2025年12月16日火曜日

[9016] 渋戻り

 ●渋戻り
 個展が終わり気が緩んだのか風邪。そこで柿。日本柿は英語でもKaki。そんじょそこらにあるものでない特別な果物。『柿が赤くなると医者が青くなる』と医者が恐れるほどのもの。薬会社だって潰れてしまう。柿タンニンは最強の抗ウイルス効果があって風邪やインフルコロナなどなんでもやっつける。熊は冬眠前に柿を食べ便秘にして体から栄養を逃さないようにする。
 ちょうど2週間前に焼酎漬けした柿。めちゃくちゃ甘い薬じゃ! ところでいっぱいあるので食い切れない。そこでSSがジャムにした。なんと! 甘くなった柿が熱によって渋柿に戻った。『渋戻り』と言うらしい。渋抜きとはタンニンが甘味になるのではなくタンニンを水で溶けないものにするらしい。口の中ではタンニンが溶けず、身体の中に入ってから医者も薬もいらないほど役に立つ。素晴らしい! 柿タンニン。
 渋抜きは悟りの喩えとして使われる。内的変容があったからといってもまさに苦タンニンはあるのだ。それに『渋戻り』苦まである。渋抜いた内的変容者が偉ぶって人集めて稼ごうと熱くなって言葉でたぶらかす。これが熱による渋戻りだ。良さげな言葉を固定概念にして離さず抱え内的停滞しているからだ。内的変容のはずなのに。まずは言葉を離し身体を使って自然の苦に親しむことだね。あとは何度でも渋抜き、のぼせた頭を冷やすため日々坐禅。さて冷ます熱はないが風邪、薪ストーブの前で柿を食い生姜梅番茶を啜る。




2025年12月15日月曜日

[9015] 個展終了

 ●個展終了
『サトリを中心に渦巻く世界』The world swirling around SATORI.
 個展では大学生や20代や30代から私の年上世代70代とほぼ全ての世代とサトリの話をした。時代が変わっても若い世代は自分が若い時と同じような自分のその当時の感覚とそれほど違わない。多分サトリを中心に話をしているから古い新しいはないのだろう。人々はただ大宇宙を渦巻いているだけで、そこに中心はない。諸行無常なのに諸行無常は今も昔も変わりなく無が常だ。来てくれた皆さんありがとうございました。





2025年12月14日日曜日

[9014] ずーっと

 ●ずーっと
 ヨガ先生が来年からお店を始める。今日はプレオープン。カレーだ。
 個展に行ったヨガ先生「サトリ画はずーっとあるものって感じがした。その他は常に変化するものでも『ずーっと』があるから静寂なんだなぁ」と。なるほど、その『ずーっと』を中心に世界は日々上下左右前後に留まることなく揺れ迷い渦巻いているのだろう。



2025年12月13日土曜日

[9013] 山川

 ●山川
個展に行ったワハハの佐藤さん
私と同じ山形出身ほぼ同年代
同時代を走り抜けた紙芝居慈悲の人だ
「私の中に山川が山川の中に私が住む」
と感想が届いたので
DMの山川を眺めその文章を読んでみた
四法印の文章全てが山川中心だった
そうか、山川がサトリだね
ふと道元さんの言葉を思い出した
『山を渡り河を渡し時我あり』







 

2025年12月12日金曜日

[9012] 無言

 ●無言
 随分前にハラリの『サピエンス全史』を読んだ。面白いので人にも勧めているのだが、実は尻すぼみに感じていた。内容がタイトル通り人間中心、それに主旨が物語だ。私の今回の個展のタイトルは『サトリが中心』だ。サトリは本当のことは言えないから物語などない無垢な白紙だ。それにサトリは人間が手に入れられるような小さなものではない。つまりこの世界は人間が中心でも物語が中心でもないのだ。








2025年12月11日木曜日

[9011] 月のウサギ

 ●月のウサギ
 個展会場Room4にはウサギの被り物をして微睡んでいる猫がいる。何故微睡んでいるものを展示したのか、自分もよくわかっていなかった。今朝ふと、昔に読んだ手塚治虫の『ブッダ』の中のウサギの話を思い出した。
『老人に化けた神様がウサギとサルとキツネにお腹が空いているので助けてくれと頼んだ。サルは木の実をキツネは川の魚を捕まえて持ってきた。ウサギは何も獲れなかった。そこでウサギはサルに薪を頼みキツネに火を熾してもらい火の中に飛び込み老人にその身を捧げた。神様はウサギの行いに感動しウサギを元に戻し安心して休息できるように月の宮殿をあげた。今もウサギはそこにいる』  
 だからウサギは安心して微睡んでいる!
 こんな自己犠牲なんてイヤだと感じる人が多いと思うが、手塚治虫は漫画で身を捧げ人々に感動を与えた。つまり手塚治虫はこのウサギなのだ。好きなことで自己表現するとは自己顕示や自己肯定だけでなく自己犠牲や自己否定が伴う。もちろん自己責任も含まれる。この部屋が『諸法無我』だ。





2025年12月10日水曜日

[9010] エロスとタナトス

●エロスとタナトス
 数日前の朝、ふとサトリの部屋はエロスという言葉が合うと思った。午後に上の畑焼き陶芸家の松浦さんがやってきた。義理の父親が筋ジストロフィーを患い亡くなった話を聞いた。その時サトリの部屋はタナトスだと思った。あの部屋はエロスでありタナトスなのだ。昔、アインシュタインとフロイトの往復書簡『人はなぜ戦争をするのか?』を読んだ。エロスとタナトスが根源だから、、、とにかくスッキリしない感じが残ったのを覚えている。しかし今回、サトリの部屋のエロスとタナトスは不生不滅で超えたように思う。これで清々したわ。