2026年3月1日日曜日

[9091] 澄浄バック

 ●澄浄バック
 あ〜天気がいい。私は冷たい風と同時に斜めから顔に暖かい陽が射すとテレポーテーションしてインドに行ってしまう。この感覚はフラッシュバックだと思っていたが、調べたらフラッシュバックは悪い意味に使われている。そこで『澄浄バック』(ちょうじょうバック)と名付けた。なぜ澄浄なのかといえば、インドの旅は命捨ててもいい気分で出かけ、毎日が見るもの聞くもの全てカルチャーショックの連続だった。つまり自分の持っている日本で培った知識など全く無意味だったのだ。だから持っている知識は信じない頭が空っぽ。つまり頭が澄浄になり、起こる全てが超常現象、それは全てが初体験のようなものだから幸福感の頂上でもある。身体全体があの時の日差しや風や音を記憶していて(多分実体的な記憶は脳ではなく身体でするもので脳の記憶は言葉に置き換えた単なる手記なのだと思う)そんな微妙な日差しが身体に当たるとその当時のインドに行ってしまう。でもインドが凄いのではなく、『澄浄』そのものが凄いのだ。だから澄浄バックだ。実は坐禅もそれだ。坐禅は個人の経験をも飛び越え澄浄バックする。