●サトリと現代美術
サトリ制作していて、デュシャンは現代美術の先駆者みたいに思われているけど、ふと疑問が浮かんだ。
作家が作りもしない拾ってきた便器を逆さまにおいて他人のサインをした『泉』は、これまでの美術の何もかも逆さまにしたから既成概念破壊的創造オブジェだ。それと多元的要素散りばめた二元構成の大ガラスがある。デュシャンの墓碑には「死ぬのはいつも他人ばかり」と刻まれている。どれもこれも無我的要素がある。
欧米の知の根っこには既成概念を壊して創造する二項対立がある。だから欧米には二項として近代美術と現代美術が出てくる。日本には元からサトリ的要素が濃い禅美術がある。龍安寺の石庭など石が15個あるのにどこから見ても14個しか見えない。過去に出来上がったものだが、今も作り続けている。まさしく不完全が完全な二元を超越したサトリだ。日本の美術は一元のサトリ美術と多元美術なのだろうと思う。その意味では日本には二項の片割れの現代美術などない。とりあえずそのような層があるだけだ。デュシャンを現代美術の先駆者などと思うのは二元思考であって、サトリから見たらデュシャンは二元の欧米でサトリ的作品を提出した作家。つまり東西関係なく美術を眺めたらその中心にはサトリがある。
The world swirling around SATORI
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