2025年11月19日水曜日

[8989] 見る

●見る
 初雪です。
 自分の目で自分の目は見られない。このように言われなければ、自分の目で自分の目を見ていると思っていたはずだ。鏡とがビデオその他の情報があるからだ。鏡は前後が逆なので空間的なズレがある。ビデオは時間的なズレがある。だから本当のところは見ていない。この「見る」は概念であって情報の寄せ集めだ。頭が作った作り物を見ているだけなのだ。自分の目を見ていないが本当なら自分の本当も知らない。
 今、乗っている車のルームミラーの映像はちょっと前のビデオ映像だと言う。そのうち掛けたメガネがAI映像処理し外の風景はどこぞのアニメ風にもなるのだろう。それ風の音楽が流れ、今日は宮崎アニメ風の中をドライブ、今日はトロピカルな南国をドライブ。単なる自転車がどんどん科学の粋をつくした豪華な乗り物になっている。作り物は自他を無くそうとしているようだが、返って自他が大きく分離している。生死が分かれてしまうほど。生だけが生き残ることは無いのに。
 この雪景色を家の中から「見る」も実はそんな作り物だ。
 庭に出て雪景色の中に身も心も置く。太陽に眩しく光る雪や水溜りに靄、冷たい風が肌に触れ、雪解けや葉の散る音、全身全霊が景色に溶け込む。主観の私も客観の雪景色も一体化する。その一つの様相が「見る」なのだ。作り物が科学を駆使してこれに近づこうとしてもそのズレは埋められない。そのズレが違和感や迷妄として心に残る。
 









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