●哲学ではなく
ジョセフ・コスースという作家の作品を目にした。1965年作の『One and three Chairs』で「椅子・椅子の写真・椅子の定義文章」で一つの作品だ。なんと! 私の『自画像』という椅子のある作品と驚くほど似ている。同じ感性を持った人を発見したような気持ちだ(ネットで見てね)。彼の他の作品ではネオン管の文字作品、緑色のネオン管で『FIVE WORDS IN GREEN NEON』とかがある。実に面白い。彼の作品は物と物の名称がくっ付いて読んでそのままって感じだ。しかし哲学的なので主観と客観に分かれていて主客はくっ付いていない。だから頭でっかち作品、つまりコンセプチャルアートだ。
欧米のアートは作るのは職人で作らず頭で考えるのがアーティストという驕慢な差別がある。若い作家志望が作らないためのネタ探しに情報を漁るようになる。目的達成思考になって金稼げば偉いみたいな無知な脳みそになってしまうのが問題だ。確かに作らないことは美だ。作り物の偽物にはうんざりするからだ。しかし『作らない』ということを捉え違いしている。作らないとは作らないも作らないことだ。私の作品は主観を剥ぎ取り『無我』を表現している。自分のいつも座っている椅子を描いて自分が居ないのにタイトルが『自画像』だもの。このあと坐禅に行き着くから、驕慢な哲学ではなく主客などない坐禅に導かれていたのかもしれない。ほごよ!
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