2022年10月11日火曜日

[7956] 日常

 ●日常

 日常というのはいつも何かと対立していて目的に向かって忙しない。こんな日常に疲れ、瞑想や座禅などで無になろうとする。しかしこれらの行為も目的になってしまい、いつもの日常の営みが一つ増え、かえって忙しくなったりする。瞑想なども日常の一部になってしまっているのだ。だから本当の無にはなれない。戦争中の一時休戦みたいなものだ。

 ところが早朝に座禅をするといつもの日常が変わる。

 秋の早朝は薄暗く靄がかかっていて肌寒い。僕は午前4時ごろ起きて、1時間ほど座禅をする。その後、ペリペリアートをする。座禅そのものが心の中のいろんなものをぺりぺり剥がすものだから座禅の後のペリペリは座禅の延長のようだ。その後、体操をし家の掃除や金魚やメダカに餌をやって自分の日常になってゆく。この日常も座禅の延長になっていて余計な心の垢が取れているように感じる。座禅がそのまま日常になっているのだ。前述の忙しない狭い日常とはまるで違う。早朝の座禅は日常の中の座禅ではなく、日常が座禅の中に取り込まれたのだ。

 どうせ瞑想や座禅をやるなら早朝にやることを勧める。その日一日が『一時休戦』ではなく『戦争が無い』になる。






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