年9月30日水曜日

[7216] 空

 ●空

 多様化社会とはいうけど、みんながバラバラではそれぞれが孤立する。

 さて、人間を含め様々な動植物の上にはバラバラを覆うように空気をいっぱい持った青い空があるではないか。空こそ『治す』だ。全ての職業は『治す』ことだ。目的も『治す』ことだ。農業だって腹減った人の心の苦を取り除き治しているのだ。あらゆる職業は基本『治す』目的以外の道などない。

 親は子供にまずは基本として「差別しないで、人の苦を取り除くような人になりなさい。それが道です」と教えるべきだろう。これが基本であなたの好き嫌いや金とか名声とか地位とかは単なる執着でしかない。ある程度得たらそれほどの価値はない。こだわるほどのものでもない。『治す』に切り替えることだ。道を外れた悪党でも『治す』道に戻ればいい。自然界はそれを『赦す』。自然界はコロナのような試練も与えるが『治し』もする。人間社会は物理界や生物界の法則の模倣をしている。同じ宇宙に存在するのなら当然のことだ。社会が自然界の模倣をしているなら『治し』の模倣も今こそ重要だろう。自然界は空を持ってるがゆえに人知を超えて懐が大きい。人間もせせこましい利己心を捨て空を目指しなさい。



2020年9月29日火曜日

[7215] 治す

 ●治す

 政治とは『国を治める』とある。『治』は治すことだ。治すとは医者や看護士の仕事のように「分別の概念を超越し、人々の苦を取り除く」ことだ。政治の分断は分別するわけだから『治す』の正反対だ。昨今の政治は分断激しい。民の苦を取り除く『治す』という初心を忘れて、目先の利益だけを追っているように思える。治すべき外科医が切り裂き魔になるようなものだ。街を治すべき警察官が銃で民衆を殺すようなものだ。まさしく今アメリカで起こっている。人類は今こそこれまでの人間の目的の概念を見直し、看護士のように『治す』という次の次元を身に付けるべきだと思う。



2020年9月28日月曜日

[7214] 愛

 ●愛

 自己中の子供が客観視を身につけて、自他を平等に見る視点を手に入れたかというとそうでもない。他人が見ている自分に興味が増し「オレ様を見ろ!」に膨らんでゆく。自己愛そして自己顕示欲ですね。それでも他人がいることでやや自己中は軽減する、代わりに集団としての我々仲間中心が浮上し、地元愛、自国愛とかになってゆく。自分の意見より仲間の意見が間違っていようがそれが中心になってゆく。他の仲間との分別が激しくなると差別が始まる。キレイ・汚いという分別と同じ思考だ。

 夏目漱石が英語教師をしていた頃、生徒が「I love you」を「我、君を愛す」と訳したところ、漱石は「日本人はそんなことを言わない。『月が綺麗ですね』と訳しておきなさい」と言ったそうだ。自他の分別を超えた美しい言葉ですね。



2020年9月27日日曜日

[7213] 自己中

 ●自己中

子供は自己中である。他人の身になれないからである。例えばお母さんと子供が向かい合っている。お母さんが「あなたは何を見ている?」と質問する。子供は「お母さん」と答える。では次に「お母さんは何を見ている?」と質問する。ここで「僕」と答えれば、自分を客観視する思考が育まれたことになる。他人になれたわけです。

 子供は成長する。次に家族や仲間や地域という集団になる。自分の集団のことはわかるが、集団以外の気持ちがわからないなら集団に寄り掛かった自己中である。子供の自己中と同じで他人の思考がわからないから遠くの他人に思いやりは生まれない。自分の集団の傷つくのを防ぐために自己主張する。外は敵だ。他者を攻撃する。差別思考が生まれる。

 ここで子供の自己中と同じように、自分らの集団を冷静に客観的に批判できれば、集団に頼った自己中がクリアーされ、次のより良いステージに向かえる。

「あなたは何を見ている?」

 そして次の質問をクリアーできれば会話が始まる。それが発展する可能性だ。停滞は淀みだ。



2020年9月26日土曜日

[7212] 我

 ●我

 子供の頃はキレイ・汚いなどの分別はない。これでは何でも口に入れてしまい命に危険がある。そこで親は分別を教える。分別を知ってくると同時に自我が形成される。形成というより我という概念に縛られる。この我は命の危険を回避するための知識で仮のものだ。知識がついて利口になったら、大人になっても大事に持っている必要はない。それは我が儘(わがまま)だ。我とは例えば子供の持つ安心のための大きなぬいぐるみのようなものだ。実は、ぬいぐるみは生きていないのだ。



2020年9月25日金曜日

[7211] 分別

 ●分別

 この間、歯科衛生士のおねえさんに質問した。

「歯も磨いてないジジィの歯を汚いと感じますか?」

「どんな人の歯も汚いと感じません」

「じゃあ、キレイ・汚いという概念を超えているんだね!」

「歯はそうですけど、排泄物はダメですね。介護の方はキレイ・汚いはないんじゃないかな」

 数日後、訪問看護士の女性と会った。そこでキレイ・汚いについて質問した。やはりキレイ・汚いなどのチンケな概念は無いらしい。ジジィの肛門に指を入れてウンコの色や匂いで身体の具合がわかると言う。驚き! 変態でない限り、やはり経験はかなり重要だ。キレイ・汚いなどの余計な分別概念が消えて、そのキレイ・汚いの向こうにある病気や害がしっかり見えてくる。彼女は仕事だからと言うけど、いやいや素晴らしい。何が素晴らしいかと言えば、仕事はもちろん、争いの元である孤独や孤立化してしまう分別や差別の概念を消し去っていることだ。


2020年9月24日木曜日

[7210] 大頭猫命

 ●大頭猫命

今頃は伊勢だった。

二十年以上もおかげ横丁に通った。

今回この時期に行かないのは初めてである。

妙な気分である。

そこで初めて伊勢での展示会の時に出品した、

今は人の手に渡った『大頭猫命』

その小型バージョンを作った。

伊勢に出品します。

ここから始めよう!



2020年9月23日水曜日

[7209] 万年日めくり

 ●万年日めくり

『おみくじ猫』の万年日めくりができました。

風呂猫マーケットで絶賛販売中。

サイズ縦30センチ。

作品写真31点と

自称詩人の私めの深い深〜い言葉がついてます。

「風呂猫マーケット」で検索してみてください。

よろしくです。



2020年9月22日火曜日

[7208] 果物

 ●果物

朝散歩していたら、車が通り、運転手が手を振った。

誰だろう?

午後運転手がスモモを持ってきた。

田舎はいいとこだ。

果物はタダで食える。

さくらんぼ・りんご・スイカ・桃・梨などなど。

都会にいる頃は果物などほとんど食わない。

しかし

こんないいところに住んでいられるのは

ここから離れた都会に

展示会やイベントなどを楽しめる人が大勢いて

画廊とかイベントを

計画経営している人がいるから

ワシはこうやって果物食って

粘土いじって暮らせるわけだ。

もう

忘れちまったけど、

都会は都会で

たぶん楽しいところなんだろうね。



2020年9月21日月曜日

[7207] 展覧会in 北京

 ●展覧会案内in北京

中国の北京でのグループ展示会です。

「月見展」

2020.9.25(fri) - 10.8(thu)

ギャラリー七寳(シッポウ)

北京市東城区新中街乙12號東外公館一階101室

初めての北京です。

よろしく。



2020年9月20日日曜日

[7206] 吸う

 ●吸う

奥歯が一本ないところ。そこに義歯を作ってもらった。これでなんでも食える。ところが食うと義歯で唇の内側を噛んでしまう。それも上下だ。どうやって唇の内側なんか噛むのだろうと、食っては確かめる。忘れた頃に噛むからなんで噛むのかなかなかわからない。

 ハタと! ものを噛む前に一瞬吸ってる! 唇が口の中に僅かに吸い込まれるのだ。

 これは、たぶん赤ん坊の時のおっぱいを吸う動作だと思う。このおっぱいを吸う動作が大人になり歯が生え器用に咀嚼全般の動作へと進化する。哺乳瓶ではなくやはりおっぱいは大事だ。この基本の吸うを大人でもやっているのだ。だから大人になってもおっぱいを吸いたい。キスという動作もこの延長だと思った。そもそも赤ん坊は教えてもいないのにおっぱいを吸う。驚くことはない、哺乳類ならみんなそうだから。

 ところで人間は受胎1ヶ月の間に魚類、両生類、爬虫類、哺乳類へと変遷する。そこで思ったのが金魚。うちの池の金魚は僕が近づくとやってきて口をパクパクする。このパクパクが吸うの根源だ! ワシらはみな魚だったのだ!



2020年9月19日土曜日

[7205] 展示会in伊勢

 ●展示会案内 in 伊勢

毎年恒例の『来る福招き猫祭り』第26回です。

日 時/令和2年9月29日(火)~10月11月(日) 9:29~17:29
場 所/おかげ横丁一帯

疫病除け、魔除けには赤が縁起。

赤いものを多く制作しました。

しかし、まぁ

26年もよく続いたよ。 

今更ながらアッパレ!

だからか! 

人間描いても、ナス描いても、

キュウリ描いても、丸描いても

なにを描いても猫になる。

わかったのは

一つのことをずっとやっていると

バカになる。

今年、僕はステイホームで現場に行きません。

寂しいだろうが、勝手に盛り上がってください。



2020年9月18日金曜日

[7204] 与える

 ●与える

今日は秘伝豆を収穫した。

自分で植えたものって人にあげたくなる。

何故だろう?

たぶんワシが育てたわけでないからだろう。

最初だけやることやったけど

あとは放っていた。

知らないうちに

太陽や雨や土が勝手に育てたのだ。

自分の商売でないし、

嬉しい頂き物みたいなもの。

喜びは分け与えたくなる




2020年9月17日木曜日

[7203] 正の遺産

 ●正の遺産

自転車がパンクしたので直した。

直していて実に楽しかった。

壊れたものを直すと元に戻る。

この元に戻るってのがいいんだろうか?

未来なんて不確かなんだから

負の遺産を残すようなことは避けるべきだ。

今、壊れている箇所があったら

今、直すことだ。

『わじんのわ』は正の遺産になるだろう。

違和感を和感に直したものだからだ。

今は今の知識でしか分析できないが、

未来多くの知者が興味を持って

広げてくれるような気がする。

久しぶりに自転車を乗り回した。



2020年9月16日水曜日

[7202] 展示会案内in長崎

 ●展示会案内

この時期は大忙しでモマイする。

九州での招き猫祭りです。

9/19〜10/18

○しまばら水屋敷

長崎県島原市万町513




2020年9月15日火曜日

[7201] 展覧会案内in山口県

 ●展示会案内

招き猫祭りです。

9/19〜10/18

○ギャラリーまねき猫や

山口県松市桜町1−10−22

よろしくです。











2020年9月14日月曜日

2020年9月13日日曜日

[7199] 戯論3

 ●戯論3

人は何を信じているのだろうか?

戦争は必要悪だ、地球人口増加抑止だ(これが戯論ね)。

国ではうめや増やせやと少子化対策。

矛盾してるね。

奪い合いが戦争だ。

奪わず創ればいいだけのこと。

全ては平等が根底にある。

だから平等でないような偏った考えは

創造力不足か

単なる自分勝手だ。

少ない知識で結論づけるのはよそう。

少ない知識の他人に委ねるのもよそう。

AIだってまったく少ない知識なんだから。

人はいつだって少ないんだ。

少ないからって奪い合う必要はない。

創れや!



2020年9月12日土曜日

[7198] 戯論2

 ●戯論2

人は何を信じているのだろうか? 

人類は宇宙人が作ったと言う。

その宇宙人を作ったのは? 

もっと偉い宇宙人。

その偉い宇宙人を作ったのは? 

そのまたもっと偉い宇宙人だ!

もっと偉い宇宙人を作ったのは? 

・・・・・

このような考えは無間地獄思考だ。

なぜわざわざ地獄に行こうとする?

自由自在を忘れてしまったのだろうか?



2020年9月11日金曜日

[7197] 戯論

●戯論

人は何を信じているのか? 

他人は信じない。

他人は嘘をつくし、

間違ったことを信じているかもしれないし、

考えも違うからだ。

では自分の考えを信じる。

しかし自分の考えは

自分に都合のいいような

他人の知識を寄せ集めたものだ。

結局、信じてない他人の考えだ。

自分が自分を騙していることになる。

自分をより賢く騙すために

陰謀論などを信じる。

なぜ人はこのような寄せ集めの思考で

自分を騙したがるのか?

真実を知ることを諦めたのだろうか?

2020年9月10日木曜日

[7196] 展示会案内

●展示会案内

『疫病退散・天下安寧招き猫展』in瀬戸

恒例の瀬戸の猫祭りは中止。

そこで普通に猫仲間と展示会をします。

のんびり静かに鑑賞できますよ。


場所:招き猫ミュージアム・スペース29

期間:2020年9月12日 (土)~27日 (日)

 火曜休み(22日は祝日ですので開館)

時間:10:00~17:00(ご入館は16:30まで)

住所:愛知県瀬戸市薬師町2番地

TEL.(0561)21-0345

よろしく。

2020年9月9日水曜日

[7195] 前顔

●前顔
天気はどうかなと
山形の地図を見ていて
ふと思った。
山形は人の横顔だ。
この人の前顔って
どんなんだろう?

2020年9月8日火曜日

[7194] AI

●AI
未来はAI社会になる。
人間の知の進化の先に
AIがあるというなら、
自分が間違いを犯すかも知れないことを
考慮したロボットになる。
その不完全を入れ込んだロボットこそ
完璧なロボットだ。
不完全さは多様なので
多種多様なロボットになる。
まるで今の人間だ。
だから何も変わりない。
しかし人間は不完全を認めたがらない。
人間はエゴイスティック。
人間の自由はそれではない。
写真:バニーちゃん完成

2020年9月7日月曜日

[7193] ウシガエル

●ウシガエル
小さめのウシガエルが池に棲んでいる。
トノサマガエルや他のカエルは
僕が近づいても逃げないが、
こいつはビビリだ。
ところでアシナガハチが池に水を飲みに来たとき、
ウシガエルがパクッと食った。
口の中を刺されたのか
すぐに、ペッと出した。
あっ! もしかして‥
池の水換えをやった。
やっぱりだ! 
10匹以上いたメダカが4匹しかいない。
そこで思い出した。
数年前、池のメダカ50匹がすべていなくなったのだ。
原因がわからなかったが
こいつの仲間が棲んでいたんだ。
メダカ4匹は家の水鉢に入れた。

2020年9月6日日曜日

[7192] クール計画 その6

●クール計画 その6
なんじゃろ? この気持ち悪さ、吐き気、食欲不振がたまにやってくる。
 熱中症など治ったはずなのに、これはなんだ? 
 考えてみれば『わじんのわ』ができて、このことを証明する言葉はなんだろう、と集中して本読んだ。目は疲れるわ、睡眠不足だわ、暑いわで相当体力も精神も消耗した。ほぼ論文も完成した。そろそろ休めってことかもね。
 待てよ、もしかしてワシ、熱中症ではないのかもしれない。昔は熱中症など知らなかった。夏になるのは夏バテだった。そこで調べてみた。なんとぴったり、ワシ、夏バテじゃん! 汗をかくというのは副交感神経で、これは胃の働きを止めるんだって。汗でミネラルやらビタミンが外に出ていっているのに胃が働かないから食欲不振、吐き気、めまい。ますますミネラル不足。寝不足、どんどん虚弱。ガーーン!
 そういうことで夏バテ対策です。夏バテ対策として始められることは、クーラーの設定温度を上げること、クーラの効かせ過ぎは夏バテになるんだって。クーラーいらないじゃん! 実のところクーラの使い過ぎによって体温調整機能が壊れ熱中症になりやすい体になるという。文明ダメじゃん!
 それと裸は汗垂れ流しでシャツ着た方が汗を吸い取って気化するんだって。裸ダメじゃん! 原始生活ダメじゃん! よしわかった。文明どっぷりも裸族もやめて中庸な人間、そうワシがクールになればいいのだ!

2020年9月5日土曜日

[7191] クール計画 その5

●クール計画 その5
SS「外に申し訳ない」
 なんのことかと思ったら「家の中がエアコンで涼しくなったら、外を熱くしてしまう。外に申し訳が立たない」ということだ。別に外に対して良い子ぶってるわけではなく、これは大切な思考だと思う。
 西洋の哲学では『わたしが思うからわたしが在る』だ。つまり『わたしがいるからあなたがいる』に繋がる。これは自立心を促すための押しの強い思考だ。しかし途中までだ。そのあとも押しが続けば、わたしわたしオレオレオレでは争いが絶えず、他人と繋がることはなく、繋がるためには自分の欲望にとっての他人の利用とか経済第一など、真実でないもので間を埋めなければいけなくなる。そのうちその真実でないまやかしが当たり前になって真実だと思い込んでしまう。正直者は引きこもり、その他は孤独孤立してしまう。もはや恋人や家族の関係も崩壊し、この隙を狙った国家が幅を利かす。人々は国家の道具だ。実は国家だって崩壊している。人の精神が分断しているならその集まりだって分断している。そもそも『わたしが思うからわたしが在る』が問題なのだ。これが今の世界の主流であり、その弊害が戦争や憎悪や対立や統制だ。個人の自立そして社会の自立まではいい。そこから上乗せアイデアでは嘘の上塗りになる。そろそろ次の捻るアイデアが必要なのだ。そしてその捻るアイデアが『わたしがいないからあなたがいない』だ。これで初めて個人を超えた関係性が浮上せざるをえなくなる。なぜなら個人がいないことがわかったからだ。嘘ではない本当を感じ、それを実行するしかなくなる。ここに利他が浮上する。慈悲も浮上する。意識転換ひとつでこれらが勝手に浮上するのだ。木が勝手に打ち水をしてくれるのと同じだ(クール計画3参照)。
 『家庭』での外への蔑ろ、この内と外の分断が違和感を生む。『わたしがいないからあなたがいない』は、分断や偏りをなくす概念だ。つまり家の『内がないから外がない』なのだ。
 昔の雪国の知恵では『雪室』を作って夏に利用していた。この家でも設計の段階では雪室を考えていた。しかしそこから虫が入るし、なんやかんやで却下してしまったのだ。そこで雪室アイデアの復活はどうだろう。僕の家の北側の屋根から落ちた雪は4月末まで残っている。5月の連休まで残っていたこともあった。この雪を大きな四角に固め、断熱材で囲い、夏まで雪を残すことができなくもない。夏、そこからパイプを通して家の中につなぎ扇風機を置く。これで外は内の犠牲ではない。外の、それも冬の外の雪、「外に申し訳が立つ」。

2020年9月4日金曜日

[7190] クール計画 その4

●クール計画 その4
家においての縁側は実に面白い。
 『わじんのわ』では『縁』が重要な基本テーマになっている。前にも言ったダライラマやアインシュタインが言った『依存』。この言葉をもっと深めた言葉が『縁』だ。これら偉大な哲学宗教や先端科学の根本に『縁』があるのだ。昔の日本ではそれを家に直接盛り込んでいる。家と庭の間にある『縁側』だ。内と外の中間に位置する。縁側は家の中の居間と庭を対等の感覚にする。日本家屋の居間から庭を撮影しても庭から家の中を撮影しても、美しくなるのが縁側の効果だ。縁側は家から飛び出た板のことではあるが、あれだけを抜き取ってみてもただの板だ。縁側とは家と庭の依存関係のこと言う。つまり縁側とはあの板のことではなく双方からの写真に収まる全風景が縁側なのだ。昨今の『分断』に対するアンチが込められている。
 僕の家の設計ではまず池を決めてから居間を作り、そこから家や庭に図面を広げていった。家からフラットに池に伸びたアルミのサニースルー、これが縁側だろうな。
 さてクール計画。家の中を快適にするためには家の外にいらないものを置くのではなく、家の外も中と同様に充実しなければならない。重要なのは中でも外でもなくその境界にある縁側という中道の概念だ。玄関側にある大屋根の下が日中は涼しい。いつも南側のデッキにいるので、玄関側はあまり意識してなかった。まあ道路があるので人や車が来る。裸で暮らしているけど恥ずかしがり屋の僕には人の目が気になる社会的空間だ。そこに『垣』を作ろうかと思う。解放させながら風が通り気配を感じる社会的な縁側になるだろう。北を無視していた自分に反省、これからは北の開発じゃ! 北国に住んでいるだけに、そこ大事!
 エアコンを取り付けるのは簡単で便利だが、文明批判的創造が湧くなら、それを試してからでも遅くはない。やはり便利な文明の利器に頼ると何か大事なものを失うような気がする。たぶん今回のクール計画のような創造を失うのだろう。

2020年9月3日木曜日

[7189] クール計画 その3

●クール計画 その3
自分では名作だと思っているツタのパーゴラ。この下は風があまりない時のほうが涼しさが降ってくる。
 本当ならこのツタのパーゴラを家にくっ付けて東南西に広げて作ればいい感じに涼しいだろう。緑の葉の大屋根ができるようなものだ。ヨシズや天幕よりやはり葉陰が涼しい。なぜなら葉から水が蒸発するときに周りの熱を奪う、気化熱だ。庭やデッキに自分で打ち水すれば気化熱で涼しくなるが、いつも撒いているわけにはいかない。その点、木は勝手に水を撒いてくれるのだ。気化熱のおかげで周りの温度との差ができ風が生まれる。また木は光合成するときに根から吸い上げた水と空気中の二酸化炭素を取り入れ太陽光エネルギーで栄養をつくる。その時に酸素を出す。つまり酸素ふんだんの風なのだ。だから木陰が動物の憩いの場となる。つまり人間にとっても木陰は居心地いい場所なのだ。
 今、日の差さない北の窓から涼しい風が入る。周りは日がガンガン照っているのに単に日の差してない窓からの風が爽やかなのは、なぜだろう? 草からの水の蒸発が熱を奪うのだろう。北側の壁やコンクリート、駐車場や小屋などの屋根のあるところからの風は涼しい。日が当たらないから空気が熱くならないその風が来るのだろう。こういう小さい涼しさの積み重ねが猛暑をクリアーすると思う。
 ただ家から伸びたパーゴラを作ることはできない。冬、雪で潰れるからだ。ということでまずは木を植えるつもり。


2020年9月2日水曜日

[7188] クール計画 その2

●クール計画 その2
『家庭』とは家と庭に対して対等に気を掛けることを言う。
 他の家の見取り図を見ていて思う。庭など全く考えてないのに図面の隙間におまけ程度に木のマークがついてある。図面に樹木があるということで心が落ち着くのだろう。それほど樹木は大事なのに建築家は木を植えたりしない。植えるなら金を請求するだろう。つまり木のことなど考えてないのだ。ならば最初から木のマークなどつけなければいいのだ。建築家で家を自然素材で作る方向性を持ちながら、樹木や庭をまったく意識していないというのは浅はかだ。それでは建物が地面から分離しているただの変な箱だ。中の住人もそのうち分離するだろう。なぜなら『家』『庭』は分離だからだ。
 さてクール計画第二弾。庭を改造することにした。木を植えて家に木陰を作るつもりだ。涼しいだけでなく、壁に木の影が映るだけでも絵になる。畑の一部に木蓮と鈴蘭の木を移植しようと思う。木蓮はペリバを建てたせいで大屋根からの雪で折れそう。木蓮の移植はあまりよくないのだが、まだ小さいし大丈夫だろう。鈴蘭の木は紅葉が美しいが玄関側にあってあまり見てなかった。二つとも今は元気だ。

2020年9月1日火曜日

[7187] クール計画 その1

●クール計画 その1
どうも暑さ対処法が間違っていたようだ。
 山形の夏はクソ暑く、日本最高気温の記録を何十年も維持していた。冬はクソ寒く雪深い。この寒暖の差のおかげで食べ物が日本一うまい。だからこの家は住み心地を最大に考慮に入れ、大学で建築学んだけど、忘れたので思い出し出し、一年間も考えて考えて、ノート10冊以上もエスキースを描き設計した家だ。ところで『家庭』とは家・庭と書く。庭は家で言えば居間ぐらい大事だ。
 さて僕が家を猫にしたのは仕事上のシャレだ。建築としては住人の暮らしやすさの点で内外いたるところに新アイデアを盛り込んでいる。家の配置は太陽の運行に合わせて東・南・西へと細長く曲げて作ってある。また冬はすべての部屋に日が差すようになっている。だから北側の寒い部屋というものがない。猫の毛に防熱効果があることから外壁は木を段々にし毛並みではなく木の波を作り、内部の温度上昇を抑えている。光熱費も抑えられる。だからエアコンなど無くても方角や窓の位置などで涼しくなるようにしてあるのだ。ただし建築に完璧はない。僕は夏と冬では冬の寒さ対策の方に重きを置いた。それでも夏は過ごしやすく設計したはずだ。
 それなのに熱中症! 何を間違ったのか?
 今朝、とうとう気付いた! 暑いからとすべての窓を全開にしていたのだ! 日が差している方角の窓から外の熱風が入るに決まっている。お蔵の中がひんやりしているのは日が入らないからだ。
 そこで日の差す窓は閉めてブラインドを下す。天井ファンを強く回す。涼しいではないか! まあ今日は猛暑じゃないけど。これならエアコンなど無くても安く快適に暮らせそうだ。他の家を見ててバカじゃないかと思うことがある。エアコン、除湿機、加湿器、ファンヒーターと、空間が息苦しい。お前んちは家電屋か! 
 とりあえず北側観音窓全開のため窓下にチョコ脱出防止柵を大工した。チョコは意外と賢く、網戸は開けるし蛇腹の網は潜って出る。ピニャモがそれを真似する。
 これでこの残暑を乗り切れるか、実験ですね。