2023年8月23日水曜日

[8270] 最上川芸術祭2

 ●最上川芸術祭2

 昨日の続き。個人的には5年越しの驚きの問題なので、もう少し奥まで探ってみた。

 僕の企画した最上川芸術祭は確か最上川美術館始まって以来の観客数。僕の知らないところで5年も芸術祭を続けていることにビックリ、どころか、なぜにその立役者に知らせないかね。これは関わった議員や市役所の人、職業ではなく、人として問題だ。いわゆるいい大人が人としての成長ができてないと思った。

 それは普段の保守議員の行動でもわかる。中央や県の保守党先生に先生先生と媚を売り、自分らも自己表現のために偽善めいた活動もするが、本当に村に貢献した下々には興味を示さない。その理由が自らのグループとは違うからだ。

「長いものに巻かれるな」というのは、長いものはバカではないからだ。長いものが長いものであるのは、ずる賢さや二枚舌や搾取では、村の議員の数倍ヤバいほど上だということだ。

 村の若者が初めて立候補する時、この村の有権者の数が多い長いものの保守党をバックに出た方が手っ取り早い。それは親元から社会に出るのに親のコネを使った方がいいようなものだ。しかし一回それをやったら、あとは一人で立つことだ。親から離れ、自立することだ。長いものから離れ、自立することだ。

『親切』とは「親を切る」、『大切』とは「大きなものを切る」ことだろう。「切る」のは自分以外の中央を自分の中央と勘違いしないためだ。

 親が自分の子供に左右のどっちかに偏れとは教育しないだろう。親としては、そんな争い事に巻き込まれず己の才能や性質をどこまでも自由に真っ直ぐに伸ばし成長してほしい。それが親心だし子の自立だ。

 例としてこの村で一人の青年が会社を辞めて長いものの保守をバックに立候補した。彼の会社社長は反保守だった。社長は人前に立つことが苦手、長いものに巻かれるのだって嫌いなのに、不偏不党の位置を示し、その青年のために路上でうわずった声で応援演説をしたのだ。そして青年は当選。その後、青年は能力があり活躍もした。再立候補する時が来た。今こそ長いものなど捨てて、不偏不党で立候補することが社長への恩返しだろうと思う。左右の片側に自分を位置せずにその二元を克服するのが人間としての成長だ。

 昨今は人間としての善の劣化が目立つ。良いことをするためには悪いことには目を瞑る風潮がある。芸能界の少年文化繁栄の裏には少年強姦があった。日本を取り戻す総理の裏では金亡者宗教があった。二人とも死んでから発覚したから、生きている間中、悪を隠蔽するために権力を駆使していたのかもしれない。

 火をつけて消化する消防士、病気を作って治す医者、暴飲暴食して嘔吐する薬を投与などなど。これらも世間的に良い事を前提に語る倫理観からくる勘違いだ。良いこととは簡単に言えば欲望だ。ついには良いことのために戦争となる。

 簡単に言えば思考の中心に据えるのは「良いこと」ではなく『悪いことはするな良いこともするな』だ。人間が悪いことも良いこともしなければ、自然は豊かで海はキレイだ。これ以上に善いことはない。それが水の惑星地球に住む人としての成長だ。






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