●クール計画 その5
SS「外に申し訳ない」
なんのことかと思ったら「家の中がエアコンで涼しくなったら、外を熱くしてしまう。外に申し訳が立たない」ということだ。別に外に対して良い子ぶってるわけではなく、これは大切な思考だと思う。
西洋の哲学では『わたしが思うからわたしが在る』だ。つまり『わたしがいるからあなたがいる』に繋がる。これは自立心を促すための押しの強い思考だ。しかし途中までだ。そのあとも押しが続けば、わたしわたしオレオレオレでは争いが絶えず、他人と繋がることはなく、繋がるためには自分の欲望にとっての他人の利用とか経済第一など、真実でないもので間を埋めなければいけなくなる。そのうちその真実でないまやかしが当たり前になって真実だと思い込んでしまう。正直者は引きこもり、その他は孤独孤立してしまう。もはや恋人や家族の関係も崩壊し、この隙を狙った国家が幅を利かす。人々は国家の道具だ。実は国家だって崩壊している。人の精神が分断しているならその集まりだって分断している。そもそも『わたしが思うからわたしが在る』が問題なのだ。これが今の世界の主流であり、その弊害が戦争や憎悪や対立や統制だ。個人の自立そして社会の自立まではいい。そこから上乗せアイデアでは嘘の上塗りになる。そろそろ次の捻るアイデアが必要なのだ。そしてその捻るアイデアが『わたしがいないからあなたがいない』だ。これで初めて個人を超えた関係性が浮上せざるをえなくなる。なぜなら個人がいないことがわかったからだ。嘘ではない本当を感じ、それを実行するしかなくなる。ここに利他が浮上する。慈悲も浮上する。意識転換ひとつでこれらが勝手に浮上するのだ。木が勝手に打ち水をしてくれるのと同じだ(クール計画3参照)。
『家庭』での外への蔑ろ、この内と外の分断が違和感を生む。『わたしがいないからあなたがいない』は、分断や偏りをなくす概念だ。つまり家の『内がないから外がない』なのだ。
昔の雪国の知恵では『雪室』を作って夏に利用していた。この家でも設計の段階では雪室を考えていた。しかしそこから虫が入るし、なんやかんやで却下してしまったのだ。そこで雪室アイデアの復活はどうだろう。僕の家の北側の屋根から落ちた雪は4月末まで残っている。5月の連休まで残っていたこともあった。この雪を大きな四角に固め、断熱材で囲い、夏まで雪を残すことができなくもない。夏、そこからパイプを通して家の中につなぎ扇風機を置く。これで外は内の犠牲ではない。外の、それも冬の外の雪、「外に申し訳が立つ」。
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