●証
年上のアーティストと会った。
喋ったら負け惜しみがすごかった。
負け惜しみならワシも負けないので
惜しまず応戦したのであった。
さて負け惜しみとは自分より上の者を作り下の自分が上を少々こけにする。自分を上と同等に見せたい。一般的に人を尊敬するとは自分にはその才能がないが自分の中の美を引き出してくれていることへの感謝感動だ。ところでこけにするとは上の者の作品の価値がわかる上で、上と下の分断に橋を渡したい。努力して橋を渡せばいいのに、虚仮(こけ)の橋を渡す。それが負け惜しみだ。自分の中にそれに匹敵するモノがあるのに自分の中からそれを真剣に引き出してないのかもしれない。
自分ごとでいうなら、何のことはない。分断のないサトリ絵をきちんと完成させることだ。”分断などないという証”を誰もが見たがるはずだからだ。サトリは漢字で『悟り』『覚り』そして『証』でもある。
11月の益子の個展がだんだんと明確になってきた。
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