●おいしい時間
『ソーシャル・デスタンス』ということで、人だけでなく文明社会とも距離を置いている感じだ。
この時期、山菜がうまい。料理は東京で一人暮らしの時にやっていたが、大抵マーケットで買った食糧を煮るか炒めるかそんなもんだった。ところが最近は日中、麦わら帽子を被り、籠を持って山菜を採るところから始まり、ネットで調理法を学び、アク抜きなど下ごしらえをし、夕食に備える。ウドの芽、うるい、フキ、木の芽(ここら辺ではミツバアケビの蔓の新芽のことを指す。雅味である)などだ。この時期しか食せない貴重な贅沢品だ。コロナ禍がなければ、ワシが山菜を調理するなんて優雅な時間をこの先経験することはなかっただろう。
昔、『おいしい生活』というコピーがあった。おいしい山菜やおいしいお茶やおいしいお酒、おいしい空気においしい水、そしておいしい時間。このおいしい時間を見捨てていたような気がする。農薬や放射能などのおいしくないものが振り掛けられたコロナ前の未来はどこに向かっていたのだろう? 今後はおいしい未来にパラダイムシフトしなければいけないと思う。
写真:SSのおいしい畑
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