●変態
変態作品ができた(見せないけど)。自分ではプッと笑える感覚の絵なのだが、風紀委員の方が見ればプッではなくプンプンかもしれない。昨今の風紀を考えたら発表できない絵が色々と出てくる。教育上とか倫理上とかでギスギス閉鎖的な社会になっているのかもね。
昔『お前に娘はやらん!』と『お前に娘をやる!』という変態連作を作った。それを英米文学教授が買ってくれた。「変な作品を買ってくれてありがとう」と言ったら、「変ではない。名作だよ」と言われた。彼にとっては変態作品を変態だからと差別したりしない。道徳観念でものを見ているわけではないのだ。よく見ればその作品は誰もが作れる代物ではないし、やはり僕独自の創造作品だ。彼は作品ではなく僕の創造を買ってくれたのだと思った。
昔銀座のデパートで変態作品を展示したとき、「お客さんからクレームが入ったので、作品を下げてください」となり下げることにした。変態を理解してそうなお客さんが来たら「いいモンあるからこっち来なはれ」と悪いもん売るようにそーっと誘い、デパートの片隅で声を殺して笑った。
大体人間はみんな変態で無知なのだから自分の変態無知を棚にあげて他人攻撃はよろしくない。いい子になるな! お利口になるな! 生真面目になるな! 控えめな変態無知でいなさいな。変態行為を無責任に堂々と社会でやったら犯罪だ。せっかく芸術があるのだから、自分の変態無知をアートで表現することだ。
思うのは絵とは本来何を描いてもいい。漫画などは万の画だ。物語があるのであらゆる画像をブッ込める。僕の思考風景を物語だとすれば絵は無限にある。そこには天国も地獄も常識も非常識もあらゆるものがある。創造を何か特定の狭苦しい社会的要因に閉じ込める必要などない。澄み切った源泉に向かうのだ。
猫などは可愛いと言われるけど、自分で自分のお尻の穴を舐めるんだよ。人間なら変態だ(添付:6年前の絵の部分)。
世間の良し悪しの画(我)を超え、そんなもの無い画(無我)を描くのだ。
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