●環境
ペリペリは絵以外の額装からの発見
自分が自分以外に気付かされた瞬間だった
人間は頭が中心と思っているが身体が大事だ
人間は自分を中心に思っているが他人が必要だ
人間は人口を中心と思っているが自然が大切だ。
『自分・今・ここ』とはそれら環境のことだ
ちょっとわかりにくいが点ではなく円を描いている
川があるのはこっちとあっちの岸があるから
全ての点は点以外が成しているのだ
2026年7月1日水曜日
[9213] 環境
2026年6月30日火曜日
[9212] 上下関係
●上下関係
ジュニオが老いたピニャモに噛みついたので叱る
オレがジュニオに噛み付く
ジュニオはしゅんとする
ジュニオは思う
「オレはあんたには負ける。でもピニャモには勝てる」
そしてまたピニャモを追い回す
違うだろ!
これでは叱った意味がない
ただの上下関係を作っただけ
人間社会もこんなものかもね
人間の文明は発達したけど
子供が銃持っているようなもの
精神文化面が全然動物の枠を出てない
2026年6月29日月曜日
[9211] 真ん中
●真ん中
超巨大作品家猫はオスメスの融合だ
オス猫とメス猫、男女の融合
西洋のスコティッシュと東洋の白黒ブチ、東西の融合
外は巨大作品で内では作品制作、内外の融合
とりあえず左右に並んでいるから、左右の融合
屋根の色は黄金と漆黒、二色の融合
庭の前には山と川、山川の融合
ちなみに粘土作品は猫と人間の融合だ。
しかしこれらは融合ではあるが『融合感覚』ではない
融合してしまえばそれはもはや単体だ
それに融合する思考は主客が融合してないエゴだ
左右や上下などの二元のどちらかに付かず偏らず
真ん中の道を飄々と歩き続けることが
融合感覚の維持に繋がる
2026年6月28日日曜日
[9210] 融合感覚
●融合感覚
超巨大作品家猫から融合感覚について。
『家庭』とは文字通り『家』と『庭』の融合だ。
他の言葉に置き換える
『個と環境』『中心と周辺』『自と他』など。
人間は個しか捉えられないエゴだから
『環境』を含んだ全体を理解するのは難しい。
『個』と『環境』の融合感覚を身につけることだと思う。
益子でのサトリの部屋は立体である猫と
環境であるペリペリ絵が融合した感覚だった。
春の猫町ギャラリーでの書道・花道・茶道なども
立体猫と環境ペリペリ絵の融合感覚だ。
俳句の二物衝撃のような感覚だ。
個の物語はエゴで、季語が環境でノンエゴだ。
これを衝撃的に感覚理解すれば個と環境の分断が消える。
2026年6月27日土曜日
[9209] 池=中心
●池=中心
超大型作品家猫の中心について。
設計では庭の池をまず決めた。
一般的な家の設計は車社会だから最初に駐車場を決める。
庭はなく、あるとしても家が設計された後の隙間になんとなく緑を置くだけ。
だから見た目は閉じた箱だ。
私の家は庭の池を決めてから設計した。
池が中心なのだ。
池の周りにデッキがある。
人間はデッキに集うが、人間が入れない池が中心だ。
いわゆる人間不在のところが中心なのだ。
焚き火などもそれだ。
だから焚き火は豊かだ。
2026年6月26日金曜日
[9208] 家の形
●家の形
超大型作品家猫の形態について
家は2匹の猫が寄り添った形をしている
冬の太陽の動きに沿って東から南へ西へ弧になっている
これは冬の日差しを存分に家の中に入れるため
冬はどの部屋も日差しが入らない部屋はない
光熱費の節約にもなる
一般の家には日の当たらない部屋がある
また日差しを入れるために
窓をたくさん作ったりもしくは大きな窓にする
東西にそれを作れば夏場の日差しがきつい
私は開放的であり陰翳礼讃を狙った
*写真の赤い線が冬の太陽の動きだ
2026年6月25日木曜日
[9207] 木並み
●木並み
超大型作品家猫の外壁について
猫は毛があるのに夏は涼しい
剛毛が皮膚に影を作り涼しくなるのだ
だからハゲの自分は夏、クソ暑い
家の玄関側の壁には3種類の材木を貼って凸凹にし
毛並みではなく木並みとして日影を作った
これで夏の強い朝日と夕日からの
室内温度上昇を和らげることができる
今はよしずの毛並みも活躍
木並み、よく見たらキーボードのようだ
面白い!
2026年6月24日水曜日
[9206] 借景
●借景
超大型作品家猫について
家の前には河島山がある
この小さな山はツインピークスで最上川をローラが流れてゆく
それはさておき、家の屋根は河島山の形を取り入れて設計した
河島山と屋根で山並みなのだ
四季折々が借景になる
2026年6月23日火曜日
[9205] 伐採
●伐採
家の前の最上川を舟下り遊覧船が通る。
「左を見てください。面白い建物ですね。あれなんだと思いますか? 猫と犬じゃないですよ。オスとメスのつがいの猫なんです。みなさん、なんでこんなところに猫の建物があるんでしょう? …云々」と船頭さんが言う。
つい先日、舟下りした母子がやってきて、中は見学できるのですか? と尋ねた。ここは工房でお店じゃないから昔のDMをあげて断る。すっごいいい感じの美人なら考える。
さて数年前、船頭さんに「木が大きくなって猫の家が見えにくので木を伐採してもらえないか?」と言われた。
面倒なので放っておいたが、この間船頭さんが「隙間から猫がチラッと見える…」とお客さんに言っているのを聞いた。
しょうがないなぁ。
崖下のクルミの枝を高枝切りノコで伐採した。疲れた。
これで少しは見えるようになるかな。
デッキのヤマボウシが邪魔かしら。
草に隠れる猫ってことで納得してくれ!
写真は昔と今。
2026年6月22日月曜日
[9204] 珍奇な生物
●珍奇な生物
オニグルミの葉を食べるクルミマルハバチ。
ふと思った。
昔知人が言っていた
「著名な作家さんが一般に知れ渡った動物だとしたら
わじんは知られない稀に見る珍奇な生物だ」と。
よくよく考えれば誰だって珍しい生物だ。
そんな珍しいものを一般に似せることはない。
稀というより他にないものだ。
だからこそ大事にする。
強盗なんかで手や魂を汚すな。
グレたグリとグラのグルらがグロゲロ。
2026年6月21日日曜日
[9203] 超巨大作品
●超巨大作品
数年前に香港でこれまでにない巨大作品の個展の話が持ち上がった。国際的なことなので、色々あって、延期延期だった。でもとうとうそれが無くなった、多分。
実は正直これで良かったと思っている。
なぜなら10m級の巨大作品は素材がFRPなどのプラスチックだ。そんなのがボコボコ数点もある。展示会は賑やかお祭りイベントでいいが、その後いづれそれらの作品はゴミになる。私は土や現代の人口物を使った作家ではあるが庭好きな自然派でもある。頭は人口美術思考でも身体はどこからどう見ても自然物なのだ。巨大作品は頭のエゴの展示でしかないような気がするのだ。
私の唯一の巨大作品は住んでいるこの家だ。作品を粗大ゴミにしないため、美術館という集合墓場に行かせないため、頭と身体が生活する経年変化する家を作品にした。もちろん庭も含むし川や山や空も含むから超巨大作品だ。
人間は生きている限りエゴだ。エゴで生きている限りは無知だ。しかしエゴを暴走させず知足で生きることが最高の智慧の発露となる。
2026年6月20日土曜日
[9202] 円
●円
スズメが地面でケンカしている。
死ぬんじゃないかと思うほど突き合っている。
あまりにあまりなので物を投げたらスズメどもは散らばった。
ところでコンパスで半径10センチの○を描く。
この円が地球だとすると細い鉛筆線が人間の暮らしている大気圏だ。
人間の住んでいるところは細く狭いのよ。
月だ火星に行くんだと言っても、それでも大したことないのよ。
狭いところでは助け合わないと。
2026年6月19日金曜日
[9201] 同級生
●同級生
夢を見た。
ちょうど今頃の季節で、僕は生まれた実家にいる。
家の前の道を見たことのある女性が歩いていた。
小中学同級生のキクちゃんだ。
懐かしいなぁ。何十年ぶりだ。
僕は彼女に声をかけた。
ほんの短い間、昔話をした。
なぜか涙が出る。
拭いても拭いても涙がとめどなく流れる。
目が覚めた。
時計を見たら真夜中の0時になるところだった。
ふと思い出した。
キクちゃんはずいぶん前に若くして亡くなっていた。
起きて坐禅しながら思った。
お盆の時期に個展をしよう。



















































