2022年11月27日日曜日

[8003] 幸福感

 ●幸福感

 薪割り手順。まずは木材をチェンソーで玉切り。まっすぐなものはオノで割る。オノでダメなものは手動薪割り機。手動薪割り機でダメなものは、オノとクサビでいける。しかしオノとクサビは木材を二つ三つやれば、もうヘトヘト、筋肉パンパン、息ゼーゼー。オノとクサビでダメなものは再びチェンソーで小さくカットする。これは面白くない。

 さて、とうとうエンジン薪割り機がやってきた! 機械なので危険が伴うがビキビキパカンと引き千切るように割れる。残しておいた割れない木材がすんなり割れた。今季の薪割りは終了。

 エンジン薪割り機を使ってみて思うこと。

 機械ではオノで割った時の清々しさはない。身体の代わりが機械なので脳と身体が分断している。これからわかることは脳と身体の一体感に、清々しさや解放感、そして幸福感があるのだろう。だから何事もできるだけ身体を使うことだと思った。

 昔、僕が本を読んでいると、父親が「頭ばっかりデカくなるとツンのめるぞ」と言っていた。当たっていると思う。頭を支えているのは身体だ。坐禅の姿勢は身体の芯がしっかりしているので頭を支えグラつかない。頭に上った血が下がるのでノボセない。ところが頭でっかちはノボセている。ノボセは頭に血が上っていることで、いわゆる頭が下になって逆立ちしているような状態だ。つまりツンのめっているのだ。身体を使わない頭でっかちのノボセた頭を支えるためには脂肪をたくさん摂り肥満化することになる。実は腸には脳細胞がある。この脳細胞は腸にあるからノボセてない脳細胞だ。かなり冷静だろう。それが油まみれでは無能だ。頭の脳細胞と腸の脳細胞をバランスよく使うことが身体を使うということなのだと思った。身体を使えば脳細胞(頭と腸)はフル回転するのだ。

 薪の中心にいかにしてオノの刃を振り下ろすか、頭も身体もその迷いのない一瞬に集中する。そしてパッカーーーンと割れる。この開放感に達成感、坐禅で言えば悟りですね。これが幸福感なのだ。






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