●美しい
サトリに向かって細かい作業をやり始めている。
サトリ作品が現代美術ならこれほどやる気にはならなかった。
自分で耕した畑ではなく他所の大きな畑だからね。
しかし作品名をサトリとしたらやる気になった。
サトリには物事を分断するようなあらゆる壁は無い。
全部が畑だ。
他の美術や宗教や学問などなどあらゆる分野で
私が美と感じる人やものは全てサトリだと気づいた。
自分はサトリに救われているようだ。
昔の偉人はいい言葉を残してくれたとしみじみ思う。
2025年9月2日火曜日
[8911] 美
2025年9月1日月曜日
2025年8月31日日曜日
[8909] サトリ
●サトリ
早速サトリ作品の制作準備をする。
制作はするが今後の発表は全く考えてなかった。
ところがやると決め動き始めた途端、
サトリを中心にこれまでの作品が渦巻き始めた。
世界は何も変わってないのに
天動説から地動説になってしっくりしたような。
面白いものだと感じた。
サトリを中心に据えたのが良かった。
11月の益子の個展は4部屋ある。
この一部屋をサトリ空間にしようと思う。
他の3部屋もサトリを中心に渦巻くはずだ。
2025年8月30日土曜日
[8908] 現代アーティスト
●現代アーティスト
「現代アーティストのわじんさん」と言われた。それではないと思う。スケベだから何かと手広くやっているが私はただのとんでもなく偉大な招き猫作家だ。
ところでこの間アトリエに来た近藤亜樹さんが私のその手の作品を見て感心していた。猫関係の作品は人の好みがあるが、その手の作品は善悪好悪を超える。見る目がないと見えない。例えばデュシャンの便器や杉本博司さんの三部作など、それらは突き抜けたもの、禅で言うならサトリだ。
今朝、坐禅(サトリ)していてふと思った。亜樹さんにも言われたし生きる時間もあと2000日。亜樹さんは和田和尚が連れてきてくれた方。坐禅やら坊さんやらサトリやらそっちへ向かわされているような気がする。そこでその手の作品は現にあるのだから、ちゃんとした形に育てておこうと。
2025年8月29日金曜日
2025年8月28日木曜日
[8906] 生きる
●生きる
黒澤明『生きる』のイギリス版を見た。志村喬さんを自分の絵にしたぐらいだから好きな映画だ。イギリス版の主人公は年取り過ぎだね。50代でないとな。でも感動ものでした。
黒澤明の映画に『羅生門』がある。人の話は全部信じられないような中身だ。ならば世間のテーゼもアンチテーゼも鵜呑みにしない事だろう。
人の言動は全て利己的だ。愛とか幸福とかなんやかんやの作り話を欲しがる。欲しがるのも欲しがらせるのも自分に無いからだ。無い奴がいくら言ってもそれは嘘だろう。全ては己の利益、利己だ。気づくとはそのことで社会の何かしらではない。
ところで自利は自分の利益ではない。利己に似ているが正反対だ。同じなら自利ではなく利自になる。愛とか幸福とかなんやかんや、これら生まれた後に聞いた濁った作り話を心から取り除くのが自利だ。そしてそんな作り話を人の心から取り除いてやるのが利他だ。生きるとは公園を作った市民課長(志村喬)のように濁りなき心ですね。
2025年8月27日水曜日
[8905] 無才
●無才
若い頃、無才を探った。才能がないのがいい。才能とは無才の一部で狭い。無才こそ全てだ。才能があればそれに溺れる。お金を稼ぐ。稼ぎがなくなるのが不安になる。もっと稼ぐ。こうやってお金に縛られる。ますます狭くなる。これは広大な自然体ではない。自然体なら無才で生きていける。猫はあるがまま無才のままで生きている。自然はそのようにできている。自然は賢しらな人工を超えている。人間は自然を無視し人工の作り話を信じ、わざわざ狭いところに入る。
ある時、無才から飯の種の才能の芽が出た。この才は無才の一部、これを所有すれば無才が失われ狭い才に縛られてしまう。そこで家やらなんやら全てを広大な仏のものにした。
2025年8月26日火曜日
[8904] 酸いも
「楽しめばいい」はほぼほぼ利己的だ
楽しんでいれば『楽しめない』が嫉妬するからだ
『楽しめない』を差別してはいけない
『酸いも甘いも』という言葉がある
『楽しむ』が甘いなら『楽しめない』が酸いだろう
甘いものばかりでは糖尿だ
『楽しめない』を楽しむ
歳取ればコーヒーなら酸味
酸っぱい食べ物
酸っぱい加齢臭を放散する
シミキズボロに纏われ
枯葉になる
『裏を見せ表を見せて散る紅葉』by良寛
これで己の紅葉を楽しめる
2025年8月25日月曜日
[8903] 体験
●体験
村祭りの日、庭でパーティ。
小太りになった女が
「わじんさんの絵日記が難しくてわからない」と言う。
そりゃそうだ、真理は頭でわかるわけがない。
わかるようなものはでっち上げだ。
本当に本当のことは妄想ではない。
一行一行、頭の妄想や差別を取り除いて読めばいいのだ。
一行一行、初めての山道を一歩一歩歩く体験なのだから。
2025年8月24日日曜日
[8902] 穴
●穴
昨日の穴はスマホの画面のことね。
電源が入っていなければ、
ただの小さな黒い画面だ。
庭でできたモグラの穴みたいなもの。
見ても気にしなければただの庭の穴。
でも気にして執着し見てしまえば、
庭中が穴だらけで、こればまずい。
まずいまずいと気になって
庭が庭でなくなる。
こうやってなんでもない穴が
いつの間にか人生の落とし穴になる。
穴はいろんな穴があるが
穴がまずいのではなく
まずいのはあなたの執着。
2025年8月23日土曜日
[8901] 現実
●現実
子供の頃、テレビを見て笑っていたら、父親に
「人に笑わされて、バカだなぁ、騙されてんだよ」と。
今はテレビだけでなくネットを見て騙されている。
これが現実だと現実に騙されている。
穴を見ながら穴に穴を掘っている。
穴から出てくるおばけを誘っている。
あなかしこ。
2025年8月22日金曜日
[8900] あるないある
●あるないある
水平線はあるようでない
水平線に向かって歩いても
永遠にそれに辿り着くことはないからだ
だから人は上下に翻弄する
しかし歩き続ければそこは上下の中道だ
凸凹しているけどそれが水平線だ
水平線はないようである
歩けばね
私の場合は取り敢えず坐る
そして制作
2025年8月21日木曜日
[8899] 展示会案内in伊勢
●伊勢の展示会案内
不幸自慢。わたし不幸だったの。オレはかなり不幸だ。あたしなんかもっと不幸よ。事故にあった。苦しんだ。騙された。金強請られた。貧乏になった。ここまではよく知れた不幸。最も不幸なのは幸福自慢。なぜなら偉そうに高慢になって心の豊かさを失ったから不幸なのだ。
「人間万事塞翁馬 推枕軒中聴雨眠」by晦機和尚。(幸も不幸もない、雨の音聴いて寝る)