2017年11月29日水曜日

[6181] 南方熊楠

●自由度とは、例えば自分の喜べる許容範囲が空間的に一辺1メートルの1立方メートルだとする。その外は喜べない。作品ならこの中に入るものが良い作品だ。ところが人は飽きやすいので狭苦しいところに飽きて自己拡張しようとする。これが自由度拡張だ。旅で言えば行けないところに行けたから嬉しいみたいな。絵で言えば真剣に数点製作していたらできなかったことができたから嬉しいみたいな。これを数値的にこれまでより1メートルぐらい前に進んだとする。たった1メートル、でもこれまでの2倍だ。それだけだが空間的には8立方メートル、つまり8倍になる。そんな大きく膨らんだ僕の意識に、この前まではスカ、なんとも思わない、決していいとは思わない、もしかしたら悪い作品、それが金鉱として写ったのだ。この絵のおかげで制作範囲も8倍広がることになる。いや喜びが快楽を超えて至福ぐらいになるから感覚的には8倍どころでなくなる。天まで届く勢いだ。最上川を泳いでいたらカルカッタについたようなもんだ。しかしこれは他所への侵略や略奪による拡張ではなく、観念的に壁や境界を無に帰すことにある。中庸や中間、プラスマイナスゼロ。なんとなくだが、南方熊楠の粘菌の研究が過った。僕は今、熊楠の部屋にいる。

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